重なる月

志生帆 海

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17章

季節の番外編『中秋の名月』2

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前置き

こんにちは、志生帆海です。
月と言えば、この二人の物語を書きたくなります。
この番外編は、丈の診療所開院後の設定で書いています。
なので、丈と洋は由比ヶ浜の診療所で働いています。


****

「洋、そろそろ帰ろう」
「そうだな、じゃあ着替えてくるよ」
「いや、今日はそのままでいい」
「え?」

 白い看護師の制服を、脱ごうと思ったのに制された。

「また何を考えて? ん? 丈も白衣のまま帰るのか」
「今宵は中秋の名月だ」
「それは知っているが、それと白衣に何の関係がある?」
「ふっ、帰れば分かるさ」

 丈が楽しそうなので、ここは抗わずに付き合うことにした。

 最近の丈は、心の声が外に漏れていて可愛いんだよな。

 俺が丈にこんな感情を抱くようになるとはな。




 診療所の外に出ると、海上に美しい月が見えた。

 海面に月が映っている光景に、なんとも言えない気持ちになる。

 鎌倉は朝日も夕日も美しいが、月は格別だ。

 今の俺は朝日に包まれて出勤し、夕焼けと共に仕事を終え、最後は月光を楽しめるとは。

 空の移ろいをフルコースで楽しめる贅沢な生活を送っている。

 蔑まれた日々の記憶はまだ残っているが、毎日、波が洗い流してくれるので、前を向いて、空を見上げて、生きていける。

「洋、どうした? 早く乗れ」
「あ、うん」

 車窓から海に浮かぶ月をぼんやりと眺めていると……

 洋月の君の記憶が蘇ってきた。

……
ぼんやりと眺める牛車の窓からは、月を映した美しい湖が見えて来た。
だが月が湖に溺れそうな程大きいことに違和感を覚えて、思わず牛車に付き添う従者に声を掛けてしまった。

「今宵の月は妙に大きいな」
「洋月の君様、今宵の月は特別ですよ。この何年かで一番大きく見える特別な月だそうです」
「そうなのか…」

なんて重たそうな月だ。
湖にそのまま重く沈んでしまいそうだ。
嫌な気分だ。桔梗の上のあの膨らんだ腹を思い出してしまう。
あの腹がもう少し経てば、この満月のようにまん丸に大きくなるのか。
俺はそのまま黙り込んでしまった。
……
※『極上の月』より引用

 あの日の俺は満月に憂鬱な気持ちになり落ち込んでしまったが、今日は違う。

「丈、あの月は……まるで気球のように見えないか」
「そうだな。手を伸ばせば、空高く、私たちを浮上させてくれそうだ」
「丈、俺はもう俯かないよ」
「あぁ、洋はもう振り返らなくていい。私たちが歩む未来は、過去の私たちが夢見た世界なのだから、進もう」

 丈が静かに車を路肩に停めた。

「ここで、少しだけ月と戯れていこう」
 
 白いガードレールにもたれて、二人で月を眺めた。

「月はいつの世も、私たちの味方だ」
「俺は、月の光に包まれるのが昔から好きだった」
「私は月光のような君が好きだ」

 月の傍で、そっと唇を重ねた。

 月だけに見ることを許す口づけは、極上だった。


「丈、寄り道をしていいか」
「月下庵茶屋だろう」
「どうして知って?」
「私も和菓子を予約しているからな」
「ふっ、同じことをしていたのか」

 月下庵茶屋では……

 驚いたことに、二人とも同じ商品を注文していた。

『月光饅頭』

 淡い月光色の黄身餡の大きな饅頭は、満月を模していた。

「丈と俺の月を重ねれば、『重なる月』だな」
「その通りだ。これは月影寺の人々と食べよう」
「あぁ、俺たちだけでは食べきれない」

 母屋に饅頭を持参すると、楽しそうな声が居間から聞こえた。

 耳を澄ませば――

「ご住職さまぁは、あんこちゃん博士です」
「小森くん、僕は一介の住職に過ぎないよ。博士だなんて」
「では、どうしてそんなにお詳しいのですか。全都道府県のお月見団子をお取り寄せした上に、詳しく解説して下さるなんて」
「それは小森くんが大好きだから、君が好きなものをもっと知りたくて勉強したんだよ」
「きゅーん! ご住職さまのこと、風太も大好きです。えっと菅野くんと同じくらい」
「くすっ、菅野くんの次でいいよ」

 えっ、居間に、全都道府県のお月見団子が勢揃いしているのか。

 小森くんは本当に溺愛されている。

「あっ、だから白衣のまま帰宅したのか」
「そういうことだ。翠兄さんと流兄さんの会話から、今日はこうなると思っていた。兄さんたちが甘やかすから、小森くんの虫歯が進行してないか心配だ」

 丈が鞄から、なにか取り出した。

 それは歯科医の治療道具が入ったセットだった。

「待てよ。丈は歯科医ではないから医療行為は駄目だぞ」
「これは芽生くんといっくん推奨のおもちゃのドクターバッグだ」
「なんだ、イマドキはリアルだな」
「医師と患者ごっこを通じて、小森くんの歯科医院に対しての恐怖を和らげるのに役立つかと」
「もっともらしい言い分だな」
「行くぞ」
「了解」

 白衣にドクターバッグを抱えて居間に入り、丈が銀色の口腔鏡を高々と掲げると、小森くんは頬を押さえて真っ青になって縮こまった。

「小森くん、そんなに甘いものばかり食べて……最近、歯は痛まないか」
「い、い……痛くなんかありませんよぅ……」
「本当かな? では私がチェックしよう。定期検診だ。さぁ口を開けて」
「ご住職さま~ こわいですよぅ」
「小森くん、可哀想だけど……丈はしつこい男だよ」
「翠さんは何でも知っているのですね。ここは俺が」

 怯える瞳の小森くんの頬を両手で包んで、俺は甘く微笑んだ。

「小森くん、歯が痛くなると美味しいあんこを食えなくなるぞ。この可愛いほっぺが凹んだら、君の魅力が台無しだ」

 甘く微笑んでウィンクしてやると、小森くんは頬を桃饅頭のように染めていた。

「よ、洋くんの言葉は、甘くて美味しそうです! じゅるるー」
「え? 言葉が美味しそう?」
「はい! 洋くんは、あんこちゃんに守られています」
「ふっ、君のことか」
「はい、僕は洋くんのお友達ですから」


 解決にならない会話だが、心が和んだ。

 昔の俺の周りにはなかった世界だ。

 ここは優しくてあたたかくて楽しい。

 居心地が良くて、転た寝をしたくなる程、安全な世界だ。
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