229 / 1,730
発展編
幸せを呼ぶ 15
しおりを挟む
気が付けば季節は三月から四月へ。
4月1日。今日から僕は仕事に復帰する。
結局、12月中旬から3カ月半も休職してしまった。なのに……まさか同じポジションに戻れるなんて思いもしなかった。また僕の手で花を生かせるのかと思うと胸が高鳴る。
やはり僕にとってフラワーアーティストの職業は天職だ。だからこれからもますます精進して邁進していきたい。
先日渋谷のデパートで宗吾さんに選んでもらった新しいスーツに身を包むと、気が引き締まった。
これを一緒に選んだの、楽しかったな。
宗吾さんは広告代理店に勤めているだけあって、流行に敏感だ、品質の良いものを知っている。僕は正直今までお金もなかったしスーツに拘るどころではなかった。
宗吾さんに見立ててもらった物は少し高めだったので奮発したが、とても気に入っている。
試着した時にも感じたけれども、着心地が良く腕も動かしやすいな。これなら仕事が捗りそうだ。
鏡の前でネクタイを締めながら、洗面所の鏡の奥の自分の顔をじっと見つめた。
あの日ボロボロになった僕はもういない。あの軽井沢で鏡に映った傷だらけの悲惨な状態を見てから暫く鏡を覗くのが怖ったが、もう大丈夫だ。
未来への希望の溢れている今の僕に、過去はもう僕を襲ってこない。
過去は消せないが、そこに留めておけばいい。もう僕に影響を与えるな。
「よしっ、頑張ろう! 」
今日は久しぶりに宗吾さんとバス停で待ち合わせをしている。
僕の住んでいる家から駅に向かう道は長い下り坂になっているので、上りは辛いが下りは楽だ。もうすぐ宗吾さんに会えると思うと足取りもつい軽くなる。
歩いていると桜の花びらがひらひらと少し舞ってきた。
「すっかり季節は巡って、もう春だな」
道の両脇の街路樹は桜の樹なので、この時期は最高だ。桜がアーチを作り見事な光景だ。もう少しすると桜吹雪で風もピンク色になるんだ。毎年毎年繰り返される風景だが、今年はきっと格別だろう。
きっともうすぐだ。見上げると空を覆う桜色。
僕の新しいスタートを祝ってくれるようで、思わず目を細めてしまった。
やがて公園前の幼稚園バスの停留所が見えてくる。
今は幼稚園は春休みなので誰もいないバス停に、宗吾さんが立っていた。
遠目でもすぐに分かるよ。
背が高くてカッコいい。そしてあのスーツを着てくれている。
僕がスーツを買った時、さりげなく宗吾さんも色違いの生地を購入した。僕は濃紺で、宗吾さんは明るめのグレーだ。
本当は僕に淡いグレーのスーツを着せたかったようだが、僕はホテルで打ち合わせをすることも多いので濃紺の方がベターだった。そうしたら『じゃあこっちは俺が買う』と言いだして……宗吾さんって案外可愛い所もあるんだよな。
「瑞樹、おはよう!」
「おはようございます。宗吾さん」
声を掛け合って、あぁようやく日常が戻ってきたとしみじみと実感できた。
いつぶりだろう。こんな風にお互いスーツ姿で、この坂道で朝の挨拶できるのは。
何もない平凡な1日が、僕と宗吾さんにとってどんなに大切なものかを噛みしめた。
「おっやっぱりそのスーツいいな。瑞樹の良さを引き立てていているよ」
「宗吾さんこそ……とても素敵です」
「お揃いだな」
「傍目には分からないかもしれませんが、お揃いですね。嬉しいです」
「俺もだ。それに今日から4月だろう。瑞樹が俺の家に越してくるのをカウントダウンできるな」
「はい、荷物もだいぶ整理できたし順調です」
「うん、待っているぞ」
電車に乗り込むと車両の中はすごい人だった。久しぶりに満員電車にたじろいでしまい、人波に押され、あっという間に宗吾さんと離れ離れになりそうだった。
「うわっ」
「瑞樹、こっちだ! 」
グイっと僕の腕を力強く引いてくれて、胸元に寄せてくれる。
その逞しさに、朝からドキっとしてしまった。
うわ、まずい。
今の僕は宗吾さんに触れられると必要以上に過敏に反応してしまう。僕の躰があなたに抱かれたがっているからとは絶対に言えないけれども。
僕だけの秘密だ。
出逢って間もない頃、やはりこんな風に満員電車で宗吾さんと至近距離で接し、ドキドキしたことを思い出す。
あの時のトキメキと今のトキメキは同じだ。
いやそれ以上かも?
