229 / 1,743
発展編
幸せを呼ぶ 15
しおりを挟む
気が付けば季節は三月から四月へ。
4月1日。今日から僕は仕事に復帰する。
結局、12月中旬から3カ月半も休職してしまった。なのに……まさか同じポジションに戻れるなんて思いもしなかった。また僕の手で花を生かせるのかと思うと胸が高鳴る。
やはり僕にとってフラワーアーティストの職業は天職だ。だからこれからもますます精進して邁進していきたい。
先日渋谷のデパートで宗吾さんに選んでもらった新しいスーツに身を包むと、気が引き締まった。
これを一緒に選んだの、楽しかったな。
宗吾さんは広告代理店に勤めているだけあって、流行に敏感だ、品質の良いものを知っている。僕は正直今までお金もなかったしスーツに拘るどころではなかった。
宗吾さんに見立ててもらった物は少し高めだったので奮発したが、とても気に入っている。
試着した時にも感じたけれども、着心地が良く腕も動かしやすいな。これなら仕事が捗りそうだ。
鏡の前でネクタイを締めながら、洗面所の鏡の奥の自分の顔をじっと見つめた。
あの日ボロボロになった僕はもういない。あの軽井沢で鏡に映った傷だらけの悲惨な状態を見てから暫く鏡を覗くのが怖ったが、もう大丈夫だ。
未来への希望の溢れている今の僕に、過去はもう僕を襲ってこない。
過去は消せないが、そこに留めておけばいい。もう僕に影響を与えるな。
「よしっ、頑張ろう! 」
今日は久しぶりに宗吾さんとバス停で待ち合わせをしている。
僕の住んでいる家から駅に向かう道は長い下り坂になっているので、上りは辛いが下りは楽だ。もうすぐ宗吾さんに会えると思うと足取りもつい軽くなる。
歩いていると桜の花びらがひらひらと少し舞ってきた。
「すっかり季節は巡って、もう春だな」
道の両脇の街路樹は桜の樹なので、この時期は最高だ。桜がアーチを作り見事な光景だ。もう少しすると桜吹雪で風もピンク色になるんだ。毎年毎年繰り返される風景だが、今年はきっと格別だろう。
きっともうすぐだ。見上げると空を覆う桜色。
僕の新しいスタートを祝ってくれるようで、思わず目を細めてしまった。
やがて公園前の幼稚園バスの停留所が見えてくる。
今は幼稚園は春休みなので誰もいないバス停に、宗吾さんが立っていた。
遠目でもすぐに分かるよ。
背が高くてカッコいい。そしてあのスーツを着てくれている。
僕がスーツを買った時、さりげなく宗吾さんも色違いの生地を購入した。僕は濃紺で、宗吾さんは明るめのグレーだ。
本当は僕に淡いグレーのスーツを着せたかったようだが、僕はホテルで打ち合わせをすることも多いので濃紺の方がベターだった。そうしたら『じゃあこっちは俺が買う』と言いだして……宗吾さんって案外可愛い所もあるんだよな。
「瑞樹、おはよう!」
「おはようございます。宗吾さん」
声を掛け合って、あぁようやく日常が戻ってきたとしみじみと実感できた。
いつぶりだろう。こんな風にお互いスーツ姿で、この坂道で朝の挨拶できるのは。
何もない平凡な1日が、僕と宗吾さんにとってどんなに大切なものかを噛みしめた。
「おっやっぱりそのスーツいいな。瑞樹の良さを引き立てていているよ」
「宗吾さんこそ……とても素敵です」
「お揃いだな」
「傍目には分からないかもしれませんが、お揃いですね。嬉しいです」
「俺もだ。それに今日から4月だろう。瑞樹が俺の家に越してくるのをカウントダウンできるな」
「はい、荷物もだいぶ整理できたし順調です」
「うん、待っているぞ」
電車に乗り込むと車両の中はすごい人だった。久しぶりに満員電車にたじろいでしまい、人波に押され、あっという間に宗吾さんと離れ離れになりそうだった。
「うわっ」
「瑞樹、こっちだ! 」
グイっと僕の腕を力強く引いてくれて、胸元に寄せてくれる。
その逞しさに、朝からドキっとしてしまった。
うわ、まずい。
今の僕は宗吾さんに触れられると必要以上に過敏に反応してしまう。僕の躰があなたに抱かれたがっているからとは絶対に言えないけれども。
僕だけの秘密だ。
出逢って間もない頃、やはりこんな風に満員電車で宗吾さんと至近距離で接し、ドキドキしたことを思い出す。
あの時のトキメキと今のトキメキは同じだ。
いやそれ以上かも?
