重なる月

志生帆 海

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17章

月光の岬、光の矢 43

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 月影寺では、いつも流さんが美味しいお茶を淹れてくれる。

 韓国から帰国したばかりの時、ここで出されたお茶があまりに美味しくて、驚いた。

 あの時は感動した勢いで、流さんに美味しい理由を尋ねた。

……
「あの、このお茶は何故こんなにまろやかで美味しいのですか」
「それは真心を込めたからさ。真心を込めた茶葉、真心を込めた茶雫が生み出す味わいだ。つまり……どれだけの心を込めたかによって味が変わってくるものさ」
「深い世界なんですね」
「君の長旅の疲れが取れるように、心を込めた」
「長旅?」
「君と丈はとても長い旅をして、ここに辿り着いたのだろう? 違うか」
「あ……はい、その通りです。長い……長い、長すぎる道のりでした。だから、とても癒やされます」
「ようこそ、月影寺へ」
……

 あの時から、俺は月影寺に魅了されている。

 この世界は本当に落ち着く。

 俺の理想郷だ。

 だからこそ、俺も何か役に立ちたい。

 いつもしてもらってばかりだから、俺にも出来ることはないかと探したくなる。

 よし! 決めたぞ。

 見様見真似だが、流さんのように心を込めてお茶を淹れてみよう。

 まずはお湯を湧かせばいいのか。

 おっと、火傷しないようにしないとな。

 お茶っ葉は、これで合ってるのか。

 戸棚の茶筒を手に取った。

 茶葉の量が分からないので、真心の分だけどっさりと入れてみた。

 その後、湯飲みに注ぐと、ちゃんとお茶の香りがした。

 やった!

 ところが、湯飲みを持とうとすると、異常に熱かった。

「熱っ」

 まずいな。

 こんなに熱かったら手に持てないし、飲めないよな。

 ぬるくするためには……

 水を足せばいいのか。
 
 よく分からない部分は真心でカバーしよう。

 なにしろ今日の客人は、丈が大船の病院に勤め出してから、お世話になっている看護師さんだ。長年サポートしてくれた上に、今の職場を辞めて由比ヶ浜の診療所で一緒に働きたいと申し出てくれた有り難い人だ。

 俺の丈を認め、支えてくれた人。

 そう思うと、感謝の気持ちで一杯だ。

「よし、なんとか淹れられた。行こう」

 カタ……カタカタ……

 お盆にのせた湯飲みが震えるような音を立てる。

「大丈夫だ。俺だって出来る」

 静かに静かに、慎重に……

 そろりそろりと月影寺の長い廊下を歩いた。

 今日ほど、客間までの道が遠く感じたことはない。

 頑張ろう!

 
****

「どうぞ、客間へ」

 丈が連れてきた看護師の女性は、少しふくよかで母性溢れる優しそうな人だった。

 そして、優しいだけでなく肝っ玉が据わっているように感じた。

 直感で好感を持てたので、この人なら洋くんも物怖じせずに対面出来るだろう。

「兄さん、洋は?」
「ん……遅いね、すぐに来るように言ったのに」
「私が見てきます」
「いや、僕が行くよ。丈は話し相手を」
「あ、はい」

 客間を出て、洋くんを探すと……先ほど僕が洋くんを膝枕していた和室が騒がしかった。

 この声は、流と小森くん?

 何をワーワー言っているのか。

「どうしたの?」
「お住職さま~流さんがあんこには色がないって言うんですよー キーキー」
「はぁ?」

 流はやれやれと……困り顔だ。

「だから夢の話だって! って話がこんがらがってるぞ。翠~ このあんこ野郎をどうにしかしてくれよ」
「まぁまぁ、喧嘩は良くないよ。ところで洋くんは?」
「あれ?」

 三人で顔を見合わせた。

「まさか!」

 流が顔色を変えて、廊下に飛び出した。
 
 庫裡を覗くと……

「やられた!」

 お茶っ葉が辺りに散らばり、机の上が水でびちょびちょに濡れていた。

「ま、まかさ、洋がお茶を淹れちまったのか」
「そのようだ」
「ま、まずい」

 確かに洋くんは僕に似て不器用だから心配だ。

 お湯のみが空を飛ばないといいが……

 小森くんが「洋くんどこですかー」と言いながら走り出した。

「あれぇ」

 ところは、廊下で派手に足を滑らせてしまった。

「大丈夫か」
「ここ、濡れていますよぅ」

 点々と続く水たまり……

「これはお茶だ」
「まさか溢しながら歩いているの?」
「おそらく」

 これは緊急事態だ。

 これ以上の粗相があってはならぬ。

 客人の前で、落ち込む洋くんは見たくない。

 なんとしてでも止めねば!

 大惨事になる前に!

 僕と流は全速力で廊下を走った。

 二人して挨拶もせずに客間の襖を開けると、女性が優雅にお茶を飲んでいた。

「えっ?」

 洋くんはその様子を、緊張した面持ちで見つめていた。

 女性が口を開く。

「一滴でしたが……」

 えっ、たった一滴?

 じゃあ、廊下で溢しまくったお茶をそのままお出ししたんだね。

「私への真心を感じる美味しいお茶でした」
 
 良かった!

 やはり彼女なら大丈夫だ。
 
 大きな心で洋くんを受け止めてくれる。

 その言葉に、洋くんも満ち足りた笑顔を浮かべた。

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