僕はとても新鮮な気持ちで、新しく始まるこの4月を受け入れていた。
「大丈夫か」
「はい」
「俺にもたれていいからな」
「はい」
「無理するなよ」
小声で交わす会話に、ほっとする。
久しぶりの満員電車に面食らっている僕を心配してくれている。
大丈夫。大丈夫だ。
すぐ傍に宗吾さんがいてくれる安心感。宗吾さんの存在が、こんなに心強いことだなんて。
この大都会でも、僕はちゃんと生きていける。
電車の揺れに任せながら、宗吾さんの存在に感謝した。
「あれ? 瑞樹の髪に桜の花びらがついているな」
「え……」
「ほらここだ」
耳の上の髪を梳くように触れられ、ドキっとした。
耳たぶに宗吾さんの指先が掠めるだけで、火照ってしまう。
「どこですか」
慌てて手を伸ばして取ろうとしたら制された。
「可愛いからそのままに」
「……そんなっ」
4月1日。今日から僕は仕事に復帰する。
結局、12月中旬から3カ月半も休職してしまった。なのに……まさか同じポジションに戻れるなんて思いもしなかった。また僕の手で花を生かせるのかと思うと胸が高鳴る。
やはり僕にとってフラワーアーティストの職業は天職だ。だからこれからもますます精進して邁進していきたい。
先日渋谷のデパートで宗吾さんに選んでもらった新しいスーツに身を包むと、気が引き締まった。
これを一緒に選んだの、楽しかったな。
宗吾さんは広告代理店に勤めているだけあって、流行に敏感だ、品質の良いものを知っている。僕は正直今までお金もなかったしスーツに拘るどころではなかった。
宗吾さんに見立ててもらった物は少し高めだったので奮発したが、とても気に入っている。
試着した時にも感じたけれども、着心地が良く腕も動かしやすいな。これなら仕事が捗りそうだ。
鏡の前でネクタイを締めながら、洗面所の鏡の奥の自分の顔をじっと見つめた。
あの日ボロボロになった僕はもういない。あの軽井沢で鏡に映った傷だらけの悲惨な状態を見てから暫く鏡を覗くのが怖ったが、もう大丈夫だ。
未来への希望の溢れている今の僕に、過去はもう僕を襲ってこない。
過去は消せないが、そこに留めておけばいい。もう僕に影響を与えるな。
「よしっ、頑張ろう! 」
今日は久しぶりに宗吾さんとバス停で待ち合わせをしている。
僕の住んでいる家から駅に向かう道は長い下り坂になっているので、上りは辛いが下りは楽だ。もうすぐ宗吾さんに会えると思うと足取りもつい軽くなる。
歩いていると桜の花びらがひらひらと少し舞ってきた。
「すっかり季節は巡って、もう春だな」
道の両脇の街路樹は桜の樹なので、この時期は最高だ。桜がアーチを作り見事な光景だ。もう少しすると桜吹雪で風もピンク色になるんだ。毎年毎年繰り返される風景だが、今年はきっと格別だろう。
きっともうすぐだ。見上げると空を覆う桜色。
僕の新しいスタートを祝ってくれるようで、思わず目を細めてしまった。
やがて公園前の幼稚園バスの停留所が見えてくる。
今は幼稚園は春休みなので誰もいないバス停に、宗吾さんが立っていた。
遠目でもすぐに分かるよ。
背が高くてカッコいい。そしてあのスーツを着てくれている。
僕がスーツを買った時、さりげなく宗吾さんも色違いの生地を購入した。僕は濃紺で、宗吾さんは明るめのグレーだ。
本当は僕に淡いグレーのスーツを着せたかったようだが、僕はホテルで打ち合わせをすることも多いので濃紺の方がベターだった。そうしたら『じゃあこっちは俺が買う』と言いだして……宗吾さんって案外可愛い所もあるんだよな。
「瑞樹、おはよう!」
「おはようございます。宗吾さん」
声を掛け合って、あぁようやく日常が戻ってきたとしみじみと実感できた。
