重なる月

志生帆 海

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17章

月光の岬、光の矢 54

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 私はあと1ヶ月で、この総合病院を辞めることになる。

 もう辞職願いも受理され、残された期間を淡々と過ごすだけだ。

 しかし、こんなに長く勤めることになるとは……

 ソウルから日本に戻り、実家である月影寺に一時的に洋と身を寄せることになり、単純に一番近い総合病院を選んだ。

 当初は特別な思い入れも、使命もなかった。

 人付き合いが苦手な私は、郊外の総合病院ならではの縦と横の密着な繋がりを煩わしく感じ、つっけんどんな態度を取ってしまった。

 当初は同業者から冷ややかな視線を浴びることも多かったが、いつからだろう?

 風向きが変わった。

 あの夏の宮崎旅行で自分の殻を破り、月影寺内に永住することを決めてからは、地に足が着き、心にゆとりが生まれた。

 人と接することに興味が出てきた。

 そんな私に村山さんを初めとする看護士はついてきてくれた。

 数え切れない程のサポートを受けた。

 そして担当させていただいた患者さんも、私を慕ってくれるようになった。

 

 今日もいつものように患者さんの顔をしっかり見つめ、話を聞くことを心がけた。総合病院ならではの過密なスケジュールでは、一人一人の患者さんにかけられる時間は僅かだ。

 限りがあるのなら、限りある中でベストを尽くしたい。

 そう前向きに捉えている。

「先生今日もかなり診察時間が押していますが、大丈夫ですか」
「あぁ、もう手術は担当していないから余裕がある。君たちは大丈夫か」
「はい!」


 総合病院には横柄な態度を取る医師もいれば、思慮深い医師もいる。それが人の世の常なのだろう。私は開業するにあたり、医学教育の基礎を築いた人物として知られるウィリアム・オスラーの言葉を座右の銘にした。

『良き医師は病気を治療し、 最良の医師は病気を持つ患者を治療する』

 私は患者さんに寄り添える医師を目指す。

 患者さんの心の内を推し量ることは出来ない。だが、愛と理解によって信じることは出来る。

 診療所を開業する理由は二つだ。

 洋の傍で生きる時間を増やしたい。
 患者さんに向き合える時間を増やしたい

 この二つの欲求は相反することかもしれぬが、この二つが並ぶと調和が取れる。

「さぁ次の方、どうぞ」

****

 外科のベンチには、一つに部屋の前以外には誰も座っていなかった。

 『医師 張矢丈』の診察室の前には、まだ患者さんが待っていた。

 最前列の温厚そうな老紳士は、奥さまと一緒だった。

「さぁ次の方、どうぞ」

 長時間待たされた患者の顔が気になり、さり気なく伺うと、意外なことに嬉しそうな表情だった。

「先生ありがとうございます」

 そして10分以上経ってから、更に満足げな顔で診察室から出てきた。

「あなた、良かったわね」
「あぁ、こちらの先生は私の話をよく聞いてくれるから、落ち着くんだ」
「病は気からという言葉は本当なのね」
「治療、がんばるよ。まだまだ君と行きたい所があるからな」

 あたたかい会話を聞けて、俺まで嬉しくなった。

 丈は、人に寄り添う医師なんだな。
 
 診療所では思う存分発揮してくれ。

 俺はいつもお前の味方だ。

 丈を信じている。

 丈を愛しているから――


 
 俺もベンチに座り、ゆったりとした気持ちで待つことにした。

 
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