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発展編

花の行先 6

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 自分の取った行動が逃げ腰だったのが恥ずかしく、宗吾さんからの電話には出られなかった。あれだけ菅野に励まされたのに、あれだけ背中を押してもらったのに……僕は意気地なしだ。

 だって……今話すと泣いてしまいそうだ。でも……心配させてしまうのは嫌なのでメールは打った。

『帰ってもいいですか』

 速攻で返事があった。

『悪かった。駅まで迎えに行く』

 短い文章に、彼からの溢れる愛を感じる。

 この様子では、きっと宗吾さんは何もかも知ってしまったのだろう。

 今日の僕の行動が見透かされているのが恥ずかしい。昨夜偉そうに、芽生くんとお母さんの時間をちゃんと作った方がいいなどとアドバイスしたのに、舌の根も乾かぬうちに……玲子さんから逃げるように、嘘までついて飛び出してしまうなんて。

 穴があったら入りたいよ、自分が情けなくて──

 僕が着くのが先だったのか、駅に宗吾さんはいなかった。

 どうしよう──少しだけ頭を冷やしてから帰りたい。

 駅から宗吾さんの家に向かう途中に小さな公園があったので寄り道をした。

 ブランコに腰かけて、月を見上げる。

「三日月か……」

 月にも笑われているようだな。

 ちっぽけな僕の存在、考え……

 ギィギィと小さくブランコを揺らすと、心がまた揺れ出した。

 ブランコに乗るのは、久しぶりだ。

 手に持った鈴蘭の小さなブーケも夜風に揺れていた。
 
 小さな蟠りなんて、もう……捨ててしまいたい。

 涙と一緒に散らしてしまおう。

 そう思ってもう寸前まで込み上げていた涙の行先を考えていると、突然ブランコが大きく揺れ出した。

「えっ!」
「瑞樹、しっかり掴まってろよ」
「わっ! そんなに揺らしたら怖いです」
「大丈夫だ! 俺がいるから」

 空高く蹴りあがるブランコ。

 三日月を蹴飛ばすように、本当に高くまで揺らされると、怖いやらおかしいやらで……

「お腹がくすぐったくて……」

 最後には前屈みで笑ってしまった。その拍子に涙がはらはらと乾いた土を滲ますように舞い落ちた。

「瑞樹……心配したぞ。駅にいないから」
「すみません。ここが……よく分かりましたね」
「花の匂いがしたからな。鈴蘭か……本当に会社に行ってきたんだな。お疲れ様」
「あ……あの」
「少し話そうか」
「……はい」

 宗吾さんも隣のブランコに座った。

 大柄な宗吾さんに子供のブランコは窮屈そうなのに、器用に上へ上へと漕ぎ出した。

「瑞樹、ごめんな。今日は俺の事情で、いらぬ気を沢山遣わせちまったな」

 今なら言えそうだ。

 ブランコの前後の揺れが僕の秘めたる言葉を吐き出すのを、手伝ってくれる。

「僕こそ、すみませんでした。宗吾さんに嘘つきました……玲子さんから……逃げました」
「……いいんだよ。そうしてしまった君の気持が痛い程分かるから。そこは侘びるな。そんな気持ちにさせてしまった俺が悪かった」
「くすっ何だか僕たち……お互いに謝ってばかりですね」

 宗吾さんがキリっとブランコを停めて、振り向いた。

「あぁそうだな。瑞樹……家に帰ろう」
「一緒に家に帰ってくれるか。あそこは君と俺の家なんだよ。もう」
「宗吾さん……」

 宗吾さんの『家に帰ろう』という言葉に、胸の奥がキュンと切なくなった。

 宗吾さんにそんな顔させてしまって申し訳ないのと同時に、不謹慎かもしれないが、宗吾さんにそんな顔をさせていることが嬉しくもなった。

 後者の気持ちは今までに抱いた事のない気持ちなので恥ずかしくもなった。

「宗吾さん、僕も……もう家に帰りたいです」

 甘えた言葉は、僕の本音。

 宗吾さんは公園の街灯から僕を隠すように、暗闇でそっと抱きしめてくれた。

 彼の匂いに包まれ、ようやくホッと出来た。

「あぁ連れて帰る。瑞樹は可愛いな。俺のもんだ」

 そんな独占欲の籠った言葉が今は嬉しい。

 角度により街灯に顔が明るく照らされると、今度は面映ゆい気持ちになった。

「僕の顔……変ではありませんか」
「うーん、敷いていえば目が潤んでいるかな」
「え?」
「キスして欲しそうな顔だ」

 ぼそっと呟かれ、ますます頬が火照ってしまう。もうっ──

「もう、それ以上やめて下さい。まともでいられなくなります!」

 宗吾さんの家では、玲子さんが僕と挨拶するために、待っているそうだ。

 今度は目を背けないし、逃げない。

 宗吾さんが隣にいてくれる。

 だから、頑張ろう。



****



「じゃあ迎えに行ってくるから、留守番頼むよ」
「分かったわ」
「パパいってらっしゃい」

 玲子と芽生に見送られて、家を出る。

 かつての日常……朝の光景が一瞬過ぎった。

 きっと今日が最後になるな。こんな風に見送られるのは。

 そう思うと短い結婚生活を共に過ごし、芽生を産んでくれた玲子には、感謝したい気持ちになった。

「ありがとう」

 頭を下げて礼を言うと、玲子が困ったように笑った。

「もうっ変わりすぎ。あなたをこんなに変えたのは、瑞樹クンなのね。彼の存在って、あなたにとって本当にすごいのね」

「あぁ俺にとって幸せな存在なんだよ。瑞樹は……」



 駅までは、ひた走った。

 会いたくて、君に早く会いたくて。

 途中の公園で一瞬、大沼で君が胸に抱いたブーケに似た香りが過ぎった。

 一瞬足を止め迷ったが、駅を目指した。

 だが駅の改札に姿が見えないことで、逆に確信した。

 さっきの公園に君がいると。

 愛する君がいると──


 寂し気に月を見上げ、ブランコを揺らす君の手には、真っ白なスズランの花が可憐に揺れていた。

 君の誕生花……スズランの花言葉なら、ちゃんと覚えている。

 「return of happiness(再び幸せが訪れる)」
 「sweetness(優しさ、愛らしさ)」
 「humility(謙遜)」
 「purity(純粋)」

 すべて……瑞樹……君のことだ。

 何度でも……君を幸せにしてあげたい。

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