351 / 1,730
発展編
紫陽花の咲く道 4
しおりを挟む
季節はあっという間に六月になっていた。
今週から関東も梅雨入りし、鬱陶しい曇天が続いている。
外出の準備を整えながらオフィスの窓に目をやると、ザーザーと雨音が聴こえる程の雨脚になっていた。
「あーあ、いよいよ本降りになっちまったな」
「こんな日に外出なんて面倒ですね」
「まぁ仕事だ、仕方がない」
「一緒に行きましょうか」
カメラマンの林さんに声を掛けられたので、荷物をまとめて部署を後にした。次の打ち合わせ先はホテルオーヤマだ。このホテルは最近、俺の担当になったので、足繁く通っている。
瑞樹の職場に近いというだけで、俺の心も浮足立つんだよな。
オフィスの外に出ると、色鮮やかな傘が通りを往来していた。
雨に濡れた街に、傘がクルクルと躍っている。
「おっこれは食指が動く景色だな。ちょっといいか」
「あぁ」
林さんは担いでた大きな鞄から撮影用の黒いカメラを取り出し、街中をカシャカシャと撮影し出した。スマホのカメラ音でない、胸に刻まれるシャッター音が、小気味よく耳に響く。
いい音だな。瑞樹の一眼レフを思い出してしまうよ。
あの日……亡き母の形見のカメラを持って、大空に飛び立つ鳥を撮っていたな。どんな景色よりも君が綺麗で見惚れてしまった。
大沼の雪景色のど真ん中で、瑞樹と再会した日に思いを馳せてしまった。
「あれ……滝沢さん、あそこにいるの瑞樹くんじゃないかな」
「えっどこだ?」
「ほら向こう側、信号待ちしている子」
今まさに彼の事を頭の中で考えていたので、驚いてしまった。
確かに横断歩道の向こう岸に、瑞樹が透明のビニール傘を持って立っていた。長い傘を持ってなかったのか。今度ちゃんとした傘を買ってやろう。あれでは君の美しい顔が丸見えじゃないか。
なんか俺……口やかましい恋人みたいだな。
いい加減もう少し落ち着きたいものだ。
瑞樹は手に抱えきれない程の大きな花束を持っていた。
目を凝らすと……ブルーの紫陽花に、レースフラワーなど花弁の小さい白い花をラフにまとめたデザインで、清涼な彼の雰囲気に似合っていた。
もちろん誰かのために作ったブーケを届けに行く所なのだろうが、本当に絵になる美青年ぶりだと感心してしまった。
水も滴るいい男だよ、端から見た君は。
瑞々しく清廉な雰囲気の中に、ほんのり色香が漂っている。
「絵になるね……彼、とても」
カシャカシャ──
「なんだ? 撮ったのか」
「あっすまん! 手が勝手に……滝沢さんにあげようと思って」
「欲しい! っていうか俺以外には絶対に見せるなよ」
「それはもう心得ていますよ」
ホッとした。可憐で可愛くて清楚な俺の恋人は、出来たらあまり人目に付かない場所に居て欲しい。俺サイドの心配事が増えそうだからな。
俺の心の狭い考えは……どうやら林さんにもお見通しのようだ。
「あんな若くて可愛い子が恋人だなんて、滝沢さんもおちおちしていられないな」
うっ……それ言う? まぁ図星だ。
「そういう林さんこそ、タツキ君だっけ? 相当な美人で色気あるよな」
「そうだな……今は裏方に回ったが、モデル時代は心配だったよ。生い立ちも複雑な子だったから危なっかしくて放っておけなかったんだ」
「……そうか……分かるよ。その気持ち」
俺もそうだった。瑞樹の事……知れば知るほど複雑な生い立ちで、守ってやりたいと思っていたし、あんな悲しい事件に巻き込まれ、もう心配でたまらなかった。
「まぁ今はあの頃のような不安はないが、やっぱり美人な恋人を持つと、お互い大変だよな」
「林さんのそれは惚気か」
「まぁな」
「ははっ!」
俺も同じだ。瑞樹は過去を昇華し事件も吹っ切って、今を生きている。彼自身に生きる自信が戻ってきているので、以前のように過保護なまでに守ってやらないと……という、ひっ迫した気持ちは減っている。
一方で……独り占めしたい、隠しておきたい。
これ以上目立たないで欲しいという独占欲は強くなった気がする。
「おっと、滝沢さんは見ない方がいい光景かもな」
「えっ」
