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17章
月光の岬、光の矢 40
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診療所の開業日を決めると、急に忙しくなった。
思い切って終着点を決めると、やることが次々と出てくるものだな。
由比ヶ浜の診療所は耐震工事に手間取り、予定より実に1年オーバーで開業することになった。
洋を随分長いこと待たせてしまった。
ようやく、ようやくなのだ。
開業医となる日が刻一刻と近づいてくる。
身が引き締まる思いだ。
私は昔から権力者に逆らうのは無駄な努力だと諦める節があった。社会で生きていく上では、長いものに巻かれることは避けては通れない道だと理解していたが、厳しい上下関係の中でおべっかを使うのが耐えられない性格だった。
だから研修医の後、大学病院に残らず、企業で働く嘱託医の道を選んだ。
嘱託医とは企業の依頼で従業員の健康管理をする医師で、私は専属医として契約を結び、従業員の健康指導や職場巡視などを行っていた。そこにある日やってきたのが、アメリカの大学を出たばかりの洋だったというわけだ。
まだ洋が大学を卒業したばかりの初々しい頃だ。
そんな私がまさか自分で舵を取る日がやって来るとは。
過去の私が聞いたら驚くだろう。
さてと、今日の仕事はそろそろ終わりか。
私はパソコンのモニターを消し、席を立った。
この後、大切な用事がある。
診療所を手伝いたいと申し出てくれた医局の看護師と、洋との対面を予定している。
……
「村山さん、以前申し出てくれたことは、まだ生きているか」
「丈先生、もちろんですよ。先生の行く所に、是非お供させて下さい」
「ありがとう。私も是非君に手伝ってもらいたいが、一つだけ受け入れて欲しいことがある」
「それは何でしょうか」
「実は……私と診療所を共同経営する大切なパートナーがいて、彼に会って欲しいのだが」
「パートナー? そんな方がいらっしゃったのですね。ぜひ会わせて下さい」
……
はたして『パートナー』の意味をきちんと理解してもらえたのだろうか。
村山さんの温厚な性格と広い心があれば、ありのままの洋を受け入れてもらる可能性が高いと踏んでいる。
洋と対面する場所は、迷った末に月影寺にした。
病院内では悪目立ちするし、大船駅や鎌倉駅の喫茶店では、洋が人目を引きすぎて話に集中出来ないだろうから。
私がどこに住んでいるか、この病院ではシークレットだったが、彼女にはまずそこから知ってもらいたいのもあって。
「丈先生、お寺で面会なんて粋ですね。このお寺って巷で有名ですよ」
「え? そうなのか」
「ふふっ、ママ友の間で、大変見目麗しいお坊様がいらっしゃると」
なるほど、それは兄さんのことだな。
「あと、ワイルドでカッコいいお坊様もいると聞きました」
それは、流兄さんのことだ。
「君は行ったことがないようだな」
「あ、そうなんですよ。仕事が忙しくてなかなか……」
「それは悪かった」
ん? 翠兄さんなら傷痕の手術で入院した時に見ているはずだが、月影寺のお坊様とは知らないようだ。これは面白い。
「いえいえ、私は何しろ女神様のようなお兄様とワイルドなお兄様。雑誌モデルのような絶世の美女の妹さんを拝めた貴重な人間なので、満足です」
「妹?」
「えぇ、以前いらしていましたよね」
「あぁ……あの時か」
翠兄さんが検査入院している時、白江さんと一緒に洋が女装してやって来た。
はぁ……まさかあれが洋とは言えないな。
「どんな方でも、丈先生が信頼されるパートナーですから、受け入れられると思います」
「是非……頼む。とても繊細な人なんだ」
「そうなんですね、心得ました」
「村山さんを信頼しているから、会わせるんだ」
「秘蔵っ子なんですね」
「……愛しい人なんだ」
「あっ……分かりました」
そんな会話をしながら、ゆったりと月影寺の山門を潜った。
思い切って終着点を決めると、やることが次々と出てくるものだな。
由比ヶ浜の診療所は耐震工事に手間取り、予定より実に1年オーバーで開業することになった。
洋を随分長いこと待たせてしまった。
ようやく、ようやくなのだ。
開業医となる日が刻一刻と近づいてくる。
身が引き締まる思いだ。
私は昔から権力者に逆らうのは無駄な努力だと諦める節があった。社会で生きていく上では、長いものに巻かれることは避けては通れない道だと理解していたが、厳しい上下関係の中でおべっかを使うのが耐えられない性格だった。
だから研修医の後、大学病院に残らず、企業で働く嘱託医の道を選んだ。
嘱託医とは企業の依頼で従業員の健康管理をする医師で、私は専属医として契約を結び、従業員の健康指導や職場巡視などを行っていた。そこにある日やってきたのが、アメリカの大学を出たばかりの洋だったというわけだ。
まだ洋が大学を卒業したばかりの初々しい頃だ。
そんな私がまさか自分で舵を取る日がやって来るとは。
過去の私が聞いたら驚くだろう。
さてと、今日の仕事はそろそろ終わりか。
私はパソコンのモニターを消し、席を立った。
この後、大切な用事がある。
診療所を手伝いたいと申し出てくれた医局の看護師と、洋との対面を予定している。
……
「村山さん、以前申し出てくれたことは、まだ生きているか」
「丈先生、もちろんですよ。先生の行く所に、是非お供させて下さい」
「ありがとう。私も是非君に手伝ってもらいたいが、一つだけ受け入れて欲しいことがある」
「それは何でしょうか」
「実は……私と診療所を共同経営する大切なパートナーがいて、彼に会って欲しいのだが」
「パートナー? そんな方がいらっしゃったのですね。ぜひ会わせて下さい」
……
はたして『パートナー』の意味をきちんと理解してもらえたのだろうか。
村山さんの温厚な性格と広い心があれば、ありのままの洋を受け入れてもらる可能性が高いと踏んでいる。
洋と対面する場所は、迷った末に月影寺にした。
病院内では悪目立ちするし、大船駅や鎌倉駅の喫茶店では、洋が人目を引きすぎて話に集中出来ないだろうから。
私がどこに住んでいるか、この病院ではシークレットだったが、彼女にはまずそこから知ってもらいたいのもあって。
「丈先生、お寺で面会なんて粋ですね。このお寺って巷で有名ですよ」
「え? そうなのか」
「ふふっ、ママ友の間で、大変見目麗しいお坊様がいらっしゃると」
なるほど、それは兄さんのことだな。
「あと、ワイルドでカッコいいお坊様もいると聞きました」
それは、流兄さんのことだ。
「君は行ったことがないようだな」
「あ、そうなんですよ。仕事が忙しくてなかなか……」
「それは悪かった」
ん? 翠兄さんなら傷痕の手術で入院した時に見ているはずだが、月影寺のお坊様とは知らないようだ。これは面白い。
「いえいえ、私は何しろ女神様のようなお兄様とワイルドなお兄様。雑誌モデルのような絶世の美女の妹さんを拝めた貴重な人間なので、満足です」
「妹?」
「えぇ、以前いらしていましたよね」
「あぁ……あの時か」
翠兄さんが検査入院している時、白江さんと一緒に洋が女装してやって来た。
はぁ……まさかあれが洋とは言えないな。
「どんな方でも、丈先生が信頼されるパートナーですから、受け入れられると思います」
「是非……頼む。とても繊細な人なんだ」
「そうなんですね、心得ました」
「村山さんを信頼しているから、会わせるんだ」
「秘蔵っ子なんですね」
「……愛しい人なんだ」
「あっ……分かりました」
そんな会話をしながら、ゆったりと月影寺の山門を潜った。
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