653 / 1,730
成就編
幸せな復讐 7
しおりを挟む
「お兄ちゃん、おやどのなまえはなんていうの?」
「ん……:若木(わかぎ)旅館だよ」
「わかぎ? よーし、カンバンをさがすよ。ボクがつれていってあげる」
「くすっ、うん、芽生くん、道案内を頼むよ」
芽生くんが自然に僕の手を握り、じっと右手を見つめ、ニコッと笑った。
「お兄ちゃんの手って、やさしいからだいすき。ユビワさんもよろこんでいるよ」
「そうかな? ありがとう」
芽生くんの言葉一つ一つに癒やされながら、歩む道となる。
:若木一馬(わかぎかずま)
それが一馬のフルネームだ。名字で呼んだことは殆どなかったので、意識していなかったが。
「ねぇねぇ、お兄ちゃん、ワカギってどんな漢字なの?」
「ん……年が若いの『若』に樹木の『木』で、意味は生えてからまだ年数の経っていない木のことだよ」
「そうなんだね」
「瑞樹、そういえば『若木』は中国では『じゃくぼく』と呼んで、西の果てにある伝説の巨木のことでもあるぞ。世界を構成する重要な役割をもつ神樹なんだってさ」
「流石、宗吾さんは世界に詳しいですね。僕の知らない世界を知っていて素敵です。そうか……縁起の良い名前なんですね……よかった」
そんな話をしていると、いつのまにか旅館に辿り着いたようだ。
「あ、『若木』って漢字みーつけた! お兄ちゃん、こっちだよ!」
いよいよだ。そう思うとやはり緊張して足がぴたりと止まってしまった。
「お兄ちゃん? どうしたの?」
「あ……いや」
「だいじょうぶ。こわくないよ。ボクもパパもいるから大丈夫」
躊躇う僕を芽生くんが励ましてくれ、優しく手をグイグイと引いてくれる。
「瑞樹、芽生の言うとおりだ。怖くない。大丈夫だ。さぁ行くぞ」
宗吾さんも、僕の背中を優しく押してくれる。
「まずは案内図を見よう」
「はい」
館内案内図を見ると、広大な敷地に、フロント棟や離れの客室、露天風呂、レストランなどが点在しており、客室数から想像していたよりも、ずっとスケールの大きな温泉宿だった。
ここが一馬が生まれ育った場所なのか。そう思うと胸の奥がじんとした。
創業100年を超える立派な旅館の跡継ぎ、ひとり息子。僕が想像していた以上に重圧があったに違いない。
「あ、もう3時を過ぎましたね。チェックインしましょう」
「おぉ」
「お兄ちゃん、行こう!」
****
午後3時、チェックイン受付開始時刻になった。
スタッフの少ない旅館なので、俺がチェックインの対応をしている。
「お待たせ致しました。チェックインのお時間となりました。列にお並び下さい」
声を張り上げロビーを見渡すと、そこにはまだ瑞樹の姿はなかった。
あれから2年……俺の記憶の彼は、最後の日から止まっている。
あれから東京へは二度行ったが、会えなかったから。
まだ裸で布団で眠っていた瑞樹は、疲労困憊のようだった。それもそうだ。一晩中抱き合っていたのだから。あれが最後の逢瀬だった。
瑞樹の柔らかな頬には涙の乾いた跡があって、ギュッと胸が潰される想いだった。
別れを切り出した時、瑞樹は何も執着しなかった。まるでそうなる予感でもあったかのように、水を飲むようにさらりと受け入れた。
『その代わりに、最後の朝まで一緒に居て……』
ただそれだけの希望が、切なかった。
瑞樹がここに来たら、すぐに分かるだろう。7年間共に過ごした間柄……就職してからの3年は毎日のように隣で眠ったから。
瑞樹は、寂しがりやで、幸せになるのを怖がる男だった。だから俺は7年間、瑞樹を怖がらせないように、いつも同じ事だけを繰り返してやった。
