上 下
282 / 1,743
発展編

さくら色の故郷 10

しおりを挟む

「……大ありです!」

 そう叫んだ途端に立ち止まったのは、広樹兄さんの方だった。

「瑞樹、どうした?」
「うっ……」
「銭湯、まずいのか」
「……」

 どう答えていいのか困ってしまい押し黙ると、兄さんが突然僕の腕を掴んで回れ右をし、ずんずんと歩き出した。

「よしっ分かった」
「えっ! 兄さん待って……銭湯は? 」
「あー俺たちだけで行くから、瑞樹はやっぱ家の風呂にしとけ」
「……あ、そうか、そうだな。その方がいい」

 宗吾さんも、ようやく僕の戸惑いに気付いてくれた。

「あ……じゃあ、そうします」
「あぁそうしろ。いや、絶対にそうすべきだ! 」
「そっ宗吾さん、声、大きいです 」

 一緒に行けない理由が理由なだけに、ものすごく気まずい沈黙が流れてしまった。そんな僕のことを、広樹兄さんが気遣って励ましてくれる。

「まぁ……瑞樹は昔から銭湯は苦手だもんな。ほらほら早く戻るぞ」
「う、うん」


****

 瑞樹に申し訳ないことをした。猛反省だ。
 
 こうなる可能性が少しでもあるのなら、彼の胸元にまるで所有の証のような痕を散らすべきではなかった。

 節操なしの俺は一度触れてしまうと止まらなくなってしまう。 俺は瑞樹に溺れすぎだ。もっと自制しないと! だが、今後もきっと同じことをしてしまう気がする。

 それは、彼のことが好き過ぎて―

 しかし広樹はすごいな。瑞樹からは何も告げていないのに、何に困っているかを瞬時に理解したってわけか。本当に弟思いの出来た兄だ。

 今までは同い年だし、初っ端に誤解しあったこともあって闘争心が燃えていたのだが、瑞樹はこの兄にずっと見守られて成長したのかと思うと、畏敬の念と感謝の気持ちが芽生えた。

「おぉ~いい湯だな」
「ここはこじんまりしていて、いいだろう。銭湯だけど、一部に温泉を引いているんだぜ」
「ホッとするな。あのさ……さっきは悪かった」
「なんだ、改まって」
「瑞樹が銭湯に行けない理由……全部、俺のせいだ。いち早く察してくれて助かったよ」
「いや……過去に俺はいろいろ見過ごしてしまったから、瑞樹に関しては、人一倍、敏感になっているだけさ」

 どこか後悔の念が滲む渋い返事だった。きっと軽井沢の事件や弟とのことを指しているのだろう。

「なるほど、でもやっぱりすごいぞ。その嗅覚、見習いたい! 」

 ここは小さな銭湯なので湯船も狭い。

 実際に広樹と並ぶと距離が近すぎる程で、お互いの裸が丸見えだ。ここに瑞樹がいたら、さぞかし居たたまれなかっただろう。

 といいつつ、頭の中ですぐ横にもしも瑞樹が裸で浸かっていたら、胸に散らした花弁がお湯に滲んで波打って美しい光景だったろう……などと妄想しそうになり、頭をブンブン横に振った。

 あー俺も最低だな。
 もっと気を付けないといけないのは俺だ。
 もっと瑞樹の立場も考えて……


「まぁ瑞樹の困った様子に察したっていうか……実は観覧車に乗った時に気づいていたんだ。それでもしかして……中はもっと大変なことになっているのではと思ったわけさ。ははは……」

 広樹が乾いた笑いを浮かべながら、自分の首元を指さしたので、ハッとした。そうか、あれはまだ昨夜のことだ。

『あっ、駄目です、そこは見えてしまう!』
『ここならギリギリ大丈夫だ』
『んっ……ん』

 恥ずかしそうに震える瞳に征服欲が芽生えて、首元をしつこく吸い上げてしまったのは、この俺だ。堪えるような彼の表情に煽られ、何度も何度もしつこく胸元にも散らしてしまった。

