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成就編
箱庭の外 10
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「おにいちゃん……おばあちゃんに、まだ会えないの?」
「うん……でも、きっともうすぐだよ」
僕は芽生くんをしっかりと抱っこした。
ふと、あの日、夏樹の事故直後の様子をフラッシュバックしてしまった。
「うっ……大丈夫……大丈夫だ」
僕が今を生きている。
今……抱いているのは芽生くんだ。
絶対に離さない、この子だけは……
必死に自分に言い聞かせ、パニックにならないよう努めた。
日なたのにおいのする芽生くんは精神安定剤の役割をしているようで、震える僕の心をスッと落ち着かせてくれた。
宗吾さんの大切な息子は、僕の大切な息子。
どの位そうしていただろうか。僕の胸元に頬を摺り寄せて芽生くんはスヤスヤとあどけない寝顔で眠っていた。
赤ちゃんみたいに丸まって、かなり不安だったのだろう。
「あっ、そういえば」
ずっと不安がる芽生くんを宥め抱っこしていたので、まだ宗吾さんに連絡していなかった。
日本とニューヨークの時差は13時間、今、向こうは朝だ。
仕事に行ってしまっただろうか。
どうしよう。一刻も早く連絡しないと……
スマホを取り出して電話をかけようとすると、硬質な足音がカツカツと廊下に響き、看護師さんと背広姿の細身の男性が目の前にやってきた。
もしかして……宗吾さんのお兄さんなのか。
顔も体型も宗吾さんに似ていない。細いフレームの眼鏡をかけ、宗吾さんとは真逆の堅苦しそうな雰囲気の男性だった。
「この方がお母様の第一発見者です。救急車を呼んでお母様の応急処置をして下さり、病院まで付き添ってくれました」
「そうなんですね……すみません。母が世話になって……私は息子の滝沢憲吾《たきざわけんご》です」
……やっぱり。
『憲吾さん』というのか。
宗吾さんのお兄さんだと思うと、ますます緊張が高まった。
「僕は葉山瑞樹です。あの……お母様はご無事ですか」
「えぇ急性心不全でした。でも発見も早く何とか処置出来ましたので……助けて下さってありがとうございます」
「じゃあ滝沢さん私はこれで。あとで入院の手続きをお願いします」
「分かりました」
そこまで話した所で、看護師さんは安心した顔で去って行った。
すると憲吾さんの表情が突然、曇った。
「ところで失礼ですが、君はどうして俺の実家の中にあがって?」
「え?」
「母が倒れて自宅で応急処置をしてもらったと聞いたので……君は母とは、一体どういう関係ですか。君のような若者と母の接点が見つからなくてな」
問い詰めるような鋭い視線に戸惑った。
どう答えたら、差し障りがないのか。お母さんとの関係を話すには、宗吾さんと僕の関係を話さないと。
宗吾さんは、お兄さんに何も話していないようだ。
同性同士で愛しあうのを受け入れられない人も、沢山いる。もしかしたらこの人も、そのタイプではないだろうか。そう思うと嫌な予感がする。
言葉に窮していると、もぞもぞと芽生くんが動いて起きてしまった。
「あれ……おにいちゃん、ボクねてた?」
「うん、芽生くん、少しだけね。あのね、おばあちゃん、大丈夫だって」
「ほんとう? あーよかった!」
芽生くんと話していると、憲吾さんが驚いた声をあげた。
「今、その子のこと『メイ』と呼んだか。芽生は……弟の息子の名前だが、おいっ! こっちを向け」
「えっ」
芽生くんがキョトンとした様子で、憲吾さんを見上げる。
「おにいちゃん、だれ……?」
「あ……芽生くんのおじさんだよ」
「おじさん?」
「パパのおにいさんなんだって」
「ボク……しらない。おぼえてないよ」
「お前はやっぱり芽生か。会うのは久しぶりだな。母さんから最近の写真を見せてもらっていたから俺は分かるぞ。ふん、弟の小さい頃にそっくりだしな」
そうか、宗吾さんとそんなに似ているのか。
「でも納得いかないな。まさか……」
ギクリとした。
何故なら……その声は明らかに蔑んだものだったから。
「君は……まさか、宗吾の……」
憲吾さんの視線は、すかさず僕の指輪を捉えた。
「くそっ、間違いであって欲しいが……あんた弟の……恋人なのか。アイツ、とうとうそこまで」
天を仰ぎ、見てはいけない物を見たような嘆き。
僕は呆然とした。まさかここまで拒絶されるとは思っていなかった。何と答えたらいいのか分からない。でも宗吾さんの事で嘘はつきたくない。
なのに、声が出ない。
「まさか宗吾と芽生と……一緒に暮らしてんのか」
慎重に頷くしかなかった。だって……全部事実だから。
「はぁ嘆かわしい。子供の教育上良くないだろう。それより肝心の宗吾はどうして来ない? 母さんが倒れたというのに」
これだけは、ちゃんと伝えたい。
宗吾さんに迷惑をかけたくない。
「彼は日曜日までニューヨーク出張中ですので」
「なるほどね。で、君が芽生の面倒をみていると? 危ないな。赤の他人に任せるなんて、宗吾も何を考えているのだか」
『赤の他人』
その言葉に絶望的になってしまった。
「アイツも母さんに散々芽生の面倒を押し付けて、呑気に出張か。全く、いいご身分だ。芽生、さぁこっちに来い」
「え……いやっ、いやっ」
「何言ってんだ? おばあちゃんの事が心配ならいい子にしろ。宗吾が帰るまで俺んちで預かってやる」
僕から芽生くんを強引に引きはがそうとするので、焦ってしまった。
「ちょっと待って下さい! 僕は宗吾さんから留守中の芽生くんの事を頼まれています」
「何を偉そうに。半分は母さんが育てたようなもんだろう。離婚してから高齢の母に散々世話させておいて。いいから赤の他人の君は黙っていてくれ!」
「おにいちゃん、おにいちゃんっ──」
さっきまで絶対に離すものかと思っていたのに……
僕は手をだらんと下げてしまった。力が抜けてしまった。
看護師さんや周りの人が、ひそひそと話している。
僕に向けて、冷ややかな視線を感じる。
病院の待合室で、これ以上もめるのは、誰にとっても良くない。
「芽生くん……ごめん、ごめんね。今日は……僕は帰るよ。おじさんの言う事をよく聞いて」
「心配するな。うちには専業主婦の嫁がいるから可愛がってもらえる。さぁ君はもう帰っていいよ。この先は滝沢家の身内で解決することだ」
「……」
何をどう言えばいいのか、何も浮かばない。
「宗吾には俺から連絡しておく。あぁ母さんの荷物はこれか」
憲吾さんは、宗吾さんの携帯番号を手帳からすぐに見つけてしまった。
「……お、おにいちゃん」
芽生くんが不安一杯の表情を浮かべている。
このまま強引にでも、連れ帰りたい。
でもこの状況、この剣幕では、僕が誘拐犯にされかねない雰囲気だった。
悔しい──仕方がないのか。
「……おにいちゃん、だいじょうぶ?」
すべてを察した芽生くんが、逆に僕を心配してくれるのが泣けてくる。
僕はどうしたらいいのか。
あまりの急展開に、言葉が見つからない。
どこに行けばいいのか……
宗吾さんと芽生くんと暮らす……あの家に戻っていいのかすら、分からなくなっていた。
「うん……でも、きっともうすぐだよ」
僕は芽生くんをしっかりと抱っこした。
ふと、あの日、夏樹の事故直後の様子をフラッシュバックしてしまった。
「うっ……大丈夫……大丈夫だ」
僕が今を生きている。
今……抱いているのは芽生くんだ。
絶対に離さない、この子だけは……
必死に自分に言い聞かせ、パニックにならないよう努めた。
日なたのにおいのする芽生くんは精神安定剤の役割をしているようで、震える僕の心をスッと落ち着かせてくれた。
宗吾さんの大切な息子は、僕の大切な息子。
どの位そうしていただろうか。僕の胸元に頬を摺り寄せて芽生くんはスヤスヤとあどけない寝顔で眠っていた。
赤ちゃんみたいに丸まって、かなり不安だったのだろう。
「あっ、そういえば」
ずっと不安がる芽生くんを宥め抱っこしていたので、まだ宗吾さんに連絡していなかった。
日本とニューヨークの時差は13時間、今、向こうは朝だ。
仕事に行ってしまっただろうか。
どうしよう。一刻も早く連絡しないと……
スマホを取り出して電話をかけようとすると、硬質な足音がカツカツと廊下に響き、看護師さんと背広姿の細身の男性が目の前にやってきた。
もしかして……宗吾さんのお兄さんなのか。
顔も体型も宗吾さんに似ていない。細いフレームの眼鏡をかけ、宗吾さんとは真逆の堅苦しそうな雰囲気の男性だった。
「この方がお母様の第一発見者です。救急車を呼んでお母様の応急処置をして下さり、病院まで付き添ってくれました」
「そうなんですね……すみません。母が世話になって……私は息子の滝沢憲吾《たきざわけんご》です」
……やっぱり。
『憲吾さん』というのか。
宗吾さんのお兄さんだと思うと、ますます緊張が高まった。
「僕は葉山瑞樹です。あの……お母様はご無事ですか」
「えぇ急性心不全でした。でも発見も早く何とか処置出来ましたので……助けて下さってありがとうございます」
「じゃあ滝沢さん私はこれで。あとで入院の手続きをお願いします」
「分かりました」
そこまで話した所で、看護師さんは安心した顔で去って行った。
すると憲吾さんの表情が突然、曇った。
「ところで失礼ですが、君はどうして俺の実家の中にあがって?」
「え?」
「母が倒れて自宅で応急処置をしてもらったと聞いたので……君は母とは、一体どういう関係ですか。君のような若者と母の接点が見つからなくてな」
問い詰めるような鋭い視線に戸惑った。
どう答えたら、差し障りがないのか。お母さんとの関係を話すには、宗吾さんと僕の関係を話さないと。
宗吾さんは、お兄さんに何も話していないようだ。
同性同士で愛しあうのを受け入れられない人も、沢山いる。もしかしたらこの人も、そのタイプではないだろうか。そう思うと嫌な予感がする。
言葉に窮していると、もぞもぞと芽生くんが動いて起きてしまった。
「あれ……おにいちゃん、ボクねてた?」
「うん、芽生くん、少しだけね。あのね、おばあちゃん、大丈夫だって」
「ほんとう? あーよかった!」
芽生くんと話していると、憲吾さんが驚いた声をあげた。
「今、その子のこと『メイ』と呼んだか。芽生は……弟の息子の名前だが、おいっ! こっちを向け」
「えっ」
芽生くんがキョトンとした様子で、憲吾さんを見上げる。
「おにいちゃん、だれ……?」
「あ……芽生くんのおじさんだよ」
「おじさん?」
「パパのおにいさんなんだって」
「ボク……しらない。おぼえてないよ」
「お前はやっぱり芽生か。会うのは久しぶりだな。母さんから最近の写真を見せてもらっていたから俺は分かるぞ。ふん、弟の小さい頃にそっくりだしな」
そうか、宗吾さんとそんなに似ているのか。
「でも納得いかないな。まさか……」
ギクリとした。
何故なら……その声は明らかに蔑んだものだったから。
「君は……まさか、宗吾の……」
憲吾さんの視線は、すかさず僕の指輪を捉えた。
「くそっ、間違いであって欲しいが……あんた弟の……恋人なのか。アイツ、とうとうそこまで」
天を仰ぎ、見てはいけない物を見たような嘆き。
僕は呆然とした。まさかここまで拒絶されるとは思っていなかった。何と答えたらいいのか分からない。でも宗吾さんの事で嘘はつきたくない。
なのに、声が出ない。
「まさか宗吾と芽生と……一緒に暮らしてんのか」
慎重に頷くしかなかった。だって……全部事実だから。
「はぁ嘆かわしい。子供の教育上良くないだろう。それより肝心の宗吾はどうして来ない? 母さんが倒れたというのに」
これだけは、ちゃんと伝えたい。
宗吾さんに迷惑をかけたくない。
「彼は日曜日までニューヨーク出張中ですので」
「なるほどね。で、君が芽生の面倒をみていると? 危ないな。赤の他人に任せるなんて、宗吾も何を考えているのだか」
『赤の他人』
その言葉に絶望的になってしまった。
「アイツも母さんに散々芽生の面倒を押し付けて、呑気に出張か。全く、いいご身分だ。芽生、さぁこっちに来い」
「え……いやっ、いやっ」
「何言ってんだ? おばあちゃんの事が心配ならいい子にしろ。宗吾が帰るまで俺んちで預かってやる」
僕から芽生くんを強引に引きはがそうとするので、焦ってしまった。
「ちょっと待って下さい! 僕は宗吾さんから留守中の芽生くんの事を頼まれています」
「何を偉そうに。半分は母さんが育てたようなもんだろう。離婚してから高齢の母に散々世話させておいて。いいから赤の他人の君は黙っていてくれ!」
「おにいちゃん、おにいちゃんっ──」
さっきまで絶対に離すものかと思っていたのに……
僕は手をだらんと下げてしまった。力が抜けてしまった。
看護師さんや周りの人が、ひそひそと話している。
僕に向けて、冷ややかな視線を感じる。
病院の待合室で、これ以上もめるのは、誰にとっても良くない。
「芽生くん……ごめん、ごめんね。今日は……僕は帰るよ。おじさんの言う事をよく聞いて」
「心配するな。うちには専業主婦の嫁がいるから可愛がってもらえる。さぁ君はもう帰っていいよ。この先は滝沢家の身内で解決することだ」
「……」
何をどう言えばいいのか、何も浮かばない。
「宗吾には俺から連絡しておく。あぁ母さんの荷物はこれか」
憲吾さんは、宗吾さんの携帯番号を手帳からすぐに見つけてしまった。
「……お、おにいちゃん」
芽生くんが不安一杯の表情を浮かべている。
このまま強引にでも、連れ帰りたい。
でもこの状況、この剣幕では、僕が誘拐犯にされかねない雰囲気だった。
悔しい──仕方がないのか。
「……おにいちゃん、だいじょうぶ?」
すべてを察した芽生くんが、逆に僕を心配してくれるのが泣けてくる。
僕はどうしたらいいのか。
あまりの急展開に、言葉が見つからない。
どこに行けばいいのか……
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