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発展編

帰郷 6

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「何ですか」
「君の苗字、本当に『葉山』なのか」
「そうですけど」
「じゃあ君が持っているその鞄は…… 」

 若社長の、厳しく冷たい視線を手元に感じた。

 鞄って? あぁ瑞樹の部屋に転がっていた物だ。これがどうかしたのか。

「これ? あぁ……兄のを借りて」
「やっぱり! 君のお兄さんって、もしかして『葉山瑞樹』じゃないか」
「え……何で瑞樹のことを知って」
「その鞄は……俺が瑞樹にあげた物だ」
「えぇっ! 」

 驚いた。瑞樹の奴……やっぱり隅に置けない。高校時代に男から貢ぎ物かよ。

「みっ瑞樹は今どうしている? 元気なのか」
「さぁ知らないね」
「知らないって……君は瑞樹の弟だろう? 」
「弟だけど、アイツは東京に行ったきりで、ロクにこっちには戻って来ないぜ。オレはもう何年も会っていない」
「……そうか。では東京での連絡先を教えてもらえないだろうか」
「んなの、知るかよ。あっもう始まるから行くぜ」

 なんだよ! 若社長だか何だか知らないが不躾な奴だな。瑞樹とは一体どういう仲なんだ?

 クソっ忌々しいな! こんな鞄、柄にもなく持ってくるんじゃなかった。

 そういえば随分立派な革の鞄なのに使った形跡がない。新品同様じゃねーか。しかもご丁寧にネームタグまで付いてさ。こげ茶色の上質な革にブルーのネームタグ。裏を返せば『Mizuki』と筆記体で丁寧に銀糸で刺繍されていた。オレはブランド物とかに疎いが、かなり高そうだな。

 でも……瑞樹のことだから、きっとこんな鞄貰って困っただろうな。きっと返そうとしても受け取ってもらえなくて……それで仕方がなく家に置き去りにしただとも思えた。

 瑞樹は思い返せば、いつも大人しくて気弱な兄だった。
 
 ある日突然やってきた五歳年上の少年に戸惑ったのは今でも覚えている。あの時のオレはまだ、保育園に通う五歳の幼い子供だった。

****

「潤、今日からあなたのもう一人のお兄ちゃんよ。仲良くするのよ」
「え……お兄ちゃん? こんな子知らないよ 」
「コラっ! 何て言い草なの! 」

 当時五歳のオレには、母さんのいう事が全然理解できなかった。漠然とだが理解していたのは、弟はやってきても兄が急にできるはずないということだった。

「だって突然やってきた子がお兄ちゃんのはずないじゃないか。母さんの嘘つき! 」
「まぁ……この子は……瑞樹くんごめんね。拗ねちゃったみたい。赤ちゃんの頃に父親を失くしたせいか、私が甘やかして育ててしまって……どうか仲良くしてね。お兄さんとして面倒をみてもらえると嬉しいな」
「……はい」

 十歳も年の離れた実の兄貴は、とてつもなく大人に見えて近づき難かった。でも今日突然やってきた新しい兄は優しい顔をしていて、オレのことを懸命に面倒みようと努力してくれた。

 初めの頃はよかった。忙しい母に代わってあれこれ面倒をみてくれる新しい兄が気に入ってオレは結構懐いていた。だがある日夜中にトイレに行きたくて瑞樹を起こした時、突如として裏切られた気持ちを抱いてしまった。

「ミズキ……起きてよ。トイレいきたい」
「ん? どうした……ナツキ」
「えっ……」
「ナツキ……どこ? 」

 寝ぼけ眼の瑞樹が、オレに普段話しかけるよりももっと優しく甘く「ナツキ」と名を呼んだのが許せなかった。

 おいっ、一体ナツキって誰だよ。誰と間違えたんだよっ! 俺が瑞樹の弟なのに。

 そのモヤモヤは、とうとうある日爆発した!

「母さん、あのさ……ナツキって」
「あら何でその子の名前を知っているの? あぁそうか瑞樹が話したのね」
「うん、びっくりしたよ」

 カマをかけてみるとご丁寧に聞いてもいない事実を、母は教えてくれた。

「瑞樹くんも気の毒よね。ご両親ばかりか弟さんまで交通事故で目の前で亡くすなんて辛かったわよね。だから潤も甘えてばかりいないで、いろいろ気遣ってあげてね。それにしてもあなた達とても仲良しだから安心しているわ。瑞樹くんの本当の弟さん同様、可愛がってもらえてよかったわね」

 母の言葉に、何かが音を立ててガラガラと崩れていく音がした。

 兄として慕っていた気持ちや信頼が……

 突然やって来た偽物の兄のクセにいい気になって、オレが懐いてやったらいい気になって!

 よくも間違えたな。オレは死んだ弟なんかじゃない! 潤だ!

 そこからオレは瑞樹を信用出来なくなった。だから沢山母親が見ていない所で意地悪をしてやった。瑞樹の分のおやつを食べたり、あいつの学校のノートをビリビリに破いたり……教科書を隠したり、体操着に墨汁を垂らしたり……最初はそんな子供じみた意地悪だった。

 なのに……どうして、あんなことをするようになってしまったのか。

 誰とでも仲良くなれる人当りのいい可愛らしく品のいい容貌の瑞樹は、皆に好かれる人気者で小学校でも、いい噂ばかりだった。
 
 そんな瑞樹が中学生になった頃から更に一皮むけた。もちろんそれまでも可愛い顔をしていたが、ぐっと綺麗になったんだ。男の人に美人とかっておかしいと思ったが、そんな表現が良く似合う清楚な学生だった。

 俺が小学校6年生の時、瑞樹は高校二年生。

 第二次性徴期に入ったオレは、突然瑞樹の裸にムラムラし出した。あまりに綺麗な下半身のそこに触れてみたくなって、とうとう触れてしまった。それから……一度触れたら、嫌がる瑞樹の顔にも何故かドキドキして、やめられなくなってしまった。

 エスカレートする、いやがらせ。

「いいじゃん。ここどんな風に成長するのか。興味あるから見せろよ、へぇーいい色なんだな」

 瑞樹は涙目で「お願いだから、もう触らないでくれ」と訴えていたのに、強引に触ってやった。瑞樹が貰われっ子で、行く宛がないのを逆手にとって。

 東京に出た瑞樹がなかなか帰省しないのは、たぶんオレのせいだろうなと薄々は気が付いている。

 オレに怯え、オレから逃げるように家を出て行った瑞樹……

 最初からいなかったことにしようと忘れていたのに、アイツのせいで思い出しちまったじゃないか。

「では今から20分間休憩です。おタバコは喫煙所でお願いします」
「親方、一服どうすか」
「いいな」

 結局、眠たくなる講義の間、ずっと瑞樹のことを考えていた。下半身が疼くような変な気持ちになってしまうのは何故なのか。

 あれは思春期の好奇心だったはず。
 瑞樹の大事な部分を握ったりして弄んだのは。

 オレは普通に女と寝るし、そんなはずはない。なのに何だよ。この悶々とした気持ち!

 瑞樹の居所を知りたくても、何故か母さんも兄さんも貝のように口を閉ざして教えてくれないから、今どこで何をしているのか知る術がない。

 オレは今21歳だから、瑞樹はもう26歳だ。

 今どこにいる?
 どんな仕事をしている?

「潤、ライター持ってるか」
「たぶん」

 ズボンのポケットをはたくが見当たらないので、もしかしてとジャケットの胸ポケットを探ると指先に硬いものが触れた。

 ん? なんだ……これ。

 取り出してみると、1枚の名刺だった。












 




 
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