「すっすまん。その、いろいろ迷惑かけた」

「いや……まぁ正直、複雑だが、瑞樹のことを丸ごと愛してくれているんだよな。でもあまり困らせないでくれ。アイツ……お前も知っている通り、今までいろいろあって結構ナイーブなんだ」

「あぁ分かっているのに……浮かれてしまったようだ。やっぱり、すまん……反省している、情けないな」

「まぁそう気を堕とすな。それに瑞樹自身も満更でもないようだぜ。さっきなんて居酒屋で蕩けそうな顔して、お前のこと見つめていたし。まぁその兄としては結構複雑だがな」

 そうか、その言葉に元気をもらえる。

「そうだ、宗吾にも話しておくことがあって。今日お前と二人きりになれたのは、いい機会かも」
「改まって何だ?」
「……俺さ、秋に結婚するよ」
「えっそうなのか」
「大事な弟も落ち着いたし、俺も一歩進む時期だと、ようやく思えるようになったわけさ」
「そうだったのか。おめでとう……幸せになれよ」
「あぁこれからも瑞樹の兄には変わりないが、瑞樹のことしっかり頼んだぞ。二度と泣かすなよ」

 広樹の言葉に、10歳の時から兄として瑞樹を見守ってきた長い年月の重みを感じた。

「大事にする。ずっと大事にする。一緒に生きていきたい人なんだ……瑞樹は」

「瑞樹も同じ気持ちだぜ。なぁ俺にとって可愛い弟なんだ。本当に昔からいい子で、優しくて、心が綺麗でさ……ずっと大事にしてきたんだ。お前に任せるから……頼むからずっと幸せなままにしてやってくれよ」

 俺の肩をポンポンと叩く広樹の目には、キラリと光るものが浮かんでいた。

「あーここ、暑いな。もう逆上せそうだ。先に身体を洗ってくるよ」

 広樹はさりげなく目を擦りながら、ザブンと音を立てて豪快に立ち上がった。

「大事にする! お前のその涙に誓って」
「おっ…俺は、泣いてなんかいないぞ!」

 振り返った広樹は、照れくさそうに笑った。

 やっぱりその目には光るものが浮かんでいた。

 俺の大切な瑞樹が、周りにこんなにも愛されているのが嬉しくて、何だか俺まで男泣きしてしまった。

 瑞樹と出逢い、恋し、思いが通じ、愛を深め合って、全てを晒し合って、ますます君が好きになっていく。

 愛の深さは無限大なんだな。

 泣く程好きな人に巡り合えて、嬉しい。

 





しおりを挟む
感想 76

あなたにおすすめの小説

病気になって芸能界から消えたアイドル。退院し、復学先の高校には昔の仕事仲間が居たけれど、彼女は俺だと気付かない

月島日向
ライト文芸
俺、日生遼、本名、竹中祐は2年前に病に倒れた。 人気絶頂だった『Cherry’s』のリーダーをやめた。 2年間の闘病生活に一区切りし、久しぶりに高校に通うことになった。けど、誰も俺の事を元アイドルだとは思わない。薬で細くなった手足。そんな細身の体にアンバランスなムーンフェイス(薬の副作用で顔だけが大きくなる事) 。 誰も俺に気付いてはくれない。そう。 2年間、連絡をくれ続け、俺が無視してきた彼女さえも。 もう、全部どうでもよく感じた。

夫の色のドレスを着るのをやめた結果、夫が我慢をやめてしまいました

氷雨そら
恋愛
夫の色のドレスは私には似合わない。 ある夜会、夫と一緒にいたのは夫の愛人だという噂が流れている令嬢だった。彼女は夫の瞳の色のドレスを私とは違い完璧に着こなしていた。噂が事実なのだと確信した私は、もう夫の色のドレスは着ないことに決めた。 小説家になろう様にも掲載中です