僕はとても新鮮な気持ちで、新しく始まるこの4月を受け入れていた。
「大丈夫か」
「はい」
「俺にもたれていいからな」
「はい」
「無理するなよ」
小声で交わす会話に、ほっとする。
久しぶりの満員電車に面食らっている僕を心配してくれている。
大丈夫。大丈夫だ。
すぐ傍に宗吾さんがいてくれる安心感。宗吾さんの存在が、こんなに心強いことだなんて。
この大都会でも、僕はちゃんと生きていける。
電車の揺れに任せながら、宗吾さんの存在に感謝した。
「あれ? 瑞樹の髪に桜の花びらがついているな」
「え……」
「ほらここだ」
耳の上の髪を梳くように触れられ、ドキっとした。
耳たぶに宗吾さんの指先が掠めるだけで、火照ってしまう。
「どこですか」
慌てて手を伸ばして取ろうとしたら制された。
「可愛いからそのままに」
「……そんなっ」
4月1日。今日から僕は仕事に復帰する。
結局、12月中旬から3カ月半も休職してしまった。なのに……まさか同じポジションに戻れるなんて思いもしなかった。また僕の手で花を生かせるのかと思うと胸が高鳴る。
やはり僕にとってフラワーアーティストの職業は天職だ。だからこれからもますます精進して邁進していきたい。
先日渋谷のデパートで宗吾さんに選んでもらった新しいスーツに身を包むと、気が引き締まった。
これを一緒に選んだの、楽しかったな。
宗吾さんは広告代理店に勤めているだけあって、流行に敏感だ、品質の良いものを知っている。僕は正直今までお金もなかったしスーツに拘るどころではなかった。
宗吾さんに見立ててもらった物は少し高めだったので奮発したが、とても気に入っている。
試着した時にも感じたけれども、着心地が良く腕も動かしやすいな。これなら仕事が捗りそうだ。
鏡の前でネクタイを締めながら、洗面所の鏡の奥の自分の顔をじっと見つめた。
あの日ボロボロになった僕はもういない。あの軽井沢で鏡に映った傷だらけの悲惨な状態を見てから暫く鏡を覗くのが怖ったが、もう大丈夫だ。
未来への希望の溢れている今の僕に、過去はもう僕を襲ってこない。
過去は消せないが、そこに留めておけばいい。もう僕に影響を与えるな。
「よしっ、頑張ろう! 」
今日は久しぶりに宗吾さんとバス停で待ち合わせをしている。
僕の住んでいる家から駅に向かう道は長い下り坂になっているので、上りは辛いが下りは楽だ。もうすぐ宗吾さんに会えると思うと足取りもつい軽くなる。
歩いていると桜の花びらがひらひらと少し舞ってきた。
「すっかり季節は巡って、もう春だな」
道の両脇の街路樹は桜の樹なので、この時期は最高だ。桜がアーチを作り見事な光景だ。もう少しすると桜吹雪で風もピンク色になるんだ。毎年毎年繰り返される風景だが、今年はきっと格別だろう。
きっともうすぐだ。見上げると空を覆う桜色。
僕の新しいスタートを祝ってくれるようで、思わず目を細めてしまった。
やがて公園前の幼稚園バスの停留所が見えてくる。
今は幼稚園は春休みなので誰もいないバス停に、宗吾さんが立っていた。
遠目でもすぐに分かるよ。
背が高くてカッコいい。そしてあのスーツを着てくれている。
僕がスーツを買った時、さりげなく宗吾さんも色違いの生地を購入した。僕は濃紺で、宗吾さんは明るめのグレーだ。
本当は僕に淡いグレーのスーツを着せたかったようだが、僕はホテルで打ち合わせをすることも多いので濃紺の方がベターだった。そうしたら『じゃあこっちは俺が買う』と言いだして……宗吾さんって案外可愛い所もあるんだよな。
「瑞樹、おはよう!」
「おはようございます。宗吾さん」
声を掛け合って、あぁようやく日常が戻ってきたとしみじみと実感できた。
いつぶりだろう。こんな風にお互いスーツ姿で、この坂道で朝の挨拶できるのは。
何もない平凡な1日が、僕と宗吾さんにとってどんなに大切なものかを噛みしめた。
「おっやっぱりそのスーツいいな。瑞樹の良さを引き立てていているよ」
