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17章
月光の岬、光の矢 28
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この洋館は、素晴らしい立地だ。
バルコニーからは海を一望出来、天を仰ぐと星が降ってくる。
引いては寄せる波音に耳を傾けると、心が凪いでくる。
海は好きだ。
綺麗に洗い流してくれるから、とても落ち着く。
俺たちにとって、ここは聖なる地だ。
「洋……」
「丈……」
俺たちは、頻繁に互いの名を呼び合う。
互いの存在を確認したがるのは、前世で寂しい別れをしたからなのか。
もう絶対に離れないという意志の表れなのか。
「寒くないか」
「あぁ、お前がいるからな」
丈に抱きしめられると、身体の隅々まで浄化されていく。
遠い昔から、俺はこうやって丈に身体を清めてもらった。
心を温めてもらった。
どんなに汚されても、生きることを諦めなかったのは、丈がいてくれたから。
「丈、そろそろ月影寺に戻ろう。翠さんが待っている」
「そうだな。洋、もう間もなくだ。宜しく頼む。私の仕事の相棒となってくれ」
「あぁ、俺に出来ることがあればいいが」
「さっきも言ったが、洋だから出来ることがきっと待っている」
「悪い、また弱気になって」
「気にするな。そんな洋も含めて愛している」
そんな話をしながら階段を降りると、玄関のチャイムが鳴った。
丈と顔を見合わせて、怪訝な顔をしてしまった。
こんな時間に、この洋館を訪ねてくる人に心当たりは……
ある!
おばあ様が帰り際に話していた彼らだ。
以前、海で丈の白衣を掴んで涙した上品な老紳士、海里先生の弟の瑠衣さんとそのパートナーのアーサーさんに違いない。
「瑠衣さんとアーサーさんですか」
「その通りだ。隣人として挨拶にきたぞ」
「アーサー、君は少し堂々としすぎた。こんな夜分に申し訳ないね」
扉を開けると……
堂々と胸を張って答えるのは、アーサーさん。
隣りに控えめに佇むのは瑠衣さんだ。
「やぁ、あれ以来だな」
「ご無沙汰しております。再びお目にかかれて光栄です」
「お、お久しぶりです」
英国貴族と執事のオーラに、思わず圧倒されそうになる。
「こんな時間に急に来て悪かったね」
「いえ、帰国しているのは祖母から伺っていました。むしろ俺たちの方からお願いに上がらないといけなかったのに……すみません」
「とんでもないさ。ところでお願いってなんだ? もしかして俺たちに何か出来ることがあるのか」
アーサーさんは少年のようにワクワクした顔で身を乗り出し、瑠衣さんはクールなのが、微笑ましかった。
こんな風に歳を取りたいと思うほど、二人が醸し出す雰囲気はナチュラルだ。
そこで、丈が理路整然と話し出す。
こういう時の丈は本当に迷いがない。
任せよう。委ねよう。
「実はご覧の通り、この洋館の耐震工事とリフォーム工事がようやく終わりました。ですので、もう間もなく診療所を開院する予定です。それに先立ち大切な人たちにお披露目パーティーをしたいのですが、私も洋もパーティーを主催することに不慣れで困っております。そこで洋のおばあ様のアドバイスもあり、ぜひお二人に助けてもらえないでしょうか」
そこまで一気に話すと、今度はアーサーさんと瑠衣さんが顔を見合わせた。
困らせてしまったかと心配になったが、そうではないらしい。
それは二人の慈愛に満ちた柔らかな表情から伺い知れた。
「嬉しい申し出だ。まるであの日の再来だな」
「本当に……海里に頼まれて『海里診療所』の開院パーティーを計画させてもらったのは、僕たちだった」
