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17章
月光の岬、光の矢 13
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流水……
どこだ?
どうして戻らない?
お前に会いたいよ。
どうしたら会えるんだ?
心の中で、何度も何度も呼びかけた。
耐えきれず、人気がない時は声に出して呼んでしまった。
だが耳に届くのは、竹林のざわめきのみ。
僕がこよなく愛した弟の、張りのある朗らかな声は聞こえない。
『湖翠は月影寺の跡取りだ。次期住職になるために立派であれ。堂々とせなばならん! けっして涙を見せるな。背筋を正せ!』
幼い頃から祖父に叩き込まれた精神が、僕を律しにやってくる。
流水の存在は、祖父からの精神的支配で雁字搦めになっていた心の拠り所だった。
今……流水がいない世界で、行き場のない感情だけが、胸の奥に残っている。
堪えきれなくなった涙は、寺の手水舎の水に落とした。
住職である僕が、こんな場所で泣き崩れるわけにはいかない。
だが……
「くっ……」
どうしても堰き止められない涙がぽつり、ぽつりと、小さな波紋を作っていく。
……
「翠、大丈夫か。ここに俺が龍神を呼んでやるから安心しろ」
「是非そうしてくれ。ここは寂しすぎるよ。ずっと前から、ここで手を清める度に、胸の奥がざわついていた。その理由がようやく分かったよ」
流がそっと僕の肩を抱き寄せ、背中を擦ってくれた。
遠い昔、湖翠さんがして欲しかったことを、流がしてくれる。
「流は本当にいい男だ」
「やっと気づいてくれたのか」
「ずっと前から知っている」
「翠の言葉は、俺が生きる糧だ」
チュッと、左目の下のほくろに口づけされた。
「あっ……こんな場所でするなんて」
「この涙もケアしないとな」
「流……」
僕たちはもう大丈夫だ。
悲しい過去を繰り返し思い出しても、ちゃんと生きていける。
人生という荒波も、流がいるから、乗り越えていける。
****
「洋、帰ったぞ」
「丈、お帰り」
帰宅した丈が、重たそうな鞄をデスクに置くなり、キョロキョロと辺りを見渡した。
「何か捜し物か」
「……今日、荷物が届かなかったか」
「あぁ、大量のダンボールが届いたよ。ベッドサイドにあるだろう」
「そうか、もう開けてしまったのか」
「あー 悪い、流さんと小森くんがせがむから一箱だけな」
「いや、それは構わないが……」
余裕の笑みを浮かべていた丈だが、ふと顔色が変わった。
「まさか、沢山の箱の中から、よりによって、このメーカーのを開けてしまったのか」
丈が気まずそうに、俺を見る。
もしかしたらあのナース服は注文間違いかと思ったが、どうやら確信犯らしい。
ふっ、しょうがない奴だ。
だが堅物の丈がどんな顔をして、男の俺にナース服を見繕ったのか。
想像すると、案外楽しいものだ。
「男の浪漫なのか、あれは」
「……すまない。つい……洋に似合いそうで」
「くっ、しょうがない丈先生だな。公には無理だが、そうだな……無事に開院出来たら、そのお祝いで着てやるよ」
「洋はいつも寛大な」
「丈限定だからな。それよりあの約束忘れていないよな」
「もちろんだ。週末におばあさまの所へ行こう。洋の制服を持って」
「もう連絡済みだ」
背伸びして丈の耳元で伝えると、微笑んでくれた。
「洋からの連絡、さぞかし喜ばれただろう」
「それがさ、おばあ様も俺に会いたくて、最初は同時にかけていたらしい。すごい確率だよな。俺がナース服入りの箱を1発で当てたのも、すごいが」
「コホン……洋の願いが叶って良かったな」
「言っとくが、ナース服は俺の願いじゃないぞ」
「そうだったか」
「コイツ!」
過去の俺たちよ。
見ているか。
今の俺たちはこんなに朗らかに、こんなにくだらないことで笑い合える。
これがお前達が望んだ未来なんだな。
どこだ?