「宗吾さんこそ……とても素敵です」
「お揃いだな」
「傍目には分からないかもしれませんが、お揃いですね。嬉しいです」
「俺もだ。それに今日から4月だろう。瑞樹が俺の家に越してくるのをカウントダウンできるな」
「はい、荷物もだいぶ整理できたし順調です」
「うん、待っているぞ」
電車に乗り込むと車両の中はすごい人だった。久しぶりに満員電車にたじろいでしまい、人波に押され、あっという間に宗吾さんと離れ離れになりそうだった。
「うわっ」
「瑞樹、こっちだ! 」
グイっと僕の腕を力強く引いてくれて、胸元に寄せてくれる。
その逞しさに、朝からドキっとしてしまった。
うわ、まずい。
今の僕は宗吾さんに触れられると必要以上に過敏に反応してしまう。僕の躰があなたに抱かれたがっているからとは絶対に言えないけれども。
僕だけの秘密だ。
出逢って間もない頃、やはりこんな風に満員電車で宗吾さんと至近距離で接し、ドキドキしたことを思い出す。
あの時のトキメキと今のトキメキは同じだ。
いやそれ以上かも?
僕はとても新鮮な気持ちで、新しく始まるこの4月を受け入れていた。
「大丈夫か」
「はい」
「俺にもたれていいからな」
「はい」
「無理するなよ」
小声で交わす会話に、ほっとする。
久しぶりの満員電車に面食らっている僕を心配してくれている。
大丈夫。大丈夫だ。
すぐ傍に宗吾さんがいてくれる安心感。宗吾さんの存在が、こんなに心強いことだなんて。
この大都会でも、僕はちゃんと生きていける。
電車の揺れに任せながら、宗吾さんの存在に感謝した。
「あれ? 瑞樹の髪に桜の花びらがついているな」
「え……」
「ほらここだ」
耳の上の髪を梳くように触れられ、ドキっとした。
耳たぶに宗吾さんの指先が掠めるだけで、火照ってしまう。
「どこですか」
慌てて手を伸ばして取ろうとしたら制された。
「可愛いからそのままに」
「……そんなっ」
11
お気に入りに追加
834
あなたにおすすめの小説
病気になって芸能界から消えたアイドル。退院し、復学先の高校には昔の仕事仲間が居たけれど、彼女は俺だと気付かない
月島日向
ライト文芸
俺、日生遼、本名、竹中祐は2年前に病に倒れた。
人気絶頂だった『Cherry’s』のリーダーをやめた。
2年間の闘病生活に一区切りし、久しぶりに高校に通うことになった。けど、誰も俺の事を元アイドルだとは思わない。薬で細くなった手足。そんな細身の体にアンバランスなムーンフェイス(薬の副作用で顔だけが大きくなる事)
。
誰も俺に気付いてはくれない。そう。
2年間、連絡をくれ続け、俺が無視してきた彼女さえも。
もう、全部どうでもよく感じた。
夫の色のドレスを着るのをやめた結果、夫が我慢をやめてしまいました
氷雨そら
恋愛
夫の色のドレスは私には似合わない。
ある夜会、夫と一緒にいたのは夫の愛人だという噂が流れている令嬢だった。彼女は夫の瞳の色のドレスを私とは違い完璧に着こなしていた。噂が事実なのだと確信した私は、もう夫の色のドレスは着ないことに決めた。
小説家になろう様にも掲載中です
王子を身籠りました
青の雀
恋愛
婚約者である王太子から、毒を盛って殺そうとした冤罪をかけられ収監されるが、その時すでに王太子の子供を身籠っていたセレンティー。
王太子に黙って、出産するも子供の容姿が王家特有の金髪金眼だった。
再び、王太子が毒を盛られ、死にかけた時、我が子と対面するが…というお話。
愛された側妃と、愛されなかった正妃
編端みどり
恋愛
隣国から嫁いだ正妃は、夫に全く相手にされない。
夫が愛しているのは、美人で妖艶な側妃だけ。
連れて来た使用人はいつの間にか入れ替えられ、味方がいなくなり、全てを諦めていた正妃は、ある日側妃に子が産まれたと知った。自分の子として育てろと無茶振りをした国王と違い、産まれたばかりの赤ん坊は可愛らしかった。
正妃は、子育てを通じて強く逞しくなり、夫を切り捨てると決めた。