瑞樹が抱えてきたものを聞き出すこともしなかった。ただ何重にも包んで守ってやる愛だった。一度……壊して、もっと踏み込んでみたら違ったのかな。
結局一番、瑞樹が嫌がることを最後にしてしまったクセに何を今更――
瑞樹を置き去りにした。独りぼっちにさせてしまった。
俺が決めた道をあいつは受け入れてくれたが、あの日の朝、あれからどうやって起きて、何をして過ごしたのか。この2年、どうやって生きてきたのか。本当は知りたいことばかりだ。
「あのぉ~」
「あ、すみません」
しっかりしろ、今は仕事中だ。
列には既に5組ほどお客様が並んでいたので、そこからは集中して接客した。
「こちらが鍵です。ごゆっくりお過ごしくださいませ」
3番目のお客様の対応を終え、ふと顔を上げると、突然目が合った。
……瑞樹だ。
瑞樹が優しい眼差しで、ロビーの端にスッと立っていた。
2年前と変わらない、控えめな眼差し、可憐な顔に、無性に泣きたくなった。
本当に来てくれたのだ。
瑞樹を見ると、記憶が蘇る。
あの花のような瑞樹特有の香りが漂ってきた。
「ん……:若木(わかぎ)旅館だよ」
「わかぎ? よーし、カンバンをさがすよ。ボクがつれていってあげる」
「くすっ、うん、芽生くん、道案内を頼むよ」
芽生くんが自然に僕の手を握り、じっと右手を見つめ、ニコッと笑った。
「お兄ちゃんの手って、やさしいからだいすき。ユビワさんもよろこんでいるよ」
「そうかな? ありがとう」
芽生くんの言葉一つ一つに癒やされながら、歩む道となる。
:若木一馬(わかぎかずま)
それが一馬のフルネームだ。名字で呼んだことは殆どなかったので、意識していなかったが。
「ねぇねぇ、お兄ちゃん、ワカギってどんな漢字なの?」
「ん……年が若いの『若』に樹木の『木』で、意味は生えてからまだ年数の経っていない木のことだよ」
「そうなんだね」
「瑞樹、そういえば『若木』は中国では『じゃくぼく』と呼んで、西の果てにある伝説の巨木のことでもあるぞ。世界を構成する重要な役割をもつ神樹なんだってさ」
「流石、宗吾さんは世界に詳しいですね。僕の知らない世界を知っていて素敵です。そうか……縁起の良い名前なんですね……よかった」
そんな話をしていると、いつのまにか旅館に辿り着いたようだ。
「あ、『若木』って漢字みーつけた! お兄ちゃん、こっちだよ!」
いよいよだ。そう思うとやはり緊張して足がぴたりと止まってしまった。
「お兄ちゃん? どうしたの?」
「あ……いや」
「だいじょうぶ。こわくないよ。ボクもパパもいるから大丈夫」
躊躇う僕を芽生くんが励ましてくれ、優しく手をグイグイと引いてくれる。
「瑞樹、芽生の言うとおりだ。怖くない。大丈夫だ。さぁ行くぞ」
宗吾さんも、僕の背中を優しく押してくれる。
「まずは案内図を見よう」
「はい」
館内案内図を見ると、広大な敷地に、フロント棟や離れの客室、露天風呂、レストランなどが点在しており、客室数から想像していたよりも、ずっとスケールの大きな温泉宿だった。
ここが一馬が生まれ育った場所なのか。そう思うと胸の奥がじんとした。
創業100年を超える立派な旅館の跡継ぎ、ひとり息子。僕が想像していた以上に重圧があったに違いない。
「あ、もう3時を過ぎましたね。チェックインしましょう」
「おぉ」
「お兄ちゃん、行こう!」
****
午後3時、チェックイン受付開始時刻になった。
スタッフの少ない旅館なので、俺がチェックインの対応をしている。
「お待たせ致しました。チェックインのお時間となりました。列にお並び下さい」