どうして戻らない?
お前に会いたいよ。
どうしたら会えるんだ?
心の中で、何度も何度も呼びかけた。
耐えきれず、人気がない時は声に出して呼んでしまった。
だが耳に届くのは、竹林のざわめきのみ。
僕がこよなく愛した弟の、張りのある朗らかな声は聞こえない。
『湖翠は月影寺の跡取りだ。次期住職になるために立派であれ。堂々とせなばならん! けっして涙を見せるな。背筋を正せ!』
幼い頃から祖父に叩き込まれた精神が、僕を律しにやってくる。
流水の存在は、祖父からの精神的支配で雁字搦めになっていた心の拠り所だった。
今……流水がいない世界で、行き場のない感情だけが、胸の奥に残っている。
堪えきれなくなった涙は、寺の手水舎の水に落とした。
住職である僕が、こんな場所で泣き崩れるわけにはいかない。
だが……
「くっ……」
どうしても堰き止められない涙がぽつり、ぽつりと、小さな波紋を作っていく。
……
「翠、大丈夫か。ここに俺が龍神を呼んでやるから安心しろ」
「是非そうしてくれ。ここは寂しすぎるよ。ずっと前から、ここで手を清める度に、胸の奥がざわついていた。その理由がようやく分かったよ」
流がそっと僕の肩を抱き寄せ、背中を擦ってくれた。
遠い昔、湖翠さんがして欲しかったことを、流がしてくれる。
「流は本当にいい男だ」
「やっと気づいてくれたのか」
「ずっと前から知っている」
「翠の言葉は、俺が生きる糧だ」
チュッと、左目の下のほくろに口づけされた。
「あっ……こんな場所でするなんて」
「この涙もケアしないとな」
「流……」
僕たちはもう大丈夫だ。
悲しい過去を繰り返し思い出しても、ちゃんと生きていける。
人生という荒波も、流がいるから、乗り越えていける。
****
「洋、帰ったぞ」
「丈、お帰り」
帰宅した丈が、重たそうな鞄をデスクに置くなり、キョロキョロと辺りを見渡した。
「何か捜し物か」
「……今日、荷物が届かなかったか」
「あぁ、大量のダンボールが届いたよ。ベッドサイドにあるだろう」
「そうか、もう開けてしまったのか」
「あー 悪い、流さんと小森くんがせがむから一箱だけな」
「いや、それは構わないが……」
余裕の笑みを浮かべていた丈だが、ふと顔色が変わった。
「まさか、沢山の箱の中から、よりによって、このメーカーのを開けてしまったのか」
丈が気まずそうに、俺を見る。
もしかしたらあのナース服は注文間違いかと思ったが、どうやら確信犯らしい。
ふっ、しょうがない奴だ。
だが堅物の丈がどんな顔をして、男の俺にナース服を見繕ったのか。
想像すると、案外楽しいものだ。
「男の浪漫なのか、あれは」
「……すまない。つい……洋に似合いそうで」
「くっ、しょうがない丈先生だな。公には無理だが、そうだな……無事に開院出来たら、そのお祝いで着てやるよ」
「洋はいつも寛大な」
「丈限定だからな。それよりあの約束忘れていないよな」
「もちろんだ。週末におばあさまの所へ行こう。洋の制服を持って」
「もう連絡済みだ」
背伸びして丈の耳元で伝えると、微笑んでくれた。
「洋からの連絡、さぞかし喜ばれただろう」
「それがさ、おばあ様も俺に会いたくて、最初は同時にかけていたらしい。すごい確率だよな。俺がナース服入りの箱を1発で当てたのも、すごいが」
「コホン……洋の願いが叶って良かったな」
「言っとくが、ナース服は俺の願いじゃないぞ」
「そうだったか」
「コイツ!」
過去の俺たちよ。
見ているか。
今の俺たちはこんなに朗らかに、こんなにくだらないことで笑い合える。
これがお前達が望んだ未来なんだな。
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