上 下
725 / 1,730
小学生編

スモールステップ 6

しおりを挟む
「はい。お茶よ。そろそろ一服しなさい」
「ありがとうございます。あっ、その前に、お参りしてもいいですか」
「もちろんよ。桜餅をひとつ多く買って来てくれたのは、主人の分よね?」
「はい」
「ありがとう。瑞樹は本当に優しい子ね」

 宗吾さんのお父さんの仏前で、手を合わせた。

 厳しいお方だったと宗吾さんから伺っております。しかし情に深いお方だったと思います。僕をこの家に出入りすることをお許し下さって、ありがとうございます。

「丁寧にありがとう。主人も喜んでいるわ。瑞樹くんみたいにひたむきな子は大好きよ。きっと生きていたら歓迎してくれたわ」
「お母さんの言葉は、いつも僕を元気にしてくれます」
「それにね、桜餅はお父さんの大好物なのよ」

 縁側で日向ぼっこしながら、僕たちは歓談した。

 いい庭だな。至る所に春の芽吹きを感じる庭は、秋から僕が念入りに手入れしているので、ますます愛着を感じてしまうよ。

「不思議です、北海道出身の僕が……東京でこんなに心落ち着く場所を得られたなんて……」
「ここは、瑞樹が耕したのよ。ふかふかで暖かく柔らかい土だわ。だから安心して、自由に伸び伸びと、あなたも根を下ろしなさい」

 言葉は贈り物。お母さんの言葉は僕を毎回感動させる。

「お母さん……僕……お母さんが本当に大切です」
「瑞樹、私もよ。実はね……私達夫婦にはもう一人子供を授かる予定だったのよ」

  お母さんが空を見上げて話し出したのは、初めて聞く話だった。

「あの……それはどういう意味でしょうか。差し支えなければ……教えて下さい」
「実はね、三人目の赤ちゃんは妊娠初期で心拍が確認出来なくなって流産してしまったの。まだ宗吾には話していないことよ。本当に初期だったから。でも憲吾と美智さんには話したわ。ほら……死産を経験した美智さんに寄り添いたかったから」

 お母さんは少し寂しげに微笑んでいた。そうだったのか……不謹慎かもしれないが、そんなに大切な話をしてもらえるなんて、有り難いな。
 
「そうだったのですね」
「順調にお腹の中で育っていれば、宗吾と5歳差になるはずだったわ。お腹が空っぽになってしまった時、星に願ったの。いつか、どんなカタチでもいいので、お空に戻ってしまったこの子と出逢えますようにって」

 ドキッとした。

「五歳差……ですか」
「そうなの。だからなのかしら……最近、強く思うわ。瑞樹くんとの縁、瑞樹くんが私の三番目の子になってくれた縁を感じているのよ」
「あ……そんな風に考えて下さるの……とても嬉しいです」

 桜餅は少しだけ涙の味がした。

 すると、ジョウロで水やりしていた芽生くんが元気よく戻ってきた。

「お兄ちゃん~ あのね、さくらもちの葉っぱって、たべられるの? かしわもちは? 葉っぱをたべていいの?」

 唐突な質問! 無邪気で可愛い質問にお母さんと顔を見合わせて、ほっこりした。

「さぁもう切り替えましょう。ごめんなさいね。しんみりさせてしまったわ」
「とんでもないです。大切な話でした」

 芽生くんがちゃんと自分から手を洗い、ニコニコ笑顔でやってきた。

「さくらもちだー! おてて洗ったから、ボクも食べていい?」
「さっきの質問だけど、桜餅の葉は食べられるけれども、芽生くんには塩っぱいかもしれないよ」
「うーん、ほんとだ。しょっぱいや」

 芽生くんが塩漬けされた葉っぱをペロッと舐めて、難しい顔をした。

 甘いのに塩っぱい……なんだか人生みたいだね。

「くすっ、芽生くんは、まだ甘い所だけでいいよ」
「ふーん、大人になったら食べられるの?」
「そうだね。僕も小さい頃は苦手だったけれども、今は塩漬けされた「桜の葉」と絶妙なバランスで、甘過ぎることなく食べられて、結構好きだよ」
 
 甘いだけではない人生を経験したからなのか……大人になって食べられるようになる、辛子やわさびも同じかもしれないね。

「そうか、ボクはまだまだだなぁ」
「いいんだよ。それで、ゆっくりでいい。そのままの芽生くんがいいよ」
「うん!」

 お茶の後は、再び裁縫だ。

「ふぅ……なんとか、体操着袋の方は裁断が終わりました」

 僕の手は花を切る感覚に慣れすぎていて、裁ちばさみの扱いが下手すぎた。

「……まぁ……まぁね」

 ジグザグだ……お母さん、絶対に言葉に窮している。

「だ、大丈夫よ。ここは見えなくなるわ。さぁいよいよミシンの出番よ。使った記憶は?」
「それが……小学校の家庭科の授業以来、ないです。っていうか記憶にないです」
「じゃあ、試し縫いをしてからね」

