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成就編

白銀の世界に羽ばたこう 12

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「瑞樹くん、ようこそ」
「あ、あの……お久しぶりです」

 僕を迎えてくれたのは、驚いたことにソウルにいると思っていた松本優也さんだった。名前通りの優しい顔立ちで、穏やかな雰囲気の青年だ。彼は……あの日……僕の危機を軽井沢からソウル、そして北鎌倉へと繋いでくれた恩人だ。

 まさか……今日、軽井沢で会えるとは。

「瑞樹くん、驚いた? 弟はね、ちょうど昨日から本社の定時総会のために帰国していたのよ。いいタイミングだったわね」
「とても……会いたかったです。直接、お礼を言いたかったので、嬉しいです」
「とにかく中に入って。あら? 瑞樹くん……少し顔色が悪いわ。本当に大丈夫なの?」
「あ……はい」

 宗吾さんに抱き抱えられるように歩いて、僕は応接室のソファに腰を下ろした。
 
「わぁ~メイくんだ!」
「カイトくん!」

 すぐに部屋が賑やかになった。

 一昨年の11月。手に深手を負い入院していた僕の抜糸日に、宗吾さんが芽生くんを連れて軽井沢にやって来てくれた。その時、松本さんの甥っ子の海斗くんと芽生くんが意気投合して遊んでいたのを思い出した。

 大人ばかりで少し退屈していた芽生くんも、同年代の少年の登場に嬉しそうだ。

 子供の無邪気な声に、一気に心が凪いでいく。
 出された温かい紅茶と共に、平常心を取り戻していく。

「ふたりは向こうのお部屋で、遊んで来ていいわよ」
「やった、メイくん、行こう」
「うん! パパ、お兄ちゃん、いい?」
「いいぞ」
「芽生くん、楽しんでおいで」

 部屋が静かになると、すぐに宗吾さんが心配そうに僕を見つめてきた。

 僕はまた……この人に心配を掛けてしまった。
 
「瑞樹、やっぱり辛いんじゃなか。参ったな。気をつけていたのにうっかりして……悪かった。まさか、よりによってあの道を通るとは」
「大丈夫です。かえって良かったのです。宗吾さん……あの、僕は……ちゃんと逃げ切れましたか」
「あぁ、君は頑張ったよ」

 頑張ったと言ってもらえたのが嬉しかった。よかった……。
 宗吾さんに手を握りしめてもらうと、ますますホッとした。
 
 さっきは吐きそうになったが、吐く物はもうなかった。

 辛かった思い出は、実はもう紙切れ同然で、吹けば飛んでいく類いのものになっていたのか。心の壁にへばりついていた気色悪いものが剥がれ落ちたような、すっきりした気分だった。

 僕らの会話を聞いていた松本さんが、優しく話しかけてくれた。

「瑞樹くん……月影寺ではあまり話せなかったけれども、あの日、集合写真を撮っておいて良かったね」
「はい……月影寺の縁が繋がって救ってくれました」
「そうだね……確かに縁が結ばれたんだ。一つ一つ、目の前の縁を大切にしていくと、どこかで救われることがあると、僕も実感したよ」
「はい……」
「よかったよ。君は今、とても幸せそうな顔をしているね」
「そうでしょうか」
「うん。僕には分かるんだ。僕も……暗く寒い深海を彷徨っていた経験があるからね」
「……そうなんですか」

 松本優也さんは、洋くんのソウル時代の同僚であり友人だと聞いている。彼にもきっと何か辛い過去があるようだ。

「わざわざ軽井沢に来てくれて、ありがとう。あの……でも、聞いてもいい? まだ辛い記憶が鮮明だろう曰く付きの土地なのに、敢えてここに来たのは何故? ごめん……単刀直入に聞いてしまって。どうしても知りたくて」
「……それは、きっと……飛び立ちたかったからだと」
「解放されたかった?」
「……そうですね。僕は、もう……今を、生きているこの世界を大切にしたいんです。そのためにも一度ここを訪れて、乗り越えたかったのかもしれません」

 松本さんは僕の返答に、目を見開いた。

「そうか……参ったよ。君は見かけよりずっと逞しいみたいだ。実は……僕は昔、恋人に突然捨てられた経験があって、その現実を受け入れられずに深海に潜り込んで、何年も殻に閉じこもっていたんだ。ソウルで……パートナーのKaiに出会うまでは、酷い有様だったよ。生きているのに死んでいるようで……だから瑞樹くんは、すごいね」