王子を身籠りました

青の雀
恋愛
婚約者である王太子から、毒を盛って殺そうとした冤罪をかけられ収監されるが、その時すでに王太子の子供を身籠っていたセレンティー。 王太子に黙って、出産するも子供の容姿が王家特有の金髪金眼だった。 再び、王太子が毒を盛られ、死にかけた時、我が子と対面するが…というお話。

愛された側妃と、愛されなかった正妃

編端みどり
恋愛
隣国から嫁いだ正妃は、夫に全く相手にされない。 夫が愛しているのは、美人で妖艶な側妃だけ。 連れて来た使用人はいつの間にか入れ替えられ、味方がいなくなり、全てを諦めていた正妃は、ある日側妃に子が産まれたと知った。自分の子として育てろと無茶振りをした国王と違い、産まれたばかりの赤ん坊は可愛らしかった。 正妃は、子育てを通じて強く逞しくなり、夫を切り捨てると決めた。 ※カクヨムさんにも掲載中 ※ 『※』があるところは、血の流れるシーンがあります ※センシティブな表現があります。血縁を重視している世界観のためです。このような考え方を肯定するものではありません。不快な表現があればご指摘下さい。

イケメン社長と私が結婚!?初めての『気持ちイイ』を体に教え込まれる!?

すずなり。
恋愛
ある日、彼氏が自分の住んでるアパートを引き払い、勝手に『同棲』を求めてきた。 「お前が働いてるんだから俺は家にいる。」 家事をするわけでもなく、食費をくれるわけでもなく・・・デートもしない。 「私は母親じゃない・・・!」 そう言って家を飛び出した。 夜遅く、何も持たず、靴も履かず・・・一人で泣きながら歩いてるとこを保護してくれた一人の人。 「何があった?送ってく。」 それはいつも仕事場のカフェに来てくれる常連さんだった。 「俺と・・・結婚してほしい。」 「!?」 突然の結婚の申し込み。彼のことは何も知らなかったけど・・・惹かれるのに時間はかからない。 かっこよくて・・優しくて・・・紳士な彼は私を心から愛してくれる。 そんな彼に、私は想いを返したい。 「俺に・・・全てを見せて。」 苦手意識の強かった『営み』。 彼の手によって私の感じ方が変わっていく・・・。 「いあぁぁぁっ・・!!」 「感じやすいんだな・・・。」 ※お話は全て想像の世界のものです。現実世界とはなんら関係ありません。 ※お話の中に出てくる病気、治療法などは想像のものとしてご覧ください。 ※誤字脱字、表現不足は重々承知しております。日々精進してまいりますので温かく見ていただけると嬉しいです。 ※コメントや感想は受け付けることができません。メンタルが薄氷なもので・・すみません。 それではお楽しみください。すずなり。

隠れSubは大好きなDomに跪きたい

みー
BL
⚠️Dom/Subユニバース 一部オリジナル表現があります。 ハイランクDom×ハイランクSub

【完結・BL】俺をフッた初恋相手が、転勤して上司になったんだが?【先輩×後輩】

彩華
BL
『俺、そんな目でお前のこと見れない』 高校一年の冬。俺の初恋は、見事に玉砕した。 その後、俺は見事にDTのまま。あっという間に25になり。何の変化もないまま、ごくごくありふれたサラリーマンになった俺。 そんな俺の前に、運命の悪戯か。再び初恋相手は現れて────!?

【BL】国民的アイドルグループ内でBLなんて勘弁してください。

白猫
BL
国民的アイドルグループ【kasis】のメンバーである、片桐悠真(18)は悩んでいた。 最近どうも自分がおかしい。まさに悪い夢のようだ。ノーマルだったはずのこの自分が。 (同じグループにいる王子様系アイドルに恋をしてしまったかもしれないなんて……!) (勘違いだよな? そうに決まってる!) 気のせいであることを確認しようとすればするほどドツボにハマっていき……。

処理中です...