声を張り上げロビーを見渡すと、そこにはまだ瑞樹の姿はなかった。
あれから2年……俺の記憶の彼は、最後の日から止まっている。
あれから東京へは二度行ったが、会えなかったから。
まだ裸で布団で眠っていた瑞樹は、疲労困憊のようだった。それもそうだ。一晩中抱き合っていたのだから。あれが最後の逢瀬だった。
瑞樹の柔らかな頬には涙の乾いた跡があって、ギュッと胸が潰される想いだった。
別れを切り出した時、瑞樹は何も執着しなかった。まるでそうなる予感でもあったかのように、水を飲むようにさらりと受け入れた。
『その代わりに、最後の朝まで一緒に居て……』
ただそれだけの希望が、切なかった。
瑞樹がここに来たら、すぐに分かるだろう。7年間共に過ごした間柄……就職してからの3年は毎日のように隣で眠ったから。
瑞樹は、寂しがりやで、幸せになるのを怖がる男だった。だから俺は7年間、瑞樹を怖がらせないように、いつも同じ事だけを繰り返してやった。
瑞樹が抱えてきたものを聞き出すこともしなかった。ただ何重にも包んで守ってやる愛だった。一度……壊して、もっと踏み込んでみたら違ったのかな。
結局一番、瑞樹が嫌がることを最後にしてしまったクセに何を今更――
瑞樹を置き去りにした。独りぼっちにさせてしまった。
俺が決めた道をあいつは受け入れてくれたが、あの日の朝、あれからどうやって起きて、何をして過ごしたのか。この2年、どうやって生きてきたのか。本当は知りたいことばかりだ。
「あのぉ~」
「あ、すみません」
しっかりしろ、今は仕事中だ。
列には既に5組ほどお客様が並んでいたので、そこからは集中して接客した。
「こちらが鍵です。ごゆっくりお過ごしくださいませ」
3番目のお客様の対応を終え、ふと顔を上げると、突然目が合った。
……瑞樹だ。
瑞樹が優しい眼差しで、ロビーの端にスッと立っていた。
2年前と変わらない、控えめな眼差し、可憐な顔に、無性に泣きたくなった。
本当に来てくれたのだ。
瑞樹を見ると、記憶が蘇る。
あの花のような瑞樹特有の香りが漂ってきた。
11
お気に入りに追加
832
あなたにおすすめの小説
夫の色のドレスを着るのをやめた結果、夫が我慢をやめてしまいました
氷雨そら
恋愛
夫の色のドレスは私には似合わない。
ある夜会、夫と一緒にいたのは夫の愛人だという噂が流れている令嬢だった。彼女は夫の瞳の色のドレスを私とは違い完璧に着こなしていた。噂が事実なのだと確信した私は、もう夫の色のドレスは着ないことに決めた。
小説家になろう様にも掲載中です
『別れても好きな人』
設樂理沙
ライト文芸
大好きな夫から好きな女性ができたから別れて欲しいと言われ、離婚した。
夫の想い人はとても美しく、自分など到底敵わないと思ったから。
ほんとうは別れたくなどなかった。
この先もずっと夫と一緒にいたかった……だけど世の中には
どうしようもないことがあるのだ。
自分で選択できないことがある。
悲しいけれど……。
―――――――――――――――――――――――――――――――――
登場人物紹介
戸田貴理子 40才
戸田正義 44才
青木誠二 28才
嘉島優子 33才
小田聖也 35才
2024.4.11 ―― プロット作成日
💛イラストはAI生成自作画像
校長室のソファの染みを知っていますか?
フルーツパフェ
大衆娯楽
校長室ならば必ず置かれている黒いソファ。
しかしそれが何のために置かれているのか、考えたことはあるだろうか。
座面にこびりついた幾つもの染みが、その真実を物語る
一宿一飯の恩義で竜伯爵様に抱かれたら、なぜか監禁されちゃいました!