向こう岸で、瑞樹は……彼よりずっと背の低い淡いピンクのスカートを雨に濡らした女の子に声を掛けられていた。
瑞樹が振り向くと、綺麗にメイクした女の子の頬が瞬時にさくらんぼのように淡い朱色に染まった。
女の子が真剣な眼差しで瑞樹に何かを告げると、困惑した表情を浮かべ……連動するように、恐縮したように、瑞樹の傘が前後に揺れた。
雨に霞む世界に、それはまるで映画のワンシーンのように、スローモーションのようにゆっくりと経過していった。
愛の告白 ~Confession of Love~
を受けたのだろうか。
暫くの沈黙の後、女の子は来た道を引き返して行った。
少し泣きそうな顔で──
瑞樹は申し訳なさそうに見送り、その後大きなため息を一つ吐いた。
そのタイミングで、長い信号がようやく青に変わった。
瑞樹は顔をすっと上げ……俺たちの方に向かって歩いてくる。
うわ、気まずいな。
透明の傘をさしているので、瑞樹の表情は傘に隠れなかった。
何かを吹っ切れたように爽やかな面持ちだった。
美しくて気立ての良い瑞樹は、どうやら話しかけやすいのか、告白されやすいみたいだ。大沼の船でも女の子から積極的に誘われていたし、これは、うかうかしていられないな。……妬いてしまうよ。
と言いつつも……毎度毎度、即答で断ってくれるのが、実はすごく嬉しい。
そろそろ買ってやりたいな。
君にバリアを張るために、薬指に指輪を贈りたい。
季節は折しも六月。
June Brideだ。
今週から関東も梅雨入りし、鬱陶しい曇天が続いている。
外出の準備を整えながらオフィスの窓に目をやると、ザーザーと雨音が聴こえる程の雨脚になっていた。
「あーあ、いよいよ本降りになっちまったな」
「こんな日に外出なんて面倒ですね」
「まぁ仕事だ、仕方がない」
「一緒に行きましょうか」
カメラマンの林さんに声を掛けられたので、荷物をまとめて部署を後にした。次の打ち合わせ先はホテルオーヤマだ。このホテルは最近、俺の担当になったので、足繁く通っている。
瑞樹の職場に近いというだけで、俺の心も浮足立つんだよな。
オフィスの外に出ると、色鮮やかな傘が通りを往来していた。
雨に濡れた街に、傘がクルクルと躍っている。
「おっこれは食指が動く景色だな。ちょっといいか」
「あぁ」
林さんは担いでた大きな鞄から撮影用の黒いカメラを取り出し、街中をカシャカシャと撮影し出した。スマホのカメラ音でない、胸に刻まれるシャッター音が、小気味よく耳に響く。
いい音だな。瑞樹の一眼レフを思い出してしまうよ。
あの日……亡き母の形見のカメラを持って、大空に飛び立つ鳥を撮っていたな。どんな景色よりも君が綺麗で見惚れてしまった。
大沼の雪景色のど真ん中で、瑞樹と再会した日に思いを馳せてしまった。
「あれ……滝沢さん、あそこにいるの瑞樹くんじゃないかな」
「えっどこだ?」
「ほら向こう側、信号待ちしている子」
今まさに彼の事を頭の中で考えていたので、驚いてしまった。
確かに横断歩道の向こう岸に、瑞樹が透明のビニール傘を持って立っていた。長い傘を持ってなかったのか。今度ちゃんとした傘を買ってやろう。あれでは君の美しい顔が丸見えじゃないか。
なんか俺……口やかましい恋人みたいだな。
いい加減もう少し落ち着きたいものだ。
瑞樹は手に抱えきれない程の大きな花束を持っていた。
目を凝らすと……ブルーの紫陽花に、レースフラワーなど花弁の小さい白い花をラフにまとめたデザインで、清涼な彼の雰囲気に似合っていた。
もちろん誰かのために作ったブーケを届けに行く所なのだろうが、本当に絵になる美青年ぶりだと感心してしまった。
水も滴るいい男だよ、端から見た君は。
瑞々しく清廉な雰囲気の中に、ほんのり色香が漂っている。
「絵になるね……彼、とても」
カシャカシャ──
「なんだ? 撮ったのか」
「あっすまん! 手が勝手に……滝沢さんにあげようと思って」
「欲しい! っていうか俺以外には絶対に見せるなよ」
「それはもう心得ていますよ」
ホッとした。可憐で可愛くて清楚な俺の恋人は、出来たらあまり人目に付かない場所に居て欲しい。俺サイドの心配事が増えそうだからな。
