重なる月

志生帆 海

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17章

月光の岬、光の矢 36

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 朝、丈が仕事に出てから、俺はずっと机に向かって集中していた。

 少し前に昔の英国の同性愛小説を翻訳してから、海外小説の翻訳が頻繁に舞い込むようになり、忙しい日々を送っている。

 手がけた『峠を越えて』は、禁じられた世界で藻掻き苦しむ二人を繊細に表現した素晴らしい小説で、夢中になって翻訳した。

 結果、師匠に『言葉選びが良い』と褒めていただけ、また一つ自分に自信が持てるようになった。
 
 だが、この仕事もそろそろ店じまいだ。

 俺は二足の草鞋をはける程、器用ではない。

 一つこなすだけで、精一杯だ。

 丈の開業にあたり、診療所を手伝わせてもらえることになった。

 俺は丈が生涯をかける仕事に、中途半端に関わるつもりはない。だから師匠は惜しんで下さったが、翻訳の仕事には一旦区切りをつける。

 きっと……俺の決断を、亡き父なら理解してくれるだろう。

 幼い頃の記憶はおぼろげだが、父の言葉を思い出す。

……
「パパ……ぼく……かけっこ、あまりすきじゃないよ」
「洋、何事も全力で向き合ってベストを尽くせ。パパはその生き方を貫くよ」
「それってママをまもるってこと?」
「その通りだ。ママはお姫様だからな、全力で守ってやりたい。生きている限り、幸せに微笑んでいて欲しいからな」
「パパ、かっこいいね」
……

 父の願いは残念ながら道半ばで途絶えてしまったが、きっと今頃天国で再会して、仲睦まじく暮らしているだろう。

 俺はそんな両親に恥じない生き方をしたい。

 俺が全力を投じたい相手は、丈だ。

 ようやくここまで辿り着いたのだから。

 丈と肩を並べて立てる場所まで――

 
 いつの間にか、部屋の中がオレンジ色に染まっていた。

 あれ? もう夕方なのか。

 もうすぐ終わる。

 これが最後の仕事になる。

 そう思うと、一気にこなしてしまいたかった。

 だから飲食も忘れる程、夢中になっていたようだ。

 コンコンと窓を叩く音がしたので振り返ると、作務衣姿の流さんが竹林に立っていた。

「洋、まだ仕事してんのかー あ! さては昼飯また食ってないな。夕食は母屋で栄養があるものを食えよ」
「あ……すみません」

 しまった。

 また昼食を取るのを忘れてしまった。

 だから素直に従うことにした。

 母屋に行くと、流さんに突然ハグされた。

「え? なんですか」
「健康診断だ。ふむふむ、だいぶ肉付きも良くなったな。顔色もいいし、髪もつやつやで美味しそうだぞ」
「お、美味しそう?」
「おっと、食うのは俺じゃねーぞ。丈だ」

 流さんにバンバン背中を叩かれていると、翠さんが呆れた顔をした。

「りゅーう、おふざけも、ほどほどにしないと、洋くんが逃げ帰ってしまうよ」
「そんなことしないよな! だって今日の献立はハンバーグだぜ」
「ハンバーグ!」
「ははっ 目を輝かせて、可愛いよなー 洋は」
「うんうん、洋くんは本当に可愛いね。さぁ沢山お食べ」


 二人の兄に大切に可愛がってもらえるこの状況、まだまだ不慣れだが、くすぐったくも嬉しいものだな。

 そういえば、父が生きていた頃、母もこんな風に扱われていた。
 
 父の手作りハンバーグを一口ずつ食べさせてもらって、少女のように笑っていた。

「洋、ほら、あーんだ」
「洋くん、口を開けてごらん」
「にっ、兄さんたち、俺で遊んでないですか」
「へへっ、可愛いからさぁ」
「うん、うん」
「もう……仕方がないな……あーん」

 だとしたら母は幸せだった。

 俺も今、とても、とても幸せだから――

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