重なる月

志生帆 海

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17章

月光の岬、光の矢 44

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 丈先生のお住まいが、まさか風情あるお寺だとは、思いもしなかったわ。

 医師の丈先生と厳かなお寺が結びつかなくて――

 それでも山門へ続く石段を一段、また一段と上るごとに、私の心は期待に満ちていく。

 それは丈先生のプライベートエリアに踏み込むことを許してもらえたから。
   
 私に心を開いてくれているから。

「どんな方でも、丈先生が信頼されるパートナーですから、受け入れられると思います」
「是非……頼む。とても繊細な人なんだ」

 なるほど、丈先生が危ぶむほど繊細な方なのね。
 
 大丈夫、我が家の長男もとても繊細な子だから、理解できるわ。

「そうなんですね、心得ました」
「村山さんを信頼しているから、会わせるんだ」

 信頼!

 まぁ、丈先生から素直な言葉を聞けるなんて嬉しいわ。

 丈先生が総合病院にいらした時、ピリピリと人を寄せ付けない空気を醸し出していたの。だから同僚や後輩の看護士は、丈先生につくのを嫌がり、私が引き受けたのよ。

 我が家の三男坊も,丈先生のように斜に構えた面があるので(あら失礼!)、寄り添えたのかもしれないわ。

 知れば知る程、私は丈先生を尊敬するようになっていった。

 外科医としての腕は右に出る者がいない程、冴え渡っていたので、すぐに丈先生の手術の腕前は評判を呼び、引っ張りだこになったわ。

 奢らず、媚びず、我が道を淡々と歩まれる姿が最高よ!

 権力に屈せず、患者様のために最善を尽くす真摯な横顔に惚れ込んだわ。
 
 あ、色恋沙汰ではないわよ。

 私には最愛の夫と、大学生、高校生、中学生の息子がいるので。

 丈先生という人間に惚れ込んだの。

 だから丈先生が行く所、選んだ道に付いていきたくなった。

 丈先生と一緒に診療所を切り盛りする相手は、きっと丈先生の……いい言葉が見つからないわ。

「えっと、秘蔵っ子なんですね」
「……愛しい人なんだ」

 愛しい人!

 あぁ、そういうことなのね。

 ようやく腑に落ちたわ。





 母屋の玄関に現れたのは、まぁまぁまぁ!

 見惚れてしまう程に、たおやかな青年。

「ようこそ、月影寺へ。丈の兄の張矢翠です。この寺の住職をしております」

 この方は、丈先生のお兄様だわ!

 以前、検査入院と手術をされたことがあるので、お顔は存じていたけれども、お坊様としてのお姿は凜としていて、容姿端麗で美しいお方!

 その方が、客間に案内して下さったの。

「あの、僕の顔に何か?」
「すみません。丈先生とは顔立ちは違いますが、同じ血筋を感じます」
「なるほど、確かに顔は似ていないですよね。でも同じ血筋とは?」
「ひたむきな所がそっくりです。このお寺に足を踏み入れた時、身が引き締まりました。切なる願いが成就した場所なのですね」
「えっ、何故それを?」
「どうしてかしら? 急に懐かしくなりました」
「あなたには不思議なご縁を感じます」
「私もです」

 私とご住職さまの会話に耳を傾けていた丈先生は、さっきからどこか落ち着かない様子。

「翠兄さん、洋は?」
「あれ? 遅いね。様子を見てくるよ」

 暫くすると、廊下からカタカタと誰かが震えるような音がして、その後、襖の向こうがガタガタと揺れた。

 丈先生が顔色を変えて襖を開けると……

 まるで月の精のように、麗しい男性が立っていたの。

 女性と見間違えそうになったけれども、れっきとした男性だわ。艶めいた男らしさがあるもの。

 濡れたような漆黒の黒髪。

 象牙色の美しい肌。

 目元がなんとも言えない程麗しいわ。

 なんという美貌なの。

 外見だけでなく内面から滲み出る美しさに、感動すら覚えたわ。

「洋、遅かったな」
「丈、俺、一人でお茶を淹れられた」
「……そうか! すごいじゃないか」

 わぁ! 丈先生が手放しで甘やかすなんて、滅多に拝めないわ!

「……あぁ」
「ありがとう。ぜひこの方に差し上げてくれ」
「わかった」

 麗しい青年は私をまっすぐ見つめて、目を慎ましく伏せた。

 長い睫毛が緊張で震えていた。

「どうぞ」

 震える手で置かれた湯呑みには、彼の真心がギュッと詰まっていた。   


 たった一滴。  

 されど思いの丈が詰まったお茶だった。

 彼がどんなに丈先生を愛しているか。

 丈先生がどんなに彼を愛しているか。

 彼が診療所を手伝う覚悟。

 ぜんぶ伝わる極上の味だった。

 
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