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発展編

紫陽花の咲く道 4

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 季節はあっという間に六月になっていた。

 今週から関東も梅雨入りし、鬱陶しい曇天が続いている。

 外出の準備を整えながらオフィスの窓に目をやると、ザーザーと雨音が聴こえる程の雨脚になっていた。

「あーあ、いよいよ本降りになっちまったな」
「こんな日に外出なんて面倒ですね」
「まぁ仕事だ、仕方がない」
「一緒に行きましょうか」

 カメラマンの林さんに声を掛けられたので、荷物をまとめて部署を後にした。次の打ち合わせ先はホテルオーヤマだ。このホテルは最近、俺の担当になったので、足繁く通っている。

 瑞樹の職場に近いというだけで、俺の心も浮足立つんだよな。

 オフィスの外に出ると、色鮮やかな傘が通りを往来していた。

 雨に濡れた街に、傘がクルクルと躍っている。
 
「おっこれは食指が動く景色だな。ちょっといいか」
「あぁ」

 林さんは担いでた大きな鞄から撮影用の黒いカメラを取り出し、街中をカシャカシャと撮影し出した。スマホのカメラ音でない、胸に刻まれるシャッター音が、小気味よく耳に響く。

 いい音だな。瑞樹の一眼レフを思い出してしまうよ。

 あの日……亡き母の形見のカメラを持って、大空に飛び立つ鳥を撮っていたな。どんな景色よりも君が綺麗で見惚れてしまった。

 大沼の雪景色のど真ん中で、瑞樹と再会した日に思いを馳せてしまった。

「あれ……滝沢さん、あそこにいるの瑞樹くんじゃないかな」
「えっどこだ?」
「ほら向こう側、信号待ちしている子」

 今まさに彼の事を頭の中で考えていたので、驚いてしまった。

 確かに横断歩道の向こう岸に、瑞樹が透明のビニール傘を持って立っていた。長い傘を持ってなかったのか。今度ちゃんとした傘を買ってやろう。あれでは君の美しい顔が丸見えじゃないか。

 なんか俺……口やかましい恋人みたいだな。
 いい加減もう少し落ち着きたいものだ。

 瑞樹は手に抱えきれない程の大きな花束を持っていた。

 目を凝らすと……ブルーの紫陽花に、レースフラワーなど花弁の小さい白い花をラフにまとめたデザインで、清涼な彼の雰囲気に似合っていた。

 もちろん誰かのために作ったブーケを届けに行く所なのだろうが、本当に絵になる美青年ぶりだと感心してしまった。

 水も滴るいい男だよ、端から見た君は。
 瑞々しく清廉な雰囲気の中に、ほんのり色香が漂っている。

「絵になるね……彼、とても」

 カシャカシャ──

「なんだ? 撮ったのか」
「あっすまん! 手が勝手に……滝沢さんにあげようと思って」
「欲しい! っていうか俺以外には絶対に見せるなよ」
「それはもう心得ていますよ」

 ホッとした。可憐で可愛くて清楚な俺の恋人は、出来たらあまり人目に付かない場所に居て欲しい。俺サイドの心配事が増えそうだからな。

 俺の心の狭い考えは……どうやら林さんにもお見通しのようだ。

「あんな若くて可愛い子が恋人だなんて、滝沢さんもおちおちしていられないな」

 うっ……それ言う? まぁ図星だ。

「そういう林さんこそ、タツキ君だっけ? 相当な美人で色気あるよな」
「そうだな……今は裏方に回ったが、モデル時代は心配だったよ。生い立ちも複雑な子だったから危なっかしくて放っておけなかったんだ」
「……そうか……分かるよ。その気持ち」

 俺もそうだった。瑞樹の事……知れば知るほど複雑な生い立ちで、守ってやりたいと思っていたし、あんな悲しい事件に巻き込まれ、もう心配でたまらなかった。

「まぁ今はあの頃のような不安はないが、やっぱり美人な恋人を持つと、お互い大変だよな」
「林さんのそれは惚気か」
「まぁな」
「ははっ!」

 俺も同じだ。瑞樹は過去を昇華し事件も吹っ切って、今を生きている。彼自身に生きる自信が戻ってきているので、以前のように過保護なまでに守ってやらないと……という、ひっ迫した気持ちは減っている。
 
 一方で……独り占めしたい、隠しておきたい。

 これ以上目立たないで欲しいという独占欲は強くなった気がする。

「おっと、滝沢さんは見ない方がいい光景かもな」
「えっ」

 向こう岸で、瑞樹は……彼よりずっと背の低い淡いピンクのスカートを雨に濡らした女の子に声を掛けられていた。

 瑞樹が振り向くと、綺麗にメイクした女の子の頬が瞬時にさくらんぼのように淡い朱色に染まった。

 女の子が真剣な眼差しで瑞樹に何かを告げると、困惑した表情を浮かべ……連動するように、恐縮したように、瑞樹の傘が前後に揺れた。

 雨に霞む世界に、それはまるで映画のワンシーンのように、スローモーションのようにゆっくりと経過していった。

 愛の告白 ~Confession of Love~

 を受けたのだろうか。

 暫くの沈黙の後、女の子は来た道を引き返して行った。

 少し泣きそうな顔で──

 瑞樹は申し訳なさそうに見送り、その後大きなため息を一つ吐いた。

 そのタイミングで、長い信号がようやく青に変わった。

 瑞樹は顔をすっと上げ……俺たちの方に向かって歩いてくる。

 うわ、気まずいな。

 透明の傘をさしているので、瑞樹の表情は傘に隠れなかった。

 何かを吹っ切れたように爽やかな面持ちだった。

 美しくて気立ての良い瑞樹は、どうやら話しかけやすいのか、告白されやすいみたいだ。大沼の船でも女の子から積極的に誘われていたし、これは、うかうかしていられないな。……妬いてしまうよ。

 と言いつつも……毎度毎度、即答で断ってくれるのが、実はすごく嬉しい。



 そろそろ買ってやりたいな。

 君にバリアを張るために、薬指に指輪を贈りたい。

 季節は折しも六月。

 June Brideだ。



 
 

 


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