当麻月菜
恋愛
宮坂 朱音(みやさか あかね)は、電車に跳ねられる寸前に異世界転移した。そして異世界人を保護する役目を担う竜伯爵の元でお世話になることになった。
しかしある日の晩、竜伯爵当主であり、朱音の保護者であり、ひそかに恋心を抱いているデュアロスが瀕死の状態で屋敷に戻ってきた。
彼は強い媚薬を盛られて苦しんでいたのだ。
このまま一晩ナニをしなければ、死んでしまうと知って、朱音は一宿一飯の恩義と、淡い恋心からデュアロスにその身を捧げた。
しかしそこから、なぜだかわからないけれど監禁生活が始まってしまい……。
好きだからこそ身を捧げた異世界女性と、強い覚悟を持って異世界女性を抱いた男が異世界婚をするまでの、しょーもないアレコレですれ違う二人の恋のおはなし。
※いつもコメントありがとうございます!現在、返信が遅れて申し訳ありません(o*。_。)oペコッ 甘口も辛口もどれもありがたく読ませていただいてます(*´ω`*)
※他のサイトにも重複投稿しています。
お腹の子と一緒に逃げたところ、結局お腹の子の父親に捕まりました。
下菊みこと
恋愛
逃げたけど逃げ切れなかったお話。
またはチャラ男だと思ってたらヤンデレだったお話。
あるいは今度こそ幸せ家族になるお話。
ご都合主義の多分ハッピーエンド?
小説家になろう様でも投稿しています。
あなたの子ですが、内緒で育てます
椿蛍
恋愛
「本当にあなたの子ですか?」
突然現れた浮気相手、私の夫である国王陛下の子を身籠っているという。
夫、王妃の座、全て奪われ冷遇される日々――王宮から、追われた私のお腹には陛下の子が宿っていた。
私は強くなることを決意する。
「この子は私が育てます!」
お腹にいる子供は王の子。
王の子だけが不思議な力を持つ。
私は育った子供を連れて王宮へ戻る。
――そして、私を追い出したことを後悔してください。
※夫の後悔、浮気相手と虐げられからのざまあ
※他サイト様でも掲載しております。
※hotランキング1位&エールありがとうございます!
公爵様、契約通り、跡継ぎを身籠りました!-もう契約は満了ですわよ・・・ね?ちょっと待って、どうして契約が終わらないんでしょうかぁぁ?!-
猫まんじゅう
恋愛
そう、没落寸前の実家を助けて頂く代わりに、跡継ぎを産む事を条件にした契約結婚だったのです。
無事跡継ぎを妊娠したフィリス。夫であるバルモント公爵との契約達成は出産までの約9か月となった。
筈だったのです······が?
◆◇◆
「この結婚は契約結婚だ。貴女の実家の財の工面はする。代わりに、貴女には私の跡継ぎを産んでもらおう」
拝啓、公爵様。財政に悩んでいた私の家を助ける代わりに、跡継ぎを産むという一時的な契約結婚でございましたよね・・・?ええ、跡継ぎは産みました。なぜ、まだ契約が完了しないんでしょうか?
「ちょ、ちょ、ちょっと待ってくださいませええ!この契約!あと・・・、一体あと、何人子供を産めば契約が満了になるのですッ!!?」
溺愛と、悪阻(ツワリ)ルートは二人がお互いに想いを通じ合わせても終わらない?
◆◇◆
安心保障のR15設定。
描写の直接的な表現はありませんが、”匂わせ”も気になる吐き悪阻体質の方はご注意ください。
ゆるゆる設定のコメディ要素あり。
つわりに付随する嘔吐表現などが多く含まれます。
※妊娠に関する内容を含みます。
【2023/07/15/9:00〜07/17/15:00, HOTランキング1位ありがとうございます!】
こちらは小説家になろうでも完結掲載しております(詳細はあとがきにて、)
懐妊を告げずに家を出ます。最愛のあなた、どうかお幸せに。
梅雨の人
恋愛
最愛の夫、ブラッド。
あなたと共に、人生が終わるその時まで互いに慈しみ、愛情に溢れる時を過ごしていけると信じていた。
その時までは。
どうか、幸せになってね。
愛しい人。
さようなら。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる