上 下
395 / 1,730
成就編

箱庭の外 18

しおりを挟む
「おばあちゃん!」
「芽生……瑞樹くん、来てくれたのね」
「……お母さん」

 今まで面と向かって、なかなか『お母さん』と呼べなかった。
 
 だけど今日からは、しっかり呼んでいく。

 明日どうなるか分からないのなら、1日1日を後悔のないように生きていきたい。

 頭では分かっていても、人はつい先延ばしにしてしまうものだから。

 何かあった時に後悔するのは、しなかった自分だ。

『お母さん』

 ……そう呼ぶのは簡単なこと。

 声に出せるのなら、出していこう!

 お母さんが倒れるのを目の当たりにして、強く思った。

「まぁ瑞樹くん、私の事を、そう呼んでくれるのね」
「……はい。お母さん……とても心配しました」
「あなたが救急車を呼んで、応急処置もしてくれたのね。ありがとう」
「……こんな僕でも、少しは役に立ちましたか」
「まぁこの子は……こっちにいらっしゃい」

 お母さんが僕の手を取ってくれる。

 人と人の温もり。

 恋人だけじゃない、家族、親子、いろんな形で、人は温もりを求め合っている。分け合っている。

「顔をよく見せて」
「……はい」

 僕の目元は腫れていて、泣きはらした目をしていた。

 間近で見たら、すぐに気づかれてしまうだろう。

「昨日は驚かせてごめんなさいね。……憲吾が心ない言葉を吐いたのね」
「うっ……」

 そうだとも、違うとも言えなかった。

 また泣いてと、呆れられてしまうかも……

「瑞樹くんは偉かったわね。今度はちゃんと泣けて……」
「え?」

 だが真逆な事を言われて、驚いた。

「どうして……?」
「この前、あなたに教えたあげた言葉を覚えている?」
「あ……『柳に雪折れ無し』ですか」
「そうよ。あなたは物事を柔軟に受け止めていけばいいの。だから無理に強がったり、強くなろうとしないで……もう、泣きたい時は泣いていいのよ」
「……はい」
「それにしても、憲吾はあなたにちゃんと謝ったかしら」
「もう大丈夫です」
「そう……ニューヨークにいる宗吾は、ちゃんとあなたをフォローした?」
「はい! 言葉で僕をしっかり励ましてくれました」

 そう答えると、お母さんはホッとしたようだ。

「良かった。間違っていなかったわね。私の子育て。どんなに大きくなっても、私が産んだ子だから気になってしまうのよ」
「ふたりとも、お母さんの立派な息子さんです」
「あなたもよ……瑞樹くん。お腹は痛めてないけど、縁あって親子になったのよ。観覧車の上で誓ったわよね」

 お母さんの温もりが届く。

「はい! あの、これ僕たちからのお見舞いです」
「まぁ私の好きな紫色の薔薇。これはブルーミルフィーユだったかしら?」
「ご存じでしたか」
「大好きな薔薇よ。良く分かったわね」
「宗吾さんのアドバイスで」

 芽生くんが僕たちの様子を、ニコニコと見守ってくれている。

「おにいちゃん、ね、おばあちゃんのすきな色だったでしょう」
「芽生、おばあちゃんの好きな色を覚えていたのね。おいで……びっくりさせてごめんね。心配かけてごめんね」
「ううん、びっくりしたけど、すぐにおにいちゃんがきてくれたから。そうだ、ムラサキのバラのハナコトバを調べてあげるね」

 僕があげた図鑑で探してみると、紫の薔薇の花言葉は……

「気品」
「誇り」
「尊敬」
 
「あ……これ、おかあさんにぴったりです。僕の中のお母さんのイメージに重なります」
「まぁうれしいわ」

 花をベッドの脇机に飾って歓談していると、美智さんがやってきた。

「お義母さん、着替えとタオル持ってきました」
「美智さん、あなたが東京に戻っていて助かったわ。ありがとう。迷惑かけてしまって」
「いえ普段何も出来ないので、こんな時くらい」

 僕たちは会釈して、一旦廊下に出た。

 お母さん……顔色も血の気が戻って、想像より状態が良さそうだ。

 元気そうな顔を見せてくれて嬉しい。ようやくホッと出来る。

 そしてまるで僕を本当の息子のように扱ってくれた。それが嬉しくて、また胸が一杯になった。

 ずっと病院の廊下も病室も、救急車のサイレンも苦手だったのに、今の僕は、もう怖くはなかった。

 救急車はお母さんの命を救ってくれた。

 病室には大事なおかあさんが入院している。

 でも元気に笑ってくれた。

 僕に温もりを分けてくれた。

 こうやって……克服していく。

 しあわせで塗り替えていく。

「やぁ、もう来てくれたのか」
「あ、憲吾さん」
「その……昨日は悪かったね」
「もういいです。もう大丈夫です」
「……ありがとう。寛大な心で許してくれて」

 許すだなんて……

 人は時に間違いを犯してしまう事もある。

 それに対して真摯に向き合う人を、僕は堕とさない。突き飛ばさない。

 どんなに謝っても、隠しておきたい部分まで曝け出して真摯に謝っても……許してくれない人もいるだろう。

 そういう人とは、生き方が違うと思うしかない。

 それが、その人との分かれ道なのだ。

 憲吾さんとは、そうでなくて、よかった。

 見た目も性格も宗吾さんとは全く違う兄弟だが、根っこの部分……根底ではしっかり繋がっている。それを強く感じた。

 僕はもうひとりではない。
 昨日感じた疎外感もすっかり消えていた。

「しかし……君の作ってくれた花って、なんかこう……いいな」
「ありがとうございます」

 芽生くんと美智さんが歓談している間、憲吾さんが興奮した面持ちで教えてくれた。

「妻が吹っ切れたのは、君の花がきっかけだった。亡くした子のためにも幸せになろうと言ってくれた」
「……良かったです。僕の花が少しでもお二人のお役に立ったのなら本望です」
「あぁそうだ。良かったら名刺交換しないか」
「あ、はい」

 裁判官 滝沢憲吾
 フラワーアーティスト 葉山瑞樹

 まったく違う職種だが、こうやって縁あって接点を持つ。

「花っていいもんだな。知らなかったよ。母も君が作った花を見て嬉しそうに微笑んでいるし、美智も立ち直るきっかけをもらったし」

「はい。自然の力をそっと花を通じて分けてもらっているのだと思います。人は誰だってしあわせに生きたいと思う生物ですから、でもとても弱い生き物だから」

 いつも思っている事を口に出すと、憲吾さんも素直に受け止めてくれた。

「そうだな。私も職業柄、ついシビアになってしまうが、これからは妻に花を贈るよ。その時はぜひ相談させてくれ」
「はい! 喜んで。いい心掛けかと……」
「ふぅん、君って……宗吾が惚れるのも分かる。なぁアイツもいつも君に花を贈るのか」
「えっいえ……その、えっと」

 何と答えよう……?
 突然話のムードが変わったような。

「はは。そんなに動揺して……なんか可愛いな」

 前言撤回だ!

 全然似てないと思ったのに、こういう風に僕をしどろもどろにさせるのは、宗吾さんにそっくりじゃないか。

「どうやら私にも、可愛い弟が出来たようだな」
「え?」
「……君のことだよ」
「あっ……」

 弟。

 そう思ってもらえるなんて……夢のようだ!

 





しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

夫の色のドレスを着るのをやめた結果、夫が我慢をやめてしまいました

氷雨そら
恋愛
夫の色のドレスは私には似合わない。 ある夜会、夫と一緒にいたのは夫の愛人だという噂が流れている令嬢だった。彼女は夫の瞳の色のドレスを私とは違い完璧に着こなしていた。噂が事実なのだと確信した私は、もう夫の色のドレスは着ないことに決めた。 小説家になろう様にも掲載中です

『別れても好きな人』 

設樂理沙
ライト文芸
 大好きな夫から好きな女性ができたから別れて欲しいと言われ、離婚した。  夫の想い人はとても美しく、自分など到底敵わないと思ったから。  ほんとうは別れたくなどなかった。  この先もずっと夫と一緒にいたかった……だけど世の中には  どうしようもないことがあるのだ。  自分で選択できないことがある。  悲しいけれど……。   ―――――――――――――――――――――――――――――――――  登場人物紹介 戸田貴理子   40才 戸田正義    44才 青木誠二    28才 嘉島優子    33才  小田聖也    35才 2024.4.11 ―― プロット作成日 💛イラストはAI生成自作画像

校長室のソファの染みを知っていますか?

