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17章
月光の岬、光の矢 41
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「洋、今日の予定、覚えているか」
「あぁ、看護師さんと対面する日だろう」
「そうだ」
洋はいささか緊張しているようだ。
美しいカーブを描く頬にそっと手をあて、微笑みかけると、洋も優しい笑みを浮かべてくれた。
男らしい面も、繊細な面も、洋は持っている。
洋は月のような男だから――
空に浮かぶ月は儚い朧月の日もあれば、眩い光を放つ日もある。力強く弓を張っていたり、剣のように見えることもある。
つまり、どんな洋も、洋なのだ。
「仕事が終わったら、ここに連れてくるから宜しく頼む」
「丈、俺はどんな風に振る舞うべきだろうか」
「大丈夫だ。ありのままの姿を見せてくれ」
「……ありのまま……そうだな、心がけるよ」
心なしかまだ顔が青ざめていたので、私の胸に押しつけるように抱きしめて、洋の落ちていく心を拾い上げてやった。
「丈……すまない。俺、また弱い面を見せて」
「私にはすべてを見せろ、すべてを明け渡せ」
洋は対人恐怖症なのかもしれない。
人と向き合うと極度の不安や緊張を生じて、相手に嫌がられてしまうのでは、不快感を与えるのではとマイナスに考え、身を引こうとする。
そうなってしまったのは、あの男との長年の閉鎖的な生活のせいだ。
過去は取り戻せない。
過去は完全には拭えない。
だから私に出来ることは、都度、洋の心を浄化することだ。
そのために私は存在するといっても過言ではない。
遙か昔から、私は常に洋の傍にいた。
洋という人間を生かすために、生まれて来た。
山門へ続く階段は、心を整理する場所だった。
「丈先生? あの、そんなに思い詰めないで下さい。私なら大丈夫ですよ。丈先生に申し出た時点で、全てを受け入れる覚悟は出来ています。何しろプライベートを殆ど見せない丈先生でしたから、丈先生の思い人がキツネでもオオカミでも驚きません」
「狐? 狼? ははっ、君は肝が据わっているというか、発想が面白い」
「つまりドンと来いですわ。私は三人の男の子の母なので、ちょっとやそっとでは動じません」
「頼もしいよ」
洋との対面は本堂横の客間で行う予定になっていたので、私はそのまま母屋に案内した。
玄関のインターホンを押すと、暫く間があった。
不在かと案じたが、その後、たおやかな声がした。
「私です。客人をお連れしました。洋は?」
「お帰り。洋くんならここにいるよ。今、行く」
翠兄さん自らお出ましか。
完全に兄モードになっているようだ。
****
インターホンが鳴った時、僕はすぐに立てなかった。
「流、どうしよう? 丈が帰ってきたから、起こさないといけないね」
「あーあ、洋は緊張し過ぎて、翠の膝枕で眠っちまうとはな」
「緊張でガチガチだからと、自ら飛び込んできてくれて可愛いかったね。こんなに懐いてくれるなんて夢のようだ」
「本当はそこは俺の場所だが、可愛い弟に免じて許してやるよ。ほら、ハンズフリーにしてやるから、応対してくれよ」
「ありがとう」
月影寺の母屋に客人がやってくるのは、珍しい。
ここは普段は結界を張っているので、容易く近づけない場所なのだ。
今宵は特別だ。
丈の開業にあたり看護師さんを雇う必要があり、その面接をする。
洋くんと馬が合うか、洋くんを受け入れてくれる人か見極める必要があるのだ。
僕たち三兄弟は、もう二度と洋くんが傷つかないようにしてあげたいので、つい慎重になってしまうのは無理もない。
「洋くん……洋くん起きられそうか」
「あ……すみません。俺……緊張して目眩がして……それから……えっ、翠兄さんの膝枕!」
「うん、可愛かったよ。僕にもたれかかってそのまま眠ってしまったんだよ」
「わ! 流さんすみません」
洋くんが開口一番、流に謝るので苦笑してしまった。
「おいおい、俺はそんなに心が狭い男じゃねーよ」
「でもここは大切な場所ですよね」
「お! 分かってくれるか。今日は布越しだから許す」
「え? 布越し……って、あっ」
洋くんはポンッと赤くなり、僕は青くなる。
「りゅ、流!」
「翠は怒ってる場合じゃないぞ。早く客人を出迎えないと」
「あ、そうだった」
「翠さん、俺も行きます」
「洋くんは寝起きだから、一呼吸置いて客間で挨拶するといい」
「あ……はい」
「洋くん、大丈夫だよ。洋くんは大丈夫だ。僕のお墨付きだからね」
幼子のように僕の膝で眠る姿も、勇気を持って一歩踏み出す姿も、全て愛おしい。
ここにやってきた当初の君は、触れてはいけないガラスのような心の持ち主だった。痛々しい姿だった。
だが月影寺で過ごした年月が、君の心を解き放った。
「洋くんの洋は、『前途洋洋』の洋だ。そのことを忘れてはいけないよ」
「はい」
「だから、必ずうまく行くよ」
洋くんの闇は消えた。
今後の人生は大きく開いている。
希望に満ちあふれている。
「希望を持って生きる道が、これから洋くんが歩む道だよ」
「翠さんの言葉に力づけられます」
「自信を持って――」
「はい!」
洋くんに必要なのは、己に対する自信だ。