「そうだったのですね。私が『海里診療所』を継がせていただくので、ぜひ海里先生の身内のお二人に力を貸して欲しいです」
アーサーさんは手放しで喜んで下さり、瑠衣さんはうっすら涙ぐんでいた。
「嬉しい申し出だな。瑠衣、俺たち長生きして良かったな」
「うっ……」
「おい、瑠衣、泣かないでくれ」
「うん……あの、失礼しました。ぜひ、心を込めて手伝わせて下さい」
「是非、宜しくお願いします」
瑠衣さんが目を細めて、俺を見つめる。
「あぁ、洋くんは本当に夕さんにそっくりな眼差しですね。あなたは夕さんの遺志を継いでいるのですよ」
「え? 母の遺志?」
「夕さんは幼い頃から、穏やかで優しく、相手の心に寄り添える女性でした。少々人見知りでしたが、困っている人には迷いなく手を差し出せて、いつも素敵でした」
初めて聞く母のエピソードに胸が高鳴っていく。
「母がそんなことを?」
「えぇ、あなたは夕さんのあの日の眼差しと、よく似ています」
「あの日とは?」
「幼い頃から病院に通うことが多かった夕さんは、看護師になりたいという夢を自然に抱いていました。ですが高校生になっても病弱な身体と家庭のご事情で叶えられなかったのです。ですが……私には、そっと話してくれました」
……
「瑠衣さん、聞いて。私、最近体調が悪くて学校に行けていないの。父にも反対されて……やっぱり看護師になりたいという夢は諦めないと駄目みたい。でもね……苦しいことや悲しいことを抱える患者さんに、そっと寄り添ってあげたいの。そういうお手伝いがしたいの。何か方法があるといいのに……」
……
「そんなことを母が希望していたのですか……」
「はい、そこで、私はこう答えました」
「なんと?」
……
「では、いつか海里が病院勤めをやめて開業したら、夕さんもお手伝いしてあげるといいですよ。海里と柊一さんは夕さんが大好きですから、大歓迎ですよ」
「まぁ、なんて素敵な夢なの。いつかきっと……」
……
瑠衣さんの話に、俺の心は震えっぱなしだ。
「ですから、洋さんが丈先生の手伝いをするのは、夕さんの夢でもあるのですよ」
「……そんなことを母が……」
今まで一度も聞いたことがないよ。
母の夢なんて……想像したこともなかった。
俺は、ずっと自信がなかった。
丈の相棒が務まるか。
だが瑠衣さんの話を聞いて、吹っ切れた。
迷いは消えた。
バルコニーからは海を一望出来、天を仰ぐと星が降ってくる。
引いては寄せる波音に耳を傾けると、心が凪いでくる。
海は好きだ。
綺麗に洗い流してくれるから、とても落ち着く。
俺たちにとって、ここは聖なる地だ。
「洋……」
「丈……」
俺たちは、頻繁に互いの名を呼び合う。
互いの存在を確認したがるのは、前世で寂しい別れをしたからなのか。
もう絶対に離れないという意志の表れなのか。
「寒くないか」
「あぁ、お前がいるからな」
丈に抱きしめられると、身体の隅々まで浄化されていく。
遠い昔から、俺はこうやって丈に身体を清めてもらった。
心を温めてもらった。
どんなに汚されても、生きることを諦めなかったのは、丈がいてくれたから。
「丈、そろそろ月影寺に戻ろう。翠さんが待っている」
「そうだな。洋、もう間もなくだ。宜しく頼む。私の仕事の相棒となってくれ」
「あぁ、俺に出来ることがあればいいが」
「さっきも言ったが、洋だから出来ることがきっと待っている」
「悪い、また弱気になって」
「気にするな。そんな洋も含めて愛している」
そんな話をしながら階段を降りると、玄関のチャイムが鳴った。
丈と顔を見合わせて、怪訝な顔をしてしまった。
こんな時間に、この洋館を訪ねてくる人に心当たりは……
ある!
