重なる月

志生帆 海

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17章

月光の岬、光の矢 47

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「私は彼女を駅まで送ってくるから、洋は先に離れに戻っていろ」
「いや、俺も一緒に行くよ」
「洋は少し休め……なっ」

 厳しい眼差しだった。

 分かったよ。

 医師の丈として、止めているんだな。

 確かに今の俺は肉体的にも精神的にも疲弊している。

 本来ならば俺も一緒に行くべきだが、途中で気持ち悪くなりそうな予感がする。

 くそつ、こんな弱々しい身体……

 情けない。
 
 精神的にも肉体的にもタフではありたいのに……

 父が亡くなってから母が寝込むことが多くなり、夕食を作ることもままならないことが増えた。

 だから必然的に自然と食が細くなってしまった。

 更に、あの人との暮らしでは、俺を見せびらかすかの如く外食ばかりさせられ、その一方で一人の時はコンビニ飯で、栄養に偏りがあった。

 自分でも分かっている。

 成長期に不健康な食生活をしたせいだ。

 丈と出逢ってからは手料理で心と身体を温めてもらい、月影寺では流さんが健康的な食事を、丈がいない時も熱心に提供してくれている。

 お陰で、ずいぶん顔色が良くなった。

 身体は細いままだが、健康的になった。

 だが、極度の緊張や不安を感じると、昔の弱い面が全面に出てきてしまう。

 離れに戻った途端、くらくらと目眩がした。

 慌ててベッドに横になり、身体を沈めた。

 悪心がする。

 丈の言う通りだ。

 車に揺られたら、きっと粗相してしまっただろう。

 情けない姿を村山さんに見せずに済んだ。

 だが、あの慈愛に満ちた人ならば、きっと優しく介抱してくれただろう。

 彼女は俺の母とは真逆のタイプだが、まるで母のようにあたたかい人だ。

 あの人とならば、一緒にやっていける。

 丈が連れてきた人は、流石、丈が見込んだだけあって、器の大きな人だった。

 10分ほど目を瞑って横になると、目眩も収まり、吐き気も収まった。

 そのタイミングで起き上がり、机に座った。

 もう翻訳の仕事道具はない、何も置かれていない机の上。

 そこに1冊の新しいノートを置いた。

 ここに今日から綴っていこう。

 丈の診療所で働くために役立つこと、教えてもらったことを記入していこう。

 タイトルは……そうだな……

『由比ヶ浜 丈 診療所』

 これでいいか。

 海里先生が『海里診療所』と名付けたように、地元の人々に慕われるよう『丈』の名前を押し出そう。

 何から書き始めようか。

 丈と俺の新しいステージの物語が今、始まる。


 


 そこで記憶がぷつりと途絶えてしまった。

「ん……?」

 目を覚ますと、丈に抱かれていた。

 いつのまにパジャマに着替えて、逞しい腕の中で、温もりに包まれていた。

 規則正しい鼓動が聞こえてくる。

 この鼓動が俺の人生を整えてくれる。

 無残な過去に引き戻されそうになっても、この鼓動が道標となる。

「丈……お前がいてくれてよかった」
「ん……洋、起きたのか。疲れただろう。ゆっくり休め」
「ふっ、甘やかされているな」
「洋だからだ。どんな洋でも、私の洋だ。今は身体を休めろ。明日から更に忙しくなる」
「ありがとう」

 俺も丈だからだ。

 全てを委ねられるのは、お前だからだ。

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