皆で支えるから、どうか自分を愛して、自分を信じて欲しい。
ありのままの君が一番なんだよ。
「あぁ、看護師さんと対面する日だろう」
「そうだ」
洋はいささか緊張しているようだ。
美しいカーブを描く頬にそっと手をあて、微笑みかけると、洋も優しい笑みを浮かべてくれた。
男らしい面も、繊細な面も、洋は持っている。
洋は月のような男だから――
空に浮かぶ月は儚い朧月の日もあれば、眩い光を放つ日もある。力強く弓を張っていたり、剣のように見えることもある。
つまり、どんな洋も、洋なのだ。
「仕事が終わったら、ここに連れてくるから宜しく頼む」
「丈、俺はどんな風に振る舞うべきだろうか」
「大丈夫だ。ありのままの姿を見せてくれ」
「……ありのまま……そうだな、心がけるよ」
心なしかまだ顔が青ざめていたので、私の胸に押しつけるように抱きしめて、洋の落ちていく心を拾い上げてやった。
「丈……すまない。俺、また弱い面を見せて」
「私にはすべてを見せろ、すべてを明け渡せ」
洋は対人恐怖症なのかもしれない。
人と向き合うと極度の不安や緊張を生じて、相手に嫌がられてしまうのでは、不快感を与えるのではとマイナスに考え、身を引こうとする。
そうなってしまったのは、あの男との長年の閉鎖的な生活のせいだ。
過去は取り戻せない。
過去は完全には拭えない。
だから私に出来ることは、都度、洋の心を浄化することだ。
そのために私は存在するといっても過言ではない。
遙か昔から、私は常に洋の傍にいた。
洋という人間を生かすために、生まれて来た。
山門へ続く階段は、心を整理する場所だった。
「丈先生? あの、そんなに思い詰めないで下さい。私なら大丈夫ですよ。丈先生に申し出た時点で、全てを受け入れる覚悟は出来ています。何しろプライベートを殆ど見せない丈先生でしたから、丈先生の思い人がキツネでもオオカミでも驚きません」
「狐? 狼? ははっ、君は肝が据わっているというか、発想が面白い」
「つまりドンと来いですわ。私は三人の男の子の母なので、ちょっとやそっとでは動じません」
「頼もしいよ」
洋との対面は本堂横の客間で行う予定になっていたので、私はそのまま母屋に案内した。
玄関のインターホンを押すと、暫く間があった。
不在かと案じたが、その後、たおやかな声がした。
「私です。客人をお連れしました。洋は?」
「お帰り。洋くんならここにいるよ。今、行く」
翠兄さん自らお出ましか。
完全に兄モードになっているようだ。
****
インターホンが鳴った時、僕はすぐに立てなかった。
「流、どうしよう? 丈が帰ってきたから、起こさないといけないね」
「あーあ、洋は緊張し過ぎて、翠の膝枕で眠っちまうとはな」
「緊張でガチガチだからと、自ら飛び込んできてくれて可愛いかったね。こんなに懐いてくれるなんて夢のようだ」
「本当はそこは俺の場所だが、可愛い弟に免じて許してやるよ。ほら、ハンズフリーにしてやるから、応対してくれよ」
「ありがとう」
月影寺の母屋に客人がやってくるのは、珍しい。
ここは普段は結界を張っているので、容易く近づけない場所なのだ。
今宵は特別だ。
丈の開業にあたり看護師さんを雇う必要があり、その面接をする。
洋くんと馬が合うか、洋くんを受け入れてくれる人か見極める必要があるのだ。
僕たち三兄弟は、もう二度と洋くんが傷つかないようにしてあげたいので、つい慎重になってしまうのは無理もない。
「洋くん……洋くん起きられそうか」
「あ……すみません。俺……緊張して目眩がして……それから……えっ、翠兄さんの膝枕!」
「うん、可愛かったよ。僕にもたれかかってそのまま眠ってしまったんだよ」
「わ! 流さんすみません」
洋くんが開口一番、流に謝るので苦笑してしまった。
「おいおい、俺はそんなに心が狭い男じゃねーよ」
「でもここは大切な場所ですよね」
「お! 分かってくれるか。今日は布越しだから許す」
「え? 布越し……って、あっ」
洋くんはポンッと赤くなり、僕は青くなる。
「りゅ、流!」
「翠は怒ってる場合じゃないぞ。早く客人を出迎えないと」
「あ、そうだった」
「翠さん、俺も行きます」
「洋くんは寝起きだから、一呼吸置いて客間で挨拶するといい」
「あ……はい」
「洋くん、大丈夫だよ。洋くんは大丈夫だ。僕のお墨付きだからね」
幼子のように僕の膝で眠る姿も、勇気を持って一歩踏み出す姿も、全て愛おしい。
ここにやってきた当初の君は、触れてはいけないガラスのような心の持ち主だった。痛々しい姿だった。
だが月影寺で過ごした年月が、君の心を解き放った。
「洋くんの洋は、『前途洋洋』の洋だ。そのことを忘れてはいけないよ」
「はい」
「だから、必ずうまく行くよ」
洋くんの闇は消えた。
今後の人生は大きく開いている。
希望に満ちあふれている。
「希望を持って生きる道が、これから洋くんが歩む道だよ」
「翠さんの言葉に力づけられます」
「自信を持って――」
「はい!」
洋くんに必要なのは、己に対する自信だ。
皆で支えるから、どうか自分を愛して、自分を信じて欲しい。
ありのままの君が一番なんだよ。
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