おばあ様が帰り際に話していた彼らだ。
以前、海で丈の白衣を掴んで涙した上品な老紳士、海里先生の弟の瑠衣さんとそのパートナーのアーサーさんに違いない。
「瑠衣さんとアーサーさんですか」
「その通りだ。隣人として挨拶にきたぞ」
「アーサー、君は少し堂々としすぎた。こんな夜分に申し訳ないね」
扉を開けると……
堂々と胸を張って答えるのは、アーサーさん。
隣りに控えめに佇むのは瑠衣さんだ。
「やぁ、あれ以来だな」
「ご無沙汰しております。再びお目にかかれて光栄です」
「お、お久しぶりです」
英国貴族と執事のオーラに、思わず圧倒されそうになる。
「こんな時間に急に来て悪かったね」
「いえ、帰国しているのは祖母から伺っていました。むしろ俺たちの方からお願いに上がらないといけなかったのに……すみません」
「とんでもないさ。ところでお願いってなんだ? もしかして俺たちに何か出来ることがあるのか」
アーサーさんは少年のようにワクワクした顔で身を乗り出し、瑠衣さんはクールなのが、微笑ましかった。
こんな風に歳を取りたいと思うほど、二人が醸し出す雰囲気はナチュラルだ。
そこで、丈が理路整然と話し出す。
こういう時の丈は本当に迷いがない。
任せよう。委ねよう。
「実はご覧の通り、この洋館の耐震工事とリフォーム工事がようやく終わりました。ですので、もう間もなく診療所を開院する予定です。それに先立ち大切な人たちにお披露目パーティーをしたいのですが、私も洋もパーティーを主催することに不慣れで困っております。そこで洋のおばあ様のアドバイスもあり、ぜひお二人に助けてもらえないでしょうか」
そこまで一気に話すと、今度はアーサーさんと瑠衣さんが顔を見合わせた。
困らせてしまったかと心配になったが、そうではないらしい。
それは二人の慈愛に満ちた柔らかな表情から伺い知れた。
「嬉しい申し出だ。まるであの日の再来だな」
「本当に……海里に頼まれて『海里診療所』の開院パーティーを計画させてもらったのは、僕たちだった」
「そうだったのですね。私が『海里診療所』を継がせていただくので、ぜひ海里先生の身内のお二人に力を貸して欲しいです」
アーサーさんは手放しで喜んで下さり、瑠衣さんはうっすら涙ぐんでいた。
「嬉しい申し出だな。瑠衣、俺たち長生きして良かったな」
「うっ……」
「おい、瑠衣、泣かないでくれ」
「うん……あの、失礼しました。ぜひ、心を込めて手伝わせて下さい」
「是非、宜しくお願いします」
瑠衣さんが目を細めて、俺を見つめる。
「あぁ、洋くんは本当に夕さんにそっくりな眼差しですね。あなたは夕さんの遺志を継いでいるのですよ」
「え? 母の遺志?」
「夕さんは幼い頃から、穏やかで優しく、相手の心に寄り添える女性でした。少々人見知りでしたが、困っている人には迷いなく手を差し出せて、いつも素敵でした」
初めて聞く母のエピソードに胸が高鳴っていく。
「母がそんなことを?」
「えぇ、あなたは夕さんのあの日の眼差しと、よく似ています」
「あの日とは?」
「幼い頃から病院に通うことが多かった夕さんは、看護師になりたいという夢を自然に抱いていました。ですが高校生になっても病弱な身体と家庭のご事情で叶えられなかったのです。ですが……私には、そっと話してくれました」
……
「瑠衣さん、聞いて。私、最近体調が悪くて学校に行けていないの。父にも反対されて……やっぱり看護師になりたいという夢は諦めないと駄目みたい。でもね……苦しいことや悲しいことを抱える患者さんに、そっと寄り添ってあげたいの。そういうお手伝いがしたいの。何か方法があるといいのに……」
……
「そんなことを母が希望していたのですか……」
「はい、そこで、私はこう答えました」
「なんと?」
……
「では、いつか海里が病院勤めをやめて開業したら、夕さんもお手伝いしてあげるといいですよ。海里と柊一さんは夕さんが大好きですから、大歓迎ですよ」
「まぁ、なんて素敵な夢なの。いつかきっと……」
……
瑠衣さんの話に、俺の心は震えっぱなしだ。
「ですから、洋さんが丈先生の手伝いをするのは、夕さんの夢でもあるのですよ」
「……そんなことを母が……」
今まで一度も聞いたことがないよ。
母の夢なんて……想像したこともなかった。
俺は、ずっと自信がなかった。
丈の相棒が務まるか。
だが瑠衣さんの話を聞いて、吹っ切れた。
迷いは消えた。
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