いつぶりだろう。こんな風にお互いスーツ姿で、この坂道で朝の挨拶できるのは。
何もない平凡な1日が、僕と宗吾さんにとってどんなに大切なものかを噛みしめた。
「おっやっぱりそのスーツいいな。瑞樹の良さを引き立てていているよ」
「宗吾さんこそ……とても素敵です」
「お揃いだな」
「傍目には分からないかもしれませんが、お揃いですね。嬉しいです」
「俺もだ。それに今日から4月だろう。瑞樹が俺の家に越してくるのをカウントダウンできるな」
「はい、荷物もだいぶ整理できたし順調です」
「うん、待っているぞ」
電車に乗り込むと車両の中はすごい人だった。久しぶりに満員電車にたじろいでしまい、人波に押され、あっという間に宗吾さんと離れ離れになりそうだった。
「うわっ」
「瑞樹、こっちだ! 」
グイっと僕の腕を力強く引いてくれて、胸元に寄せてくれる。
その逞しさに、朝からドキっとしてしまった。
うわ、まずい。
今の僕は宗吾さんに触れられると必要以上に過敏に反応してしまう。僕の躰があなたに抱かれたがっているからとは絶対に言えないけれども。
僕だけの秘密だ。
出逢って間もない頃、やはりこんな風に満員電車で宗吾さんと至近距離で接し、ドキドキしたことを思い出す。
あの時のトキメキと今のトキメキは同じだ。
いやそれ以上かも?
僕はとても新鮮な気持ちで、新しく始まるこの4月を受け入れていた。
「大丈夫か」
「はい」
「俺にもたれていいからな」
「はい」
「無理するなよ」
小声で交わす会話に、ほっとする。
久しぶりの満員電車に面食らっている僕を心配してくれている。
大丈夫。大丈夫だ。
すぐ傍に宗吾さんがいてくれる安心感。宗吾さんの存在が、こんなに心強いことだなんて。
この大都会でも、僕はちゃんと生きていける。
電車の揺れに任せながら、宗吾さんの存在に感謝した。
「あれ? 瑞樹の髪に桜の花びらがついているな」
「え……」
「ほらここだ」
耳の上の髪を梳くように触れられ、ドキっとした。
耳たぶに宗吾さんの指先が掠めるだけで、火照ってしまう。
「どこですか」
慌てて手を伸ばして取ろうとしたら制された。
「可愛いからそのままに」
「……そんなっ」
11
お気に入りに追加
832
あなたにおすすめの小説
夫の色のドレスを着るのをやめた結果、夫が我慢をやめてしまいました
氷雨そら
恋愛
夫の色のドレスは私には似合わない。
ある夜会、夫と一緒にいたのは夫の愛人だという噂が流れている令嬢だった。彼女は夫の瞳の色のドレスを私とは違い完璧に着こなしていた。噂が事実なのだと確信した私は、もう夫の色のドレスは着ないことに決めた。
小説家になろう様にも掲載中です
『別れても好きな人』
設樂理沙
ライト文芸
大好きな夫から好きな女性ができたから別れて欲しいと言われ、離婚した。
夫の想い人はとても美しく、自分など到底敵わないと思ったから。
ほんとうは別れたくなどなかった。
この先もずっと夫と一緒にいたかった……だけど世の中には
どうしようもないことがあるのだ。
自分で選択できないことがある。
悲しいけれど……。
―――――――――――――――――――――――――――――――――
登場人物紹介
戸田貴理子 40才
戸田正義 44才
青木誠二 28才
嘉島優子 33才
小田聖也 35才
2024.4.11 ―― プロット作成日
💛イラストはAI生成自作画像
校長室のソファの染みを知っていますか?
フルーツパフェ
大衆娯楽
校長室ならば必ず置かれている黒いソファ。
しかしそれが何のために置かれているのか、考えたことはあるだろうか。
座面にこびりついた幾つもの染みが、その真実を物語る
一宿一飯の恩義で竜伯爵様に抱かれたら、なぜか監禁されちゃいました!