 ドドドド……

「うわっ、早い! あぁ……っ」
「み、瑞樹ってば、少し落ち着いて」
「ごめんなさい」
「くすくすっ、あなたにも意外な面があるのね」

 自分の意志ではなく、機械のスピードに合わせるので四苦八苦だ。

「次は縫い代の処理をしてみましょう。ここを切り替えて……こっちは……」
「は、はい」
「お、お兄ちゃん~だいじょうぶ?」
「う、うん。任せて」

 とは言ったものの、残念ながらミシンも下手だった。どうして下糸が絡まるのか。ボビンケースの仕組みが謎過ぎるし!

「あらあら、下糸が絡まってしまったのね」
「うううう、すみません」
「これで糸を切ってやり直しよ」
「はい!」

 日が暮れる頃、お母さんの指導の下、なんとか……本当になんとか体操着袋が出来た。最後に巾着の紐を通し終え、キュッと結んだ時は、我ながら感動してしまった。

「で、出来ました!」
「瑞樹、頑張ったわね」

 お母さん、手を出さずにずっと見守ってくれたんだ。『僕ひとりで作ったものにしたい』という気持ちを汲んでくれた。

「お母さん、ありがとうございます。僕……嬉しいです」
「瑞樹、ほらほら芽生の顔を見てご覧なさい」

 芽生くんは目を輝かせて、何度も巾着を閉じたり開いたりしている。

「すごい……これお兄ちゃんががんばってボクにつくってくれたんだ。うれしい! かっこいいなぁ~」

 うっとりした声に、疲れが吹っ飛ぶよ。ありがとう!

 声に出して感謝されるのって、やはり嬉しいね。

「あら、もうこんな時間」
「すみません」
「実は私は今日はこれからお友達と歌舞伎に行くのよ。ごめんなさいね」
「えっ、そうだったのですね。忙しい時にすみません」
「何言っているの? 役立って嬉しかったの」
「あ、はい」
「ミシンはあなたに貸してあげるから、あとは家で仕上げたら? 宗吾も早めに帰って来るのでしょう」
「では、お言葉に甘えて」

 ****

「滝沢さん、もう上がりですか。早いですね、俺もなんですよ。たまには一杯どうです?」

 仕事終わりに、林さんに誘われた。

「あー、悪い。今日は瑞樹が仕事休みで、家で待っているんだ」
「おぉ! それはダッシュで帰らないとですね」
「そうなんだよ。夕食作ってくれるそうで、ワクワクしてる」
「はは、惚気てますなぁ~。それにしても瑞樹くんって可愛いエプロンが似合いそうですよね」
「え……なんで知って?」
「は?」

 おっと、まずいまずい! 渋谷の件は、俺と瑞樹だけのヒミツだった。

「はは、熱々ですね。じゃあ俺も辰起の所に寄ろうかな」
「お互い蜜な時間ですね」
「ははっ」

 林さんと別れて、俺は浮き足だっていた。

 瑞樹が昼の電話で最後に小さな声で、こう言っていた。

『宗吾さん、あの……僕が今日は夕食を作りますね。心を込めるので……期待していて下さい』

 だから玄関を開けたら美味しそうな匂いがして、瑞樹と芽生が「おかえりなさい」って言ってくれるだろう。瑞樹はもしかしたら本当にエプロンをしてくれているかも?

 あぁ……でも瑞樹には俺の無骨なエプロンではなくて、もっと可愛いのが似合いそうだ。ほら……あのホテルに置いてあったようなさ。

 はっ! いかん、いかん。また芽生に心配されるぞ。

 パシッと自分の頬を片手で叩いた。

 キリッと引き締めなくては。 

 だが、モクモク、ワクワク!

 帰宅の足取りは、天にも昇る心地さ!













しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

夫の色のドレスを着るのをやめた結果、夫が我慢をやめてしまいました

氷雨そら
恋愛
夫の色のドレスは私には似合わない。 ある夜会、夫と一緒にいたのは夫の愛人だという噂が流れている令嬢だった。彼女は夫の瞳の色のドレスを私とは違い完璧に着こなしていた。噂が事実なのだと確信した私は、もう夫の色のドレスは着ないことに決めた。 小説家になろう様にも掲載中です

『別れても好きな人』 

設樂理沙
ライト文芸
 大好きな夫から好きな女性ができたから別れて欲しいと言われ、離婚した。  夫の想い人はとても美しく、自分など到底敵わないと思ったから。  ほんとうは別れたくなどなかった。  この先もずっと夫と一緒にいたかった……だけど世の中には  どうしようもないことがあるのだ。  自分で選択できないことがある。  悲しいけれど……。   ―――――――――――――――――――――――――――――――――  登場人物紹介 戸田貴理子   40才 戸田正義    44才 青木誠二    28才 嘉島優子    33才  小田聖也    35才 2024.4.11 ―― プロット作成日 💛イラストはAI生成自作画像

校長室のソファの染みを知っていますか?

