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発展編

心の灯火 5

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 雑居ビルのガタゴトと揺れる古びたエレベーターで1階に下りた。もしかしたら瑞樹がこのタイミングで来ているかもしれない。一目会えたら……そう願ったが、そんなに上手くはいかない。願いは叶わなかった。

 エレベーターホールまで強風と雨が吹き込んで、古びたタイルの床はびしょ濡れだ。

 そこには湿った雨の匂いしかしなかった。
 瑞樹のあの花のような香りは、やはりしなかった。

 もう行かないと……タイムリミットだ。幸い飛行機も空いていたし、ここは品川だから30分もあれば羽田空港まで行ける。雨は酷いが飛行機は飛ぶ。

 俺が帰る条件は整っていた。
 
 親父……

 覚悟はしていたが、とうとうなのか。別れの時間が刻一刻と近づいている。

 どうか俺が戻るまで逝かないでいてくれよ!
 
  大きな黒い傘をバッとさし、俺は駅前の雑踏へと踏み込んだ。

 ****

 電車の乗り継ぎがよく思ったよりも早く到着出来た。居酒屋は品川駅からすぐの雑居ビルの4階。一台しかない古びたエレベーターはゆっくりと上がったばかりだった。レトロな丸いボタンの灯りがスロースピードでじりじりと動いていた。

 あぁ……じれったくて待てない。

 だから僕はエレベーターを待たずに階段を駆け上った。まさかこのタイミングで一馬とすれ違うとは知らずに。

   幹事の堂島の名前を告げると奥の座敷だと言われた。そのまま靴を脱いであがろうとしたら店員に制されてしまった。
 
「お客様、困りますよ。そんな濡れたままじゃ。これを使ってください」
「あっすみません」
 
   確かに足元は畳で、僕のスーツはびしょ濡れだ。なんだか悲惨な格好だなと自嘲しながら、渡されたタオルでゴシゴシと拭いた。

「瑞樹! 遅かったな」
「悪い、急な仕事で」

 すぐに堂島が見つけてくれ、そのまま腕をぐいぐいと引っ張られた。

「おーい! お待ちかねの瑞樹の登場だぞ!」
「おお! 瑞樹、久しぶりだな!」
「相変わらず可愛いな、お前!」
「スーツどうした?そんなに濡れちゃって」

 一気に注目されて恥ずかしくなった。皆、変わっていない。僕が大学四年間を過ごした寮のメンバーは愉快で楽しい奴らばかりだ。一馬とは愛を育んだが、皆とも友情を大いに育んだ。

「んっ」
「立っていないで、ここに座れよ」
「あぁ……」

 ところが皆の顔を見渡して違和感を抱いた。一馬だけいなかった。

「なぁ一馬は来ていないのか」
「あれ? さっきまでそこに座ってたぜ。寮の見納めからちゃんと来ていたぜ。トイレじゃねーの? それより瑞樹、飲もうぜ。久しぶりだな!元気だったか」
「そうか……」
 
 隣の奴に聞くと、呑気な返答だった。だが暫く待っても戻って来る気配がないので、しびれを切らして幹事の堂島に確認してみることにした。

「あいつ? さっき帰ったよ。皆には言うなとのことだったから黙っているが」
「えっ……帰ったって? 大分に? じゃあ……もうここには居ないのか」
「そういう事だ。なぁ瑞樹、お前一馬と喧嘩別れでもしたのか」

 一馬がいないことにがっかりした。そして堂島の発言にギョッとした。一馬と別れたことなんて僕たち以外知らないはずなのに……

「いや別に」
「じゃあどうしたんだよ」
「……何で?」
「一馬だけ結婚しただろう?だから仲違いしたのかと思ったんだ。お前らって前も話したが仲良すぎだったからな。俺、知っているんだぜ。瑞樹は一馬の部屋にほぼ入り浸っていたこと」
「うっ……うん」

 心臓がドキドキした。堂島は何を知っているのだろう。しかし何かを知っていたとしても、決して面白おかしく言いふらす軽率な人間でないのは知っている。

「実は今日一馬はな……」

 堂島の声が低く小さくなる。

「お前のことずっと待ってたんだよ。だが嫁さんから電話があって……親父さんが危篤らしい」
「えっ……そうなのか」

 絶句した。一馬は僕に会おうと来ていた。だが危篤の知らせで帰って行った。どう反応していいのか分からなくて、言葉に窮してしまった。

「皆が心配するから黙ってろって言われたが、帰った理由はお前にはちゃんと伝えた方がいいと思ってさ」
「そうか……話してくれてありがとう」

 呆然としたままふらりと立ち上がろうとした俺の腕を、堂島が引っ張った。

「瑞樹? 大丈夫か。お前ふらついているぞ」
「あぁ……何だか今日は体調が悪くて……ごめん。帰るよ」
「確かにダルそうだな。熱でもあるのか」
「いや大丈夫だ。でもちょっと濡れたから……また改めてお前とは会いたいよ」

 皆は既にかなり酒に酔って盛り上がっていたので、このまま消えようと思った。

「そうしよう。あっそうだ!瑞樹に一馬から伝言を預かって……」
「……えっあいつ、何て?」
『『ごめん』って」
「……そうか」

 結局そこだよな。
 
 僕に一馬が言う言葉はいつもそこまでだ。しかし、もうそれでいい。でもやはり一目会いたかったよ。だがお父さんが危篤という知らせ……それどころではなかったな。

 もう余命が幾ばくも無いことは聞いていた。そんな中上京してくれて、僕に会おうと思ってくれてありがとう。それだけで充分だ。

 いつか会いに行くよ。お前のことを完全に吹っ切ることが出来たら、僕の方からきっと会いに行く。その時は宗吾さんと芽生くんと一緒だ。
 
  無性に宗吾さんに会いたくて、フラフラと階段で1階に下りると……

  「あっ……」

 そこには宗吾さんがいた。

「……宗吾さん、何で? まだ約束の時間には早いのに」
「実は……何だか居ても立ってもいられなくてな。それならここで待とうと早く来てしまったんだ。ん? 瑞樹、顔色が悪いぞ。大丈夫か」
「宗吾さん……あなたに会いたかった」
「おっおい、瑞樹!?」

 宗吾さんの顔を見たら、張り詰めた気持ちが一気に緩んで、足元がふらついて眩暈がしてしまった。

 視界が斜めになっていく。
 
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