 そうだったのか。優也さんにも、僕と似た……哀しい別れの過去があるのか。一馬に捨てられた事を、いやでも思い出してしまう。
 
「すごくは……ありません。僕も宗吾さんと出会っていなかったら、きっと同じ道を辿っていたと思います。誰かに捨てられるのが怖くて、誰かを失うのも怖くて……今頃どうなっていたか、想像もつきません」

 あの日の僕は、本当にぼろぼろだった。公園の原っぱで泣き叫んでいた。

 もしも芽生くんと宗吾さんと出会わなかったら、今頃どうなっていたか正直分からない。もしかしたら天国にいる夏樹に会いに逝ってしまったかもしれない。そんなことをしても喜ばれないのに、あの日一馬に置いて行かれた僕は、それほど迄に生きる道標を失っていた。

「そうだね。大切な人が傍にいてくれる。それは……この世を生きていく糧になるよね」
「はい……道標になっています。宗吾さんと芽生くんがいてくれるのが、どんなに心の支えになっているか。だから、飛び立ちたかったのです。もう……過去の呪縛から」
「もしかして……君の辛い過去は、塵となって消えたんじゃないかな。僕には分かるよ」
「あ……どうしてそれを?」
「僕もそうだったから。実は僕も……昨年、僕を振った人に改めて会う機会があって、吹っ切れたから」
「そうだったのですね」

 ならば……僕には、あと一つの心残りがある。僕も湯布院にいる一馬に、もう一度会うべきなのか。

 あの日、公園で宗吾さんが教えてくれた『幸せな復讐』という言葉が、ふと脳裏を過った。
 
 松本さんからは別れ際に、1本のシャンパンを渡された。

「これ、よかったら宿でどうぞ。ところで、今日はどこに泊まるの?」
「万高ホテルです」
「あぁ、それも……僕らと一緒だね」
「え?」
「あぁ……そこは、クラシカルなホテルで最高だよ。僕らにとっても深い思い出の地だ」

 今日の宿泊先は宗吾さんが潤と相談して決めてくれた。芽生くんと二人で泊まって素晴らしい場所だったから、僕も連れて行きたいと。

 本当はあの日、僕も退院して一緒に泊まるはずだったが、指が動かなくなったことでパニックを起こし……無理だった。あの日出来なかったことが出来るのは、嬉しい。
 
「これからも、瑞樹くんらしい幸せを、育てて欲しい」
「はい。あの……松本さんも育てていますか」
「うん、僕とKaiは黄色い向日葵のような関係なんだ」
「向日葵……? あぁ、素敵ですね」

 向日葵は『あなただけを見つめる』という花言葉を持つ、プロポーズの花だ。松本さんを包み込むKaiという韓国の青年の笑顔を思い出して、心が和んだ。同時に僕も宗吾さんに、早く包み込んで欲しくなった。甘えたくなってしまった。

「いい夜を。そうだ。軽井沢にも……夏になると向日葵が美しく咲く場所があるよ」
「いいですね。弟が近くに勤めているので、また違う季節にも来たいと思います」
 
 世の中には出会いがあれば、別れがあるのは理解している。

 でもまた会いたいと願えば……会える人がいる。
 また来たいと思えば、来られる土地もある。

「よかったら今度はソウルにも遊びに来て欲しいな。これ僕たちの共同経営のホテルの名刺だよ」
「ありがとうございます」

 僕には、縁を繋げたい人がいる。
 僕と縁を繋げたいと思ってくれる人がいる。

 それがとても嬉しい。

 縁は恋だけでなく、友情においても存在する。だから僕はお互いに歩み寄る心を、これからも大切にしていきたい。

「また、会いましょう」
「:또 만나요(ト マンナヨ)」
「えっと……?」
「あぁ、これは韓国語で『また会いましょう』ですよ」
「はい、ぜひ!」

 希望のある言葉が、好きだ。

『また会える』その可能性があることが、どんなに幸せなことだか知っている?

「瑞樹、今日は、再会出来てよかったな」
「はい……宗吾さんが傍にいてくれるからです。僕が振り返らないで前を向いて行けるのは……」
 










あとがき(不要な方はスルー)


****

本日のゲストは……『深海』https://fujossy.jp/books/3990 の松本優也さんでした!
さて、ちらりと『幸せな復讐』の話も出てきましたね……一馬がいる九州・湯布院に行く日も近いのかな。その前に、白馬への旅行を楽しみます! あ、その前に老舗ホテルでの夜も?かな。


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