俺の心の狭い考えは……どうやら林さんにもお見通しのようだ。
「あんな若くて可愛い子が恋人だなんて、滝沢さんもおちおちしていられないな」
うっ……それ言う? まぁ図星だ。
「そういう林さんこそ、タツキ君だっけ? 相当な美人で色気あるよな」
「そうだな……今は裏方に回ったが、モデル時代は心配だったよ。生い立ちも複雑な子だったから危なっかしくて放っておけなかったんだ」
「……そうか……分かるよ。その気持ち」
俺もそうだった。瑞樹の事……知れば知るほど複雑な生い立ちで、守ってやりたいと思っていたし、あんな悲しい事件に巻き込まれ、もう心配でたまらなかった。
「まぁ今はあの頃のような不安はないが、やっぱり美人な恋人を持つと、お互い大変だよな」
「林さんのそれは惚気か」
「まぁな」
「ははっ!」
俺も同じだ。瑞樹は過去を昇華し事件も吹っ切って、今を生きている。彼自身に生きる自信が戻ってきているので、以前のように過保護なまでに守ってやらないと……という、ひっ迫した気持ちは減っている。
一方で……独り占めしたい、隠しておきたい。
これ以上目立たないで欲しいという独占欲は強くなった気がする。
「おっと、滝沢さんは見ない方がいい光景かもな」
「えっ」
向こう岸で、瑞樹は……彼よりずっと背の低い淡いピンクのスカートを雨に濡らした女の子に声を掛けられていた。
瑞樹が振り向くと、綺麗にメイクした女の子の頬が瞬時にさくらんぼのように淡い朱色に染まった。
女の子が真剣な眼差しで瑞樹に何かを告げると、困惑した表情を浮かべ……連動するように、恐縮したように、瑞樹の傘が前後に揺れた。
雨に霞む世界に、それはまるで映画のワンシーンのように、スローモーションのようにゆっくりと経過していった。
愛の告白 ~Confession of Love~
を受けたのだろうか。
暫くの沈黙の後、女の子は来た道を引き返して行った。
少し泣きそうな顔で──
瑞樹は申し訳なさそうに見送り、その後大きなため息を一つ吐いた。
そのタイミングで、長い信号がようやく青に変わった。
瑞樹は顔をすっと上げ……俺たちの方に向かって歩いてくる。
うわ、気まずいな。
透明の傘をさしているので、瑞樹の表情は傘に隠れなかった。
何かを吹っ切れたように爽やかな面持ちだった。
美しくて気立ての良い瑞樹は、どうやら話しかけやすいのか、告白されやすいみたいだ。大沼の船でも女の子から積極的に誘われていたし、これは、うかうかしていられないな。……妬いてしまうよ。
と言いつつも……毎度毎度、即答で断ってくれるのが、実はすごく嬉しい。
そろそろ買ってやりたいな。
君にバリアを張るために、薬指に指輪を贈りたい。
季節は折しも六月。
June Brideだ。
11
お気に入りに追加
832
あなたにおすすめの小説
夫の色のドレスを着るのをやめた結果、夫が我慢をやめてしまいました
氷雨そら
恋愛
夫の色のドレスは私には似合わない。
ある夜会、夫と一緒にいたのは夫の愛人だという噂が流れている令嬢だった。彼女は夫の瞳の色のドレスを私とは違い完璧に着こなしていた。噂が事実なのだと確信した私は、もう夫の色のドレスは着ないことに決めた。
小説家になろう様にも掲載中です
『別れても好きな人』
設樂理沙
ライト文芸
大好きな夫から好きな女性ができたから別れて欲しいと言われ、離婚した。
夫の想い人はとても美しく、自分など到底敵わないと思ったから。
ほんとうは別れたくなどなかった。
この先もずっと夫と一緒にいたかった……だけど世の中には
どうしようもないことがあるのだ。
自分で選択できないことがある。
悲しいけれど……。
―――――――――――――――――――――――――――――――――
登場人物紹介
戸田貴理子 40才
戸田正義 44才
青木誠二 28才
嘉島優子 33才
小田聖也 35才
2024.4.11 ―― プロット作成日
💛イラストはAI生成自作画像
校長室のソファの染みを知っていますか?
