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発展編

深まる恋・深まる愛 10

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「さぁもう着くよ」

 洋くんの声に誘われ窓の外の風景を眺めると、北鎌倉の紅葉は都内よりもずっと進んでいた。まさに深まる秋そのものだ。
 
   鎌倉へは過去に数回訪れた程度だったので、見慣れぬ景色に心が躍った。 この辺りは樹々の色づきが良さそうだな。都心よりも寒暖の差があるせいだろう。漠然と僕の故郷・函館の大沼あたりの景色を思い出していた。

「瑞樹くん、意外と山奥でびっくりした?」
「いえ……僕の故郷を思い出していました」
「あぁそうか……君は函館出身だったよね」
「はい」
「君とは……もっと色々な話をしたいな」

 洋くんとなら大歓迎だ。僕ももっと君の事を知りたいよ。
 『心の友』になって欲しい人だから……

 車を降り寺の山門へと続く長い石段をゆっくりと登った。

 先ほど石段から落ちたばかりなので、つい足元には慎重になってしまう。本当にあんな高い石段から転がり落ちて、よくかすり傷で済んだな。腕はひねったようで少し痛むが……骨折していなくて良かった。仕事に差し障りが出てしまう所だった。また来週から激務が待っているから……この週末は僕にとっても束の間の休日だ。

 山門を潜ると広大な中庭が広がっていた。裏山がそびえ立ち、手前には竹林と碧い池もある。

 凄い……これはかなり本格的な日本庭園だ。専属の庭師がいるのか、よく手入れも行き届いて、何より秋に咲く和風の花々に心が躍ってしまう!

「瑞樹、あんまりキョロキョロしていると、また転ぶぞ」

 確かに。
 
 花に見とれて石段で躓きそうになった僕の躰を、宗吾さんがそっと支えてくれた。

「ですよね。すみません」
「しかし瑞樹が好きそうな庭だな。あとで案内してもらうといいよ」
「はい!」

 母屋に着くと、すぐに作務衣姿の流さんが出迎えてくれた。少し長めの黒髪を後ろで無造作に束ね、ざっくり着付けた作務衣から厚い胸板がチラッと見えて、思わず息をのんでしまった。

 かっこいい……海で会った時も思ったが、よく鍛えられた逞しい躰だ。これは宗吾さんにひけを取らない。

「おい瑞樹くん? ちゃんと聞いているか」
「あっすみません」
「くくっ、もしかして俺に見惚れてた?」
「そういう訳では」

 といいつつ……図星だから赤面してしまった。

「瑞樹、それ後でペナルティだ」
「宗吾さん……そんなつもりじゃ!」
「 流、今日は世話になるな」

 そのまま宗吾さんは流さんと気さくに話し出した。宗吾さんはいつも誰に対しても、積極的で物怖じしない。相手の懐にぐっと嫌みなく入っていける人だ。仕事絡みでも交友関係が多いのも納得だ。きっと今までさぞかしモテたのだろう。

「瑞樹くんが無事で良かったよ」
「あっ」

 僕としたことが助けてもらったお礼もせずに、躰に見惚れるとか宗吾さんの過去に嫉妬するとか……自分の立場に猛反省した。

「お礼が遅れて……先程は助けてくださって、ありがとうございます」
 
「うん、俺たち、待ち合わせより少し早く着いたので大石段の下で待っていたんだよ。君たちが転げ落ちたのは、洋くんがいち早く気付いてな。周りもざわめいて悲鳴も聞こえたから焦ったよ。早く気付いた分、下まで落ちてくる間に、安全に受け止める対策を練れたって訳さ。素人が下手に助けようと手を出すと、かえって危ないからこっちも頑張ったぜ」

「分かります。前上司が駅の階段から落下した人の下敷きになって、腰の骨を折ったそうですから」
「そうそう。まぁこっちには医者の丈がついているから、素人ではなかったが」

 本当に何と幸運だったのかと改めて感謝した。

「やっぱり骨折はしてないようだな。丈の見立て通りか」
「はい。おかげさまで免れました」
「ふーむ、骨折していたらいいものがあったんだが」
「え?」
「ここは腕を骨折した人にとても優しい寺だよ。ハハッまぁゆっくりしていくといい」
「……?」

「いらっしゃい」

 渡り廊下から静かな足音が近づいてきた。いよいよ翠さんの登場だ。
 
 わっ……本格的な袈裟姿で圧巻だな。海で会った時よりもずっと気高いオーラを纏っている。

「宗吾さん瑞樹くん、ようこそ。今日は大変だったね。でも無事で本当に良かった」

 たおやかに微笑む姿には、まるで菩薩のようだ。

「翠さん、お邪魔します。お言葉に甘えて一晩泊まらせていただきます」
「嬉しいよ。ここは宿坊も設けているので、泊まる場所だけは沢山あるから遠慮なく。でもその姿じゃ可哀想だ……坊やも窮屈そうだ。こっちにおいで。まずは着替えをしよう」

 翠さんは僕たちの姿を見て、少し眉をひそめた。

 確かに芽生くんはもう羽織袴を着ているのが限界そうだし、僕のスーツは石段を転げ落ちたから擦り切れている部分もあり泥まみれだった。

「何から何まですみません」
「瑞樹。気がつかなくて悪かったな」
「パパーもう足がいたいよー抱っこして」

 芽生くんも流石にヘトヘトのようだな。宗吾さんが芽生くんを抱っこし、そのまま母屋の二階に案内された。

「流……確かこの部屋に昔、僕が息子に買った服があったはずだが」
「そう言うと思って、もう洗っておきましたよ」
「流石だな。それから瑞樹くんには誰の服が似合うかな?」
「んー翠のはシック過ぎるし、洋くんの私服はエロすぎるから、薙のでどうかな」
「うん、そうだね」

 洋さんのがエロいって? あと薙くんというのは誰だろう? 
 宗吾さんと顔を見合わせてしまった。 

「あの……」
「あぁ薙というのは僕の息子だ。今、15歳の中学生だよ。出かけているが、もうすぐ帰ってくるよ」
「翠さんにそんな大きな息子さんが?」
 
  驚いた。何というか落ち着いてはいるが、とても若々しいので、とても中学生の父親だなんて見えない。

「うん……随分前に離婚してしまったけどね」

 翠さんはさらりと答えた。それはきっともう吹っ切れているからなのだろう。

「へぇ俺と同じ離婚経験者か」

 宗吾さんも人ごととは思えない様子で反応していた。

 人は上辺だけでは分からない。見た目が幸せそうな人でも、実は苦労を乗り越えようやく笑顔を浮かべていることもある。

 だから上辺だけで、人を妬んだりしては駄目だ。

 人は人。
 僕は僕。
 幸せの価値観は人それぞれだ。

「そう……人の価値観はそれぞれだよ。妬みは一番厄介な感情だ」

 まるで僕の心の声が伝わったように翠さんに話しかけられたので、びっくりした。

「瑞樹くんの心は澄んでいるから……分かりやすいよ」
「あの……翠さん、後でまた僕の話を少し聞いていただけますか」
「僕でよければいつでも。良かったらあとで本堂においで」

 ****

「芽生くんのお洋服とても可愛いね」
「うん! とても着心地がいいよ」

 流さんが探し出してくれた洋服は、真新しい物だった。五歳の芽生くんには少し大きいが、充分着られるものだった。そして僕が借りた服は……中学生の息子さんのというのが少し複雑だったが、ありがたく着させてもらった。

「瑞樹──その服メチャクチャ若く見えるぞ」
「そっ……そうですか……でも……メチャクチャ若作りじゃありませんか」
 
 宗吾さんがうっとりした目で見つめてくるので決まりが悪い。細身のパンツにトレーナーという、今の僕にしてはかなりカジュアルな服装だったので、なんとも落ち着かない。

「可愛いなぁ。本当に高校生に見えるぞ。あー瑞樹の高校生の頃ってこんな感じだったのか」
「そんな! 大袈裟ですよ」
「……なぁ、キミニ……イケナイコトヲシタクナル」
「そっ宗吾さん!それセクハラ……ですよ」
「しっ!また芽生に変な用語を教えることになるだろう」
「あっはい」
「それにいくら何でも高校生はないですよ」

 ぼやきながら姿見を見てみると、確かに高校生に見えなくもないから、急に照れくさくなった。

「お兄ちゃんとメイは、今日は兄弟みたいだね。それだとパパはふたりのパパだー」
「え? 俺だけすごい年寄りみたいだな。あーオレもスーツを着替えたい!」

 それを聞いた翠さんがまたもやにっこり微笑んで、流さんに指示を出した。

「流、宗吾さんにはお前の作務衣を着てもらったらどうだ? 君たちサイズが合いそうだよ」
「はいはい、兄さんの仰せのままに」

 え! 宗吾さんの作務衣姿だって?
 途端に僕の胸が高鳴ってしまう。

 実は先ほど流さんの作務衣姿に、つい宗吾さんを重ねてしまった。きっと似合うだろうし、逞しさが一層ひきたつだろうなと思ったから。

「丁度、俺の作務衣姿を見たかったのだろう? 良かったな」
「え! 宗吾さんにも心の声が読まれているんですか。参ったな……」

 何で僕の心はバレバレなのか。

「それは瑞樹くんの感情は真っ直ぐ素直だから、リラックスして楽しそうにしている時は何を考えているか実に分かりやすいからだよ」

 翠さんが笑いながら教えてくれた。

 そうなのか……しかしそんな風に言ってもらうのは嬉しいものだ。

 何故なら僕は今、とても穏やかな気持ちで、寛いだ時間を過ごしていると実感していたから。






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