重なる月

志生帆 海

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17章

月光の岬、光の矢 49

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「俺もシャワーを浴びたい」
「分かった。昨夜の疲れは取れたか」
「あぁ、丈のおかげで」
「良かった」

 丈は満足そうに微笑んで、腰に白いバスタオルを巻いて、脱衣場から颯爽と出て行った。

 その逞しい背中に、軽く欲情してしまった。

 参ったな、節操がないのは俺の方だ。

 一晩中、布団の中で丈の香りに包まれていたからか。

 丈限定で、過敏に反応する身体になった。

 そうなるように、丈がしてくれた。

 だが、今日は俺が寝坊したせいで、朝から繋がる暇はない。

 煩悩を振り払うように勢いよくガウンを床に落とし、頭からシャワーを一気に浴びた。

 新しいボディソープを使うと、蒸気と共にクローブや橙、ミントの香りがシャワーブースに広がった。

 ヨウ将軍は消せない傷痕だらけの身体を清めるため、このスパイシーな香りを愛用した。

 医官のジョウが調合した伝統の香りが、今、ここに蘇る。

 あぁ、感じる。

 平安の世を生きた洋月も、きっとこの香りを愛していた。


……

『めぐり逢ひて 見しやそれとも わかぬ間に 雲がくれにし 夜半の月影』
                     (新古今集 1499 紫式部)

「久しぶりに逢えたのに、丈の中将はゆっくり話す間もなく、慌ただしく帰ってしまうのだな」
「洋月、すまない。都で疫病が流行っており、その対応に追われている」
「すまない。頭では分かっているのに我が儘を言ってしまった。俺だけがのうのうと宇治の山荘で暮らしていて……立つ瀬がないよ」
「そんなことはない。洋月が常に健やかでいてくれるのが一番だ」
「どうか、疫病にかからぬように、これを持って行ってくれ」
「これは?」

 帰ろうとする丈の中将に、俺は手作りの匂い袋を手渡した。

「かつて……かの国で医官が大切な武官のために調合したものに習ってみた」
「不思議な香りがする。この香りは強さを持っている」
「薄荷には疫病を押しのける力があるそうだ。どうか無事で」
「ありがとう。肌身離さず持つことにしよう」
「そうしてくれ」

『君がため 惜しからざりし命さへ ながくもがなと 思ひけるかな』
                  (百人一首 50番 藤原義孝)

 洋月に逢うためなら死んでもかまわないと思っていたが、君と逢えた今、いつまでも生きていたいと思うようになった。

「この世では、最期まで一緒だ。もう途中ではぐれるのは嫌だ」
「あぁ、やり直せた世界なのだから、必ずや」

……


 洋月と丈の中将。

 君たちの想いも、ここに届いた。

 俺と丈が出逢ったことで、君たちの世も変わった。

 どうか、今度こそ最期まで寿命を全うして欲しい。

 自分を守り、相手を慈しみ、愛を深めて――


「洋、ずいぶん長いシャワーだったな。ふっ、私と同じ匂いになったな」

 丈が真っ白な大判のバスタオルで、すっぽりと包んでくれた。

 その手に安堵する。

「丈、この香りは古来から、邪気を払う効能があるようだ」
「やはり、そうなのか。私も気になって調べてみたよ」
「なぁ、ところで、平安時代から薄荷は存在したのか」
「あった。薄荷は今から3500年も前に古代ギリシャで生薬として利用され、歴史上最も古い栽培植物の一つと言われている」
「そんなに古くから? じゃあ日本にはいつ頃伝わった?」
「今から2000年以上前に中国から伝わり、10世紀には山菜として平安貴族の食卓を飾り、室町時代には薬種として用いられたという記録がある。それに……驚いたことに」


 丈が調べた話は興味深いものだった。

 心を研ぎ澄ますと、脳裏に鮮やかに洋月が何かの葉を栽培している映像が流れてきた。

「驚いた事とは?」
「実は宇治近辺では、茶葉よりも早く薄荷の栽培が行われていた記録があるそうだ」
「宇治だって……じゃあ洋月が栽培していたのは薄荷だったのか」
「そうだったのか。では私たちと深く繋がりのある香りなのか」
「そのようだ。なぁ、この香りをキャンドルや石鹸に閉じ込められないか。それを開業祝いの土産物にしてはどうだ?」
「いい考えだな」
「そう思うか。早速、アーサーさんと瑠衣さんに相談してみるよ」
「これは洋の得意分野だ。全て任せた」

 ポンと肩に手を置かれた。

 その重みが心地良かった。

 全面的に丈から信頼されている。

 それが真っ直ぐに伝わってきた。



 これから、一つ一つ丁寧に準備していこう。

 縁ある人に感謝しながら、縁ある人に相談しながら。

 過去の俺たちが1日1日を大切に過ごしたように、この世を丁寧に生きていこう。

 丈、お前と共に。

「丈、見ていてくれ。俺は動き出す」
「あぁ、思いのままに羽ばたけ!」

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