フルーツパフェ
大衆娯楽
校長室ならば必ず置かれている黒いソファ。
しかしそれが何のために置かれているのか、考えたことはあるだろうか。
座面にこびりついた幾つもの染みが、その真実を物語る
一宿一飯の恩義で竜伯爵様に抱かれたら、なぜか監禁されちゃいました!
当麻月菜
恋愛
宮坂 朱音(みやさか あかね)は、電車に跳ねられる寸前に異世界転移した。そして異世界人を保護する役目を担う竜伯爵の元でお世話になることになった。
しかしある日の晩、竜伯爵当主であり、朱音の保護者であり、ひそかに恋心を抱いているデュアロスが瀕死の状態で屋敷に戻ってきた。
彼は強い媚薬を盛られて苦しんでいたのだ。
このまま一晩ナニをしなければ、死んでしまうと知って、朱音は一宿一飯の恩義と、淡い恋心からデュアロスにその身を捧げた。
しかしそこから、なぜだかわからないけれど監禁生活が始まってしまい……。
好きだからこそ身を捧げた異世界女性と、強い覚悟を持って異世界女性を抱いた男が異世界婚をするまでの、しょーもないアレコレですれ違う二人の恋のおはなし。
※いつもコメントありがとうございます!現在、返信が遅れて申し訳ありません(o*。_。)oペコッ 甘口も辛口もどれもありがたく読ませていただいてます(*´ω`*)
※他のサイトにも重複投稿しています。
お腹の子と一緒に逃げたところ、結局お腹の子の父親に捕まりました。
下菊みこと
恋愛
逃げたけど逃げ切れなかったお話。
またはチャラ男だと思ってたらヤンデレだったお話。
あるいは今度こそ幸せ家族になるお話。
ご都合主義の多分ハッピーエンド?
小説家になろう様でも投稿しています。
あなたの子ですが、内緒で育てます
椿蛍
恋愛
「本当にあなたの子ですか?」
突然現れた浮気相手、私の夫である国王陛下の子を身籠っているという。
夫、王妃の座、全て奪われ冷遇される日々――王宮から、追われた私のお腹には陛下の子が宿っていた。
私は強くなることを決意する。
「この子は私が育てます!」
お腹にいる子供は王の子。
王の子だけが不思議な力を持つ。
私は育った子供を連れて王宮へ戻る。
――そして、私を追い出したことを後悔してください。
※夫の後悔、浮気相手と虐げられからのざまあ
※他サイト様でも掲載しております。
※hotランキング1位&エールありがとうございます!
公爵様、契約通り、跡継ぎを身籠りました!-もう契約は満了ですわよ・・・ね?ちょっと待って、どうして契約が終わらないんでしょうかぁぁ?!-
猫まんじゅう
恋愛
そう、没落寸前の実家を助けて頂く代わりに、跡継ぎを産む事を条件にした契約結婚だったのです。
無事跡継ぎを妊娠したフィリス。夫であるバルモント公爵との契約達成は出産までの約9か月となった。
筈だったのです······が?
◆◇◆
「この結婚は契約結婚だ。貴女の実家の財の工面はする。代わりに、貴女には私の跡継ぎを産んでもらおう」
拝啓、公爵様。財政に悩んでいた私の家を助ける代わりに、跡継ぎを産むという一時的な契約結婚でございましたよね・・・?ええ、跡継ぎは産みました。なぜ、まだ契約が完了しないんでしょうか?
「ちょ、ちょ、ちょっと待ってくださいませええ!この契約!あと・・・、一体あと、何人子供を産めば契約が満了になるのですッ!!?」
溺愛と、悪阻(ツワリ)ルートは二人がお互いに想いを通じ合わせても終わらない?
◆◇◆
安心保障のR15設定。
描写の直接的な表現はありませんが、”匂わせ”も気になる吐き悪阻体質の方はご注意ください。
ゆるゆる設定のコメディ要素あり。
つわりに付随する嘔吐表現などが多く含まれます。
※妊娠に関する内容を含みます。
【2023/07/15/9:00〜07/17/15:00, HOTランキング1位ありがとうございます!】
こちらは小説家になろうでも完結掲載しております(詳細はあとがきにて、)
懐妊を告げずに家を出ます。最愛のあなた、どうかお幸せに。
梅雨の人
恋愛
最愛の夫、ブラッド。
あなたと共に、人生が終わるその時まで互いに慈しみ、愛情に溢れる時を過ごしていけると信じていた。
その時までは。
どうか、幸せになってね。
愛しい人。
さようなら。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる