重なる月

志生帆 海

文字の大きさ
上 下
1,613 / 1,657
17章

月光の岬、光の矢 27

しおりを挟む
「洋の不安は、私に預けろ」
「そんな……」

 こんな時、思わず頑なに首を横に振ってしまうのは、過去が俺を未だに戒めている証拠だ。
 
 俺だってもういい加減、あんな悲惨な過去から逃れたい。

 一刻も早く、踏みにじられ支配された記憶を抹殺したい。

 どうして出ていかないんだよ!
 
 あぁ、いつまでも弱々しい自分に嫌になる。

 丈が俺を背後から抱きしめてくれた。

「いいから、私に預けろ。洋のすべてが私の診療所では必要だ」

 震える身体を受け止めてくれた。

「丈は、本気でそう思っているのか」
「あぁ、理由を知りたいか」
「教えて欲しい」
「洋は痛みを知っている。患者は身体の痛みと同時に心も病んでいる。痛みに怯え、不安で泣きそうになっている。そんな時、洋が心から寄り添ってくれたら、きっと救われるだろう」
「俺に出来るだろうか」
「洋にしか出来ないことだ、洋……私の洋だから出来ることだ」
「丈……」

 俺を抱きしめる腕に力がこもった。

 今の俺には、背中を預けられる相手がいる。

 それを再認識した。

「参ったな。丈は心の名医だ」
「私はまだまだ未熟者だ。だが心からそう思っている」
「ありがとう」

 月光を浴びながら、海風に吹かれながら――

 丈と話していると、こびりついたままの不安が少しずつ剥がれていくよ。

 見上げれば、月が俺を見ていた。

 今は静かに優しく見守っている。

 過去の俺は、月をどんなにハラハラさせたか。
 
 泣かせてしまったよな。

 だが、もう大丈夫だ。

 俺はひとりではない。

 手を伸ばせば、助けてくれる人がいる。

 振り向けば、愛しい人がいる。
 
 月もそれを知っている。


****

「へぇ、大人っぽくて、いいムードだな」
「アーサー、しっ、静かに」
「おいおい、瑠衣だって覗き見していたくせに」
「ぼっ、僕はそんなつもりでは」
「なぁ、せっかくだから、お隣さんに挨拶に行かないか」
 
 海辺から、バルコニーに立つ二人の様子をつい見守ってしまった。

 彼があまりに切なげで……

 彼があまりに頼もしくて……

 二人がとても幸せそうで、愛に溢れていたから。

「そんなの、お邪魔だよ」
「いや、そろそろ話も終わったようだぞ。明かりが灯っているうちに行こう。白江さんのお孫さんに会いたくないのか。柊一が可愛がっていた夕ちゃんの子息子だぞ」
「そうだね。じゃあ……」
「そうだ、彼らにいい紅茶があるから手土産にしよう」
「うん」
「ここで待っていてくれ、取ってくるよ」

 アーサーはいくつになっても好奇心旺盛で、行動力がある。

 僕はそんなアーサーとずっと過ごしているから、この年齢になっても生き生きとしていられるのかもしれない。

 外見は二人ともすっかり老け込んだが、心はあの頃のままだ。

 目映い月光を見上げると、白薔薇の屋敷でキスをしたことを思い出す。

 月の白い光に包まれた、薔薇の香りの接吻。

 僕の心はあの日から、ずっと、ときめいたままだ。

「瑠衣、これでどうだ?」

 暫くして、アーサーが持って来た紅茶のラベルには、彼らにぴったりの言葉が添えられていた。

 『Tea for Two』

 これはまさに二人のためのお茶だ。

しおりを挟む
感想 54

あなたにおすすめの小説

忘れ物

うりぼう
BL
記憶喪失もの 事故で記憶を失った真樹。 恋人である律は一番傍にいながらも自分が恋人だと言い出せない。 そんな中、真樹が昔から好きだった女性と付き合い始め…… というお話です。

『これで最後だから』と、抱きしめた腕の中で泣いていた

和泉奏
BL
「…俺も、愛しています」と返した従者の表情は、泣きそうなのに綺麗で。 皇太子×従者

【完結】義兄に十年片想いしているけれど、もう諦めます

夏ノ宮萄玄
BL
 オレには、親の再婚によってできた義兄がいる。彼に対しオレが長年抱き続けてきた想いとは。  ――どうしてオレは、この不毛な恋心を捨て去ることができないのだろう。  懊悩する義弟の桧理(かいり)に訪れた終わり。  義兄×義弟。美形で穏やかな社会人義兄と、つい先日まで高校生だった少しマイナス思考の義弟の話。短編小説です。

別れの夜に

大島Q太
BL
不義理な恋人を待つことに疲れた青年が、その恋人との別れを決意する。しかし、その別れは思わぬ方向へ。

帰宅

pAp1Ko
BL
遊んでばかりいた養子の長男と実子の双子の次男たち。 双子を庇い、拐われた長男のその後のおはなし。 書きたいところだけ書いた。作者が読みたいだけです。

BL団地妻-恥じらい新妻、絶頂淫具の罠-

おととななな
BL
タイトル通りです。 楽しんでいただけたら幸いです。

合鍵

茉莉花 香乃
BL
高校から好きだった太一に告白されて恋人になった。鍵も渡されたけれど、僕は見てしまった。太一の部屋から出て行く女の人を…… 他サイトにも公開しています

悩める文官のひとりごと

きりか
BL
幼い頃から憧れていた騎士団に入りたくても、小柄でひ弱なリュカ・アルマンは、学校を卒業と同時に、文官として騎士団に入団する。方向音痴なリュカは、マルーン副団長の部屋と間違え、イザーク団長の部屋に入り込む。 そこでは、惚れ薬を口にした団長がいて…。 エチシーンが書けなくて、朝チュンとなりました。 ムーンライト様にも掲載しております。 

処理中です...