フルーツパフェ
大衆娯楽
校長室ならば必ず置かれている黒いソファ。 しかしそれが何のために置かれているのか、考えたことはあるだろうか。 座面にこびりついた幾つもの染みが、その真実を物語る

一宿一飯の恩義で竜伯爵様に抱かれたら、なぜか監禁されちゃいました!

当麻月菜
恋愛
宮坂 朱音(みやさか あかね)は、電車に跳ねられる寸前に異世界転移した。そして異世界人を保護する役目を担う竜伯爵の元でお世話になることになった。 しかしある日の晩、竜伯爵当主であり、朱音の保護者であり、ひそかに恋心を抱いているデュアロスが瀕死の状態で屋敷に戻ってきた。 彼は強い媚薬を盛られて苦しんでいたのだ。 このまま一晩ナニをしなければ、死んでしまうと知って、朱音は一宿一飯の恩義と、淡い恋心からデュアロスにその身を捧げた。 しかしそこから、なぜだかわからないけれど監禁生活が始まってしまい……。 好きだからこそ身を捧げた異世界女性と、強い覚悟を持って異世界女性を抱いた男が異世界婚をするまでの、しょーもないアレコレですれ違う二人の恋のおはなし。 ※いつもコメントありがとうございます!現在、返信が遅れて申し訳ありません(o*。_。)oペコッ 甘口も辛口もどれもありがたく読ませていただいてます(*´ω`*) ※他のサイトにも重複投稿しています。

お腹の子と一緒に逃げたところ、結局お腹の子の父親に捕まりました。

下菊みこと
恋愛
逃げたけど逃げ切れなかったお話。 またはチャラ男だと思ってたらヤンデレだったお話。 あるいは今度こそ幸せ家族になるお話。 ご都合主義の多分ハッピーエンド? 小説家になろう様でも投稿しています。

あなたの子ですが、内緒で育てます

椿蛍
恋愛
「本当にあなたの子ですか?」  突然現れた浮気相手、私の夫である国王陛下の子を身籠っているという。  夫、王妃の座、全て奪われ冷遇される日々――王宮から、追われた私のお腹には陛下の子が宿っていた。  私は強くなることを決意する。 「この子は私が育てます!」  お腹にいる子供は王の子。  王の子だけが不思議な力を持つ。  私は育った子供を連れて王宮へ戻る。  ――そして、私を追い出したことを後悔してください。 ※夫の後悔、浮気相手と虐げられからのざまあ ※他サイト様でも掲載しております。 ※hotランキング1位&エールありがとうございます!

公爵様、契約通り、跡継ぎを身籠りました!-もう契約は満了ですわよ・・・ね?ちょっと待って、どうして契約が終わらないんでしょうかぁぁ?!-

猫まんじゅう
恋愛
 そう、没落寸前の実家を助けて頂く代わりに、跡継ぎを産む事を条件にした契約結婚だったのです。  無事跡継ぎを妊娠したフィリス。夫であるバルモント公爵との契約達成は出産までの約9か月となった。  筈だったのです······が? ◆◇◆  「この結婚は契約結婚だ。貴女の実家の財の工面はする。代わりに、貴女には私の跡継ぎを産んでもらおう」  拝啓、公爵様。財政に悩んでいた私の家を助ける代わりに、跡継ぎを産むという一時的な契約結婚でございましたよね・・・?ええ、跡継ぎは産みました。なぜ、まだ契約が完了しないんでしょうか?  「ちょ、ちょ、ちょっと待ってくださいませええ!この契約!あと・・・、一体あと、何人子供を産めば契約が満了になるのですッ!!?」  溺愛と、悪阻(ツワリ)ルートは二人がお互いに想いを通じ合わせても終わらない? ◆◇◆ 安心保障のR15設定。 描写の直接的な表現はありませんが、”匂わせ”も気になる吐き悪阻体質の方はご注意ください。 ゆるゆる設定のコメディ要素あり。 つわりに付随する嘔吐表現などが多く含まれます。 ※妊娠に関する内容を含みます。 【2023/07/15/9:00〜07/17/15:00, HOTランキング1位ありがとうございます!】 こちらは小説家になろうでも完結掲載しております(詳細はあとがきにて、)

懐妊を告げずに家を出ます。最愛のあなた、どうかお幸せに。

梅雨の人
恋愛
最愛の夫、ブラッド。 あなたと共に、人生が終わるその時まで互いに慈しみ、愛情に溢れる時を過ごしていけると信じていた。 その時までは。 どうか、幸せになってね。 愛しい人。 さようなら。

処理中です...