フルーツパフェ
大衆娯楽
校長室ならば必ず置かれている黒いソファ。 しかしそれが何のために置かれているのか、考えたことはあるだろうか。 座面にこびりついた幾つもの染みが、その真実を物語る

一宿一飯の恩義で竜伯爵様に抱かれたら、なぜか監禁されちゃいました!

当麻月菜
恋愛
宮坂 朱音(みやさか あかね)は、電車に跳ねられる寸前に異世界転移した。そして異世界人を保護する役目を担う竜伯爵の元でお世話になることになった。 しかしある日の晩、竜伯爵当主であり、朱音の保護者であり、ひそかに恋心を抱いているデュアロスが瀕死の状態で屋敷に戻ってきた。 彼は強い媚薬を盛られて苦しんでいたのだ。 このまま一晩ナニをしなければ、死んでしまうと知って、朱音は一宿一飯の恩義と、淡い恋心からデュアロスにその身を捧げた。 しかしそこから、なぜだかわからないけれど監禁生活が始まってしまい……。 好きだからこそ身を捧げた異世界女性と、強い覚悟を持って異世界女性を抱いた男が異世界婚をするまでの、しょーもないアレコレですれ違う二人の恋のおはなし。 ※いつもコメントありがとうございます!現在、返信が遅れて申し訳ありません(o*。_。)oペコッ 甘口も辛口もどれもありがたく読ませていただいてます(*´ω`*) ※他のサイトにも重複投稿しています。

お腹の子と一緒に逃げたところ、結局お腹の子の父親に捕まりました。

下菊みこと
恋愛
逃げたけど逃げ切れなかったお話。 またはチャラ男だと思ってたらヤンデレだったお話。 あるいは今度こそ幸せ家族になるお話。 ご都合主義の多分ハッピーエンド? 小説家になろう様でも投稿しています。

あなたの子ですが、内緒で育てます

椿蛍
恋愛
「本当にあなたの子ですか?」  突然現れた浮気相手、私の夫である国王陛下の子を身籠っているという。  夫、王妃の座、全て奪われ冷遇される日々――王宮から、追われた私のお腹には陛下の子が宿っていた。  私は強くなることを決意する。 「この子は私が育てます!」  お腹にいる子供は王の子。  王の子だけが不思議な力を持つ。  私は育った子供を連れて王宮へ戻る。  ――そして、私を追い出したことを後悔してください。 ※夫の後悔、浮気相手と虐げられからのざまあ ※他サイト様でも掲載しております。 ※hotランキング1位&エールありがとうございます!

公爵様、契約通り、跡継ぎを身籠りました!-もう契約は満了ですわよ・・・ね?ちょっと待って、どうして契約が終わらないんでしょうかぁぁ?!-

猫まんじゅう
恋愛
 そう、没落寸前の実家を助けて頂く代わりに、跡継ぎを産む事を条件にした契約結婚だったのです。  無事跡継ぎを妊娠したフィリス。夫であるバルモント公爵との契約達成は出産までの約9か月となった。  筈だったのです······が? ◆◇◆  「この結婚は契約結婚だ。貴女の実家の財の工面はする。代わりに、貴女には私の跡継ぎを産んでもらおう」  拝啓、公爵様。財政に悩んでいた私の家を助ける代わりに、跡継ぎを産むという一時的な契約結婚でございましたよね・・・?ええ、跡継ぎは産みました。なぜ、まだ契約が完了しないんでしょうか?  「ちょ、ちょ、ちょっと待ってくださいませええ!この契約!あと・・・、一体あと、何人子供を産めば契約が満了になるのですッ!!?」  溺愛と、悪阻(ツワリ)ルートは二人がお互いに想いを通じ合わせても終わらない? ◆◇◆ 安心保障のR15設定。 描写の直接的な表現はありませんが、”匂わせ”も気になる吐き悪阻体質の方はご注意ください。 ゆるゆる設定のコメディ要素あり。 つわりに付随する嘔吐表現などが多く含まれます。 ※妊娠に関する内容を含みます。 【2023/07/15/9:00〜07/17/15:00, HOTランキング1位ありがとうございます!】 こちらは小説家になろうでも完結掲載しております(詳細はあとがきにて、)

懐妊を告げずに家を出ます。最愛のあなた、どうかお幸せに。

梅雨の人
恋愛
最愛の夫、ブラッド。 あなたと共に、人生が終わるその時まで互いに慈しみ、愛情に溢れる時を過ごしていけると信じていた。 その時までは。 どうか、幸せになってね。 愛しい人。 さようなら。

処理中です...