当麻月菜
恋愛
宮坂 朱音(みやさか あかね)は、電車に跳ねられる寸前に異世界転移した。そして異世界人を保護する役目を担う竜伯爵の元でお世話になることになった。
しかしある日の晩、竜伯爵当主であり、朱音の保護者であり、ひそかに恋心を抱いているデュアロスが瀕死の状態で屋敷に戻ってきた。
彼は強い媚薬を盛られて苦しんでいたのだ。
このまま一晩ナニをしなければ、死んでしまうと知って、朱音は一宿一飯の恩義と、淡い恋心からデュアロスにその身を捧げた。
しかしそこから、なぜだかわからないけれど監禁生活が始まってしまい……。
好きだからこそ身を捧げた異世界女性と、強い覚悟を持って異世界女性を抱いた男が異世界婚をするまでの、しょーもないアレコレですれ違う二人の恋のおはなし。
※いつもコメントありがとうございます!現在、返信が遅れて申し訳ありません(o*。_。)oペコッ 甘口も辛口もどれもありがたく読ませていただいてます(*´ω`*)
※他のサイトにも重複投稿しています。
お腹の子と一緒に逃げたところ、結局お腹の子の父親に捕まりました。
下菊みこと
恋愛
逃げたけど逃げ切れなかったお話。
またはチャラ男だと思ってたらヤンデレだったお話。
あるいは今度こそ幸せ家族になるお話。
ご都合主義の多分ハッピーエンド?
小説家になろう様でも投稿しています。
あなたの子ですが、内緒で育てます
椿蛍
恋愛
「本当にあなたの子ですか?」
突然現れた浮気相手、私の夫である国王陛下の子を身籠っているという。
夫、王妃の座、全て奪われ冷遇される日々――王宮から、追われた私のお腹には陛下の子が宿っていた。
私は強くなることを決意する。
「この子は私が育てます!」
お腹にいる子供は王の子。
王の子だけが不思議な力を持つ。
私は育った子供を連れて王宮へ戻る。
――そして、私を追い出したことを後悔してください。
※夫の後悔、浮気相手と虐げられからのざまあ
※他サイト様でも掲載しております。
※hotランキング1位&エールありがとうございます!
公爵様、契約通り、跡継ぎを身籠りました!-もう契約は満了ですわよ・・・ね?ちょっと待って、どうして契約が終わらないんでしょうかぁぁ?!-
猫まんじゅう
恋愛
そう、没落寸前の実家を助けて頂く代わりに、跡継ぎを産む事を条件にした契約結婚だったのです。
無事跡継ぎを妊娠したフィリス。夫であるバルモント公爵との契約達成は出産までの約9か月となった。
筈だったのです······が?
◆◇◆
「この結婚は契約結婚だ。貴女の実家の財の工面はする。代わりに、貴女には私の跡継ぎを産んでもらおう」
拝啓、公爵様。財政に悩んでいた私の家を助ける代わりに、跡継ぎを産むという一時的な契約結婚でございましたよね・・・?ええ、跡継ぎは産みました。なぜ、まだ契約が完了しないんでしょうか?
「ちょ、ちょ、ちょっと待ってくださいませええ!この契約!あと・・・、一体あと、何人子供を産めば契約が満了になるのですッ!!?」
溺愛と、悪阻(ツワリ)ルートは二人がお互いに想いを通じ合わせても終わらない?
◆◇◆
安心保障のR15設定。
描写の直接的な表現はありませんが、”匂わせ”も気になる吐き悪阻体質の方はご注意ください。
ゆるゆる設定のコメディ要素あり。
つわりに付随する嘔吐表現などが多く含まれます。
※妊娠に関する内容を含みます。
【2023/07/15/9:00〜07/17/15:00, HOTランキング1位ありがとうございます!】
こちらは小説家になろうでも完結掲載しております(詳細はあとがきにて、)
懐妊を告げずに家を出ます。最愛のあなた、どうかお幸せに。
梅雨の人
恋愛
最愛の夫、ブラッド。
あなたと共に、人生が終わるその時まで互いに慈しみ、愛情に溢れる時を過ごしていけると信じていた。
その時までは。
どうか、幸せになってね。
愛しい人。
さようなら。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる