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発展編

実らせたい想い 8

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  珍しく熱を出し会社を月・火と二日間休んでしまったが、休日出勤の代休で処理してもらえたので問題はないはずだ。なのに部署に着くなり部長に呼ばれるとは、一体何事だろう。

「葉山くん悪いね。依頼先はここで、大きなネイルサロン開店によせて店内に飾るデザイナーズスタンド花のご要望だぞ。君はそういう華やかなお祝い事が得意だろう。しかも君を指名して来ているんだが」
「僕を指名ですか。あの……何で僕なのでしょうか。まだ駆け出しで実績もないのに」
「あぁそれは我が社のWEBサイトの特集で、君が初仕事で手がけたあのスズランのブライダルの記事を見て、気に入ったそうだよ」
「えっそうなんですか、それは光栄です」
「早速打ち合わせに行けるか」
「はい!」
「よし、場所はここだ」

 僕が初めて任されたスズランの野原をイメージしたブライダルブーケや装花を気に入ってくれた人がいるなんて……そんな嬉しい事があるなんて。

 ここ数日の憂鬱な気持ちが吹っ飛ぶよ。
 早く宗吾さんと共有したいのに、ニューヨークは遠すぎる。

 宗吾さんと知り合ってから三週間も離れたことがなかったので……もう限界を感じていた。

 宗吾さん……僕はあなたのことが恋しいです。

 嬉しいことも悲しいことも、あなたとすべて共有できたらいいのに、なかなか素直になれなくて……電話で強がってしまいました。だからあなたが帰国したら僕はもっと変わりたいです。あの葉山の海で誓ったように。
 
 電車に揺られながら、そっと遠い空の向こうに僕の想いをのせた。

 有楽町の会社から電車を乗り継ぎ、地図を見ながら広尾のネイルサロンに無事に到着した。

『ネイルサロン Falls』

 ここか……白いレンガの壁に白木のドア。ガラス越しに中を確認すると、床も壁も白一色だった。 白は好きな色だ。何色にもこれから染まることの出来る可能性を持った色だから。

 まだ開店準備中のようで、ドアを開けると女性スタッフが行ったり来たりとバタバタしていた。

「あの、加々美花壇の葉山です。ご依頼のあったスタンド花の打ち合わせにきました」
「あぁ聞いています。店長を呼んできますので、こちらでお待ちください」

 ネイルサロンの受付になるのか、カフェテーブルに案内された。

「……コーヒーをどうぞ」
「恐れ入ります」
「あの、私は買い出しに行かないといけなくて……あと5分くらいで店長が戻るのでお待ちください」
「はい……」
 
 口に含むと妙に生ぬるいコーヒーだった。何故か嫌な胸騒ぎがする。

 その予感は店長の顔を見たとき、納得した。このお店の店長は……運動会で会った女性だ。つまり宗吾さんの……元妻だった人だ。

「あら~偶然ね。あなたが来るなんて。私たちもしかして変なご縁があるのかしら」
「……フローリストの葉山瑞樹です」

  偶然? そんなはずないだろう。しかしどうやって僕の名前を知ったのか。

「ふふ、顔がこわばっているわね。強がっているのね。これはビジネスよ。私が望む花を作ってちょうだい」
「はい……ではお客様のご希望をお聞きします」

 そうだ。事情がどうであれ僕は今仕事中で、仕事でここに来ている。そんなことは言われなくても分かっている。

「ふふっおびえなくても大丈夫よ。私も離婚した夫がバイで、あなたが今の恋人でゲイだってことをあなたの会社に言いふらすなんて、野暮なことしないわ」
「……」

 なんでそこまで……すべて見透かされているようで恐怖と絶望を感じた。こんな事態、宗吾さんにどう説明したらいいのか、分からないよ。

「このお店いいでしょう?実家に支援してもらってOPENするのよ。私だってずっと自分の世界を持ちたいと思っていたのよ。さてと……明後日の土曜日オープンなので、店内の中央に置くスタンド花を作ってくださる? あなたのことを調べたら優秀なフラワーデザイナーさんだったので驚いたわ。WEBでも手がけた披露宴のアレンジで新郎新婦からベタ褒めされていたものね~『あなたで良かった』ですって。だから私もあなたに依頼したのよ」

 どこまでも冷酷な言葉だった。
 その言葉が僕の心を突き刺していく。

「それで花は真っ赤にして」
「え……赤ですか」
「えぇ何か文句でも?」

 この真っ白な店内に真っ赤な花……とは。真意が読み取れず、じっと見つめてしまった。

「あら、あなた以外と冷静なのね。そんな清純な顔立ちだからすぐに泣いちゃうと思ったのにつまらないわ」
「分かりました。赤で揃えます。僕もこれは仕事だと思っていますので、きちんと最後まで務めさせていただきます」
「ふふ、じゃあ頼んだわよ。あっそう言えば、花にはテーマがあるの」
「……何ですか」
「『嫉妬』でお願い」

 嫉妬……この女性はもしかしてまだ宗吾さんを愛しているのだろうか。それとも……見えない何かにしがみついているのだろうか。

 やはり僕には分からない。

 ガシャン──
  
「あらぁ……やだぁ手が滑ったわ。ごめんなさいね」
「 あっ」

 彼女の持っていた硬いファイルが倒れ、コーヒーカップを直撃した。すぐに僕のスーツのズボンにコーヒーがこぼれ、みるみるうちに……茶色いシミを作り出してしまった。
 
「でも、ぬるかったから大丈夫よね?」

 意図的な確信犯だ。悪意を感じてしまう。
 芽生くんを産んだ人が何故……ここまでするのか。
 やはり……また……僕という存在がそうさせてしまうのか。

「では失礼します。一度イメージデザインを画像添付しますのでご確認をお願いします」
「ふふ、これクリーニング代よ。楽しみにしているわ」
「……結構です」

 書類を急いでまとめ、店を飛び出た。

 こんなことに負けたくない。泣くものか。

 他人が築き上げてきた世界に入り込む時、こういうリスクがあるのは、もうずっと前から知っていたはずなのに……宗吾さんが優しすぎて、温かすぎるから……ひどく堪えてしまう。

   店の角を曲がった所で、雑居ビルの壁にもたれ秋の高い空を見上げた。

 涙が絶対にこぼれないように、顎をあげて空を見つめた。ニューヨークに飛んでいきたい。

 宗吾さん、どうしたらいいのか分かりません、僕には……

「あら、あなた大丈夫?それ、シミになってしまうわよ」
「え……」

 心配そうな女性の声に、はっとした。

「……放っておくと、心のシミにもなってしまうのよ。私が落としてあげましょう」

 優しく労るように話しかけてくれたのは、和装姿の楚々とした洒落た年配の女性だった。

 その和やかな笑顔に、冷たくなっていた心が緩んだ。

 
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