※カクヨムさんにも掲載中
※ 『※』があるところは、血の流れるシーンがあります
※センシティブな表現があります。血縁を重視している世界観のためです。このような考え方を肯定するものではありません。不快な表現があればご指摘下さい。
妹に正妻の座を奪われた公爵令嬢
岡暁舟
恋愛
妹に正妻の座を奪われた公爵令嬢マリアは、それでも婚約者を憎むことはなかった。なぜか?
「すまない、マリア。ソフィアを正式な妻として迎え入れることにしたんだ」
「どうぞどうぞ。私は何も気にしませんから……」
マリアは妹のソフィアを祝福した。だが当然、不気味な未来の陰が少しずつ歩み寄っていた。
イケメン社長と私が結婚!?初めての『気持ちイイ』を体に教え込まれる!?
すずなり。
恋愛
ある日、彼氏が自分の住んでるアパートを引き払い、勝手に『同棲』を求めてきた。
「お前が働いてるんだから俺は家にいる。」
家事をするわけでもなく、食費をくれるわけでもなく・・・デートもしない。
「私は母親じゃない・・・!」
そう言って家を飛び出した。
夜遅く、何も持たず、靴も履かず・・・一人で泣きながら歩いてるとこを保護してくれた一人の人。
「何があった?送ってく。」
それはいつも仕事場のカフェに来てくれる常連さんだった。
「俺と・・・結婚してほしい。」
「!?」
突然の結婚の申し込み。彼のことは何も知らなかったけど・・・惹かれるのに時間はかからない。
かっこよくて・・優しくて・・・紳士な彼は私を心から愛してくれる。
そんな彼に、私は想いを返したい。
「俺に・・・全てを見せて。」
苦手意識の強かった『営み』。
彼の手によって私の感じ方が変わっていく・・・。
「いあぁぁぁっ・・!!」
「感じやすいんだな・・・。」
※お話は全て想像の世界のものです。現実世界とはなんら関係ありません。
※お話の中に出てくる病気、治療法などは想像のものとしてご覧ください。
※誤字脱字、表現不足は重々承知しております。日々精進してまいりますので温かく見ていただけると嬉しいです。
※コメントや感想は受け付けることができません。メンタルが薄氷なもので・・すみません。
それではお楽しみください。すずなり。
「君の為の時間は取れない」と告げた旦那様の意図を私はちゃんと理解しています。
あおくん
恋愛
憧れの人であった旦那様は初夜が終わったあと私にこう告げた。
「君の為の時間は取れない」と。
それでも私は幸せだった。だから、旦那様を支えられるような妻になりたいと願った。
そして騎士団長でもある旦那様は次の日から家を空け、旦那様と入れ違いにやって来たのは旦那様の母親と見知らぬ女性。
旦那様の告げた「君の為の時間は取れない」という言葉はお二人には別の意味で伝わったようだ。
あなたは愛されていない。愛してもらうためには必要なことだと過度な労働を強いた結果、過労で倒れた私は記憶喪失になる。
そして帰ってきた旦那様は、全てを忘れていた私に困惑する。
※35〜37話くらいで終わります。
どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします
文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。
夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。
エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。
「ゲルハルトさま、愛しています」
ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。
「エレーヌ、俺はあなたが憎い」
エレーヌは凍り付いた。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる