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17章
月光の岬、光の矢 11
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「あら、残念、話し中だわ」
「では後ほど、かけ直しますか」
瑠衣に聞かれて、私は即答した。
「いいえ、もう一度かけてみるわ。タイミングがずれてしまわないように」
もう絶対にすれ違いは嫌なの。
洋の母は私の愛娘の夕。
夕とはすれ違ったまま、もうこの世で会えなくなってしまったから。
「はい、それがよろしいかと存じます」
「瑠衣もそう思う?」
「はい、小さなすれ違いが、大きなすれ違いになってしまった経験がありますので」
そうだった。
彼も運命に翻弄された人だった。
アーサーと10年を超える別れを経験した苦い経験があるのよね。
「その通りよ。きっと次は繋がるわ。私はもう諦めない」
たった1本の電話も、私にとっては大切なの。
どんな些細なことでも、丁寧にしていきたいお年頃なのよ。
「お孫さんとのラブコールに、僕はお邪魔ですね」
「まぁ、瑠衣ってば、言うわね」
「アーサーがティールームで待っていますので、失礼致します」
瑠衣は慎ましい表情で深々とお辞儀をして、階段を静かに降りていった。
その後ろ姿には、淀むことのない気品が滲み出ていた。
若い頃から執事として過ごした人生を、瑠衣は丸ごと愛している。
苦しみも悲しみも喜びも――
全てを背負って受け入れて、瑠衣はアーサーというランドマークを見つけて、ここまでの長い人生を歩んできたのね。
私も後悔のないように――
この歳になって巡り逢えた、大切な孫との縁を大切にしていくわ。
さぁ、もう一度かけてみましょう。
私の愛しい洋ちゃんの元へ――
****
「ん? 話し中か」
やはり自分から甘えるなんて出過ぎたことだったな。
ツーツーという話中音に、納得した。
おばあ様は華やかで社交的なお方だから、俺のような陰気な孫の相手をする暇はないのでは?
余計な申し出をする所だった。
くそっ、長年の悪い癖が出てしまう。
こんな自分はもう嫌なのに――
こんな風にポキッと折れたように自分に自信が一気に持てなくなるのは、過去に身体を勝手に支配された経験があるからなのか。
駄目だな。
一人でいると、結局いつもこうだ。
丈がいないと、心が折れてしまうんだ。
乱れてしまう!
気分転換するために、電話は置いて庭に出た。
雨上がりの月影寺は、湿った土の匂いがした。
俺は寺庭をあてもなく歩き出した。
雨の滴が足下を濡らすのも構わずに。
心を静め、過去を沈め、俺を取り戻すために――
翠さんの傍に行きたい。
本堂に参拝する前に、どうしても手を清めたくなり手水舎に立ち寄った。
すると、そこには見事な紫陽花が浮かんでいた。
「すごい……」
ガサッと背後から音がして、竹藪から飛び出してきたのは、作務衣姿の流さんだった。
「よっ!」
「流さん、これ、見事ですね」
「あぁ、花手水にしてみたのさ。最近、手を清める手水舎の鉢に、色とりどりの花を浮かべるのが流行っているらしくてな」
「あぁ、ネットニュースで見たことがあります」
「だが、これは最近の意味で、昔からあるんだぜ」
「どんな由来が?」
「近くに手水舎がない時、草花や葉についた朝露で手を清めたそうだ」
「朝露で?」
その言葉に遠い日の記憶が色鮮やかに蘇ってきた。
俺がヨウ将軍だった頃の記憶が――
……
戦で赤く染まった手のまま参拝するのに戸惑っていると、ジョウが花を摘んできて、その朝露で、俺の汚れた手を清めてくれた。
「助かった」
「そうだ、ヨウのために、ここに水を溜めた手水を作ろう。ヨウの身体を清めるのが、私の役目だからな」
「ジョウ……お前って奴は……」
約束通り、次の戦で帰還すると、ジョウに手を引かれた。
「こっちだ。ヨウのための手水が出来上がった」
「あっ……」
「ヨウのために紫陽花の花を浮かべた」
「美しいな」
「それから……ヨウの心を静めるために龍神も呼んだ」
手水には龍神がいた。
(auさんご提供の写真です)
「……これは夢か幻か」
「全部、ヨウのためだ。ヨウの悲しみも苦しみも全部、この龍神が食べてくれるから安心しろ、全部取り去ってくれる」
「ジョウ……」
……
「洋、どうした? 清めていかないのか」
「あ……あの、流さん……」
一瞬、脳内に過去の映像が流れていた。
ジョウが造った手水にいた龍神と、流さんの顔が重なって見えた。
「どうした? 何か言いたそうだな」
「あ、あの……ここに龍の置物を設置しませんか」
「ん?」
「あっ……出過ぎたことを言って……すみません」
「いや、いいアイデアだ。身を清める場所に相応しいじゃないか。早速造ってみるよ。いいアドバイスありがとうな。洋はすっかり月影寺の男だな」
「そうでしょうか」
「あぁ、れっきとしたこの寺の息子だ。もっと自分に自信を持てよ」
流さんの言葉に元気をもらった。
「俺、祖母に電話をかけてきます」
「ん? あぁ、やっぱり迷っていたのか」
「吹っ切れました」
「その調子だ。龍神の話、しかと承ったぞ!」
「では後ほど、かけ直しますか」
瑠衣に聞かれて、私は即答した。
「いいえ、もう一度かけてみるわ。タイミングがずれてしまわないように」
もう絶対にすれ違いは嫌なの。
洋の母は私の愛娘の夕。
夕とはすれ違ったまま、もうこの世で会えなくなってしまったから。
「はい、それがよろしいかと存じます」
「瑠衣もそう思う?」
「はい、小さなすれ違いが、大きなすれ違いになってしまった経験がありますので」
そうだった。
彼も運命に翻弄された人だった。
アーサーと10年を超える別れを経験した苦い経験があるのよね。
「その通りよ。きっと次は繋がるわ。私はもう諦めない」
たった1本の電話も、私にとっては大切なの。
どんな些細なことでも、丁寧にしていきたいお年頃なのよ。
「お孫さんとのラブコールに、僕はお邪魔ですね」
「まぁ、瑠衣ってば、言うわね」
「アーサーがティールームで待っていますので、失礼致します」
瑠衣は慎ましい表情で深々とお辞儀をして、階段を静かに降りていった。
その後ろ姿には、淀むことのない気品が滲み出ていた。
若い頃から執事として過ごした人生を、瑠衣は丸ごと愛している。
苦しみも悲しみも喜びも――
全てを背負って受け入れて、瑠衣はアーサーというランドマークを見つけて、ここまでの長い人生を歩んできたのね。
私も後悔のないように――
この歳になって巡り逢えた、大切な孫との縁を大切にしていくわ。
さぁ、もう一度かけてみましょう。
私の愛しい洋ちゃんの元へ――
****
「ん? 話し中か」
やはり自分から甘えるなんて出過ぎたことだったな。
ツーツーという話中音に、納得した。
おばあ様は華やかで社交的なお方だから、俺のような陰気な孫の相手をする暇はないのでは?
余計な申し出をする所だった。
くそっ、長年の悪い癖が出てしまう。
こんな自分はもう嫌なのに――
こんな風にポキッと折れたように自分に自信が一気に持てなくなるのは、過去に身体を勝手に支配された経験があるからなのか。
駄目だな。
一人でいると、結局いつもこうだ。
丈がいないと、心が折れてしまうんだ。
乱れてしまう!
気分転換するために、電話は置いて庭に出た。
雨上がりの月影寺は、湿った土の匂いがした。
俺は寺庭をあてもなく歩き出した。
雨の滴が足下を濡らすのも構わずに。
心を静め、過去を沈め、俺を取り戻すために――
翠さんの傍に行きたい。
本堂に参拝する前に、どうしても手を清めたくなり手水舎に立ち寄った。
すると、そこには見事な紫陽花が浮かんでいた。
「すごい……」
ガサッと背後から音がして、竹藪から飛び出してきたのは、作務衣姿の流さんだった。
「よっ!」
「流さん、これ、見事ですね」
「あぁ、花手水にしてみたのさ。最近、手を清める手水舎の鉢に、色とりどりの花を浮かべるのが流行っているらしくてな」
「あぁ、ネットニュースで見たことがあります」
「だが、これは最近の意味で、昔からあるんだぜ」
「どんな由来が?」
「近くに手水舎がない時、草花や葉についた朝露で手を清めたそうだ」
「朝露で?」
その言葉に遠い日の記憶が色鮮やかに蘇ってきた。
俺がヨウ将軍だった頃の記憶が――
……
戦で赤く染まった手のまま参拝するのに戸惑っていると、ジョウが花を摘んできて、その朝露で、俺の汚れた手を清めてくれた。
「助かった」
「そうだ、ヨウのために、ここに水を溜めた手水を作ろう。ヨウの身体を清めるのが、私の役目だからな」
「ジョウ……お前って奴は……」
約束通り、次の戦で帰還すると、ジョウに手を引かれた。
「こっちだ。ヨウのための手水が出来上がった」
「あっ……」
「ヨウのために紫陽花の花を浮かべた」
「美しいな」
「それから……ヨウの心を静めるために龍神も呼んだ」
手水には龍神がいた。
(auさんご提供の写真です)
「……これは夢か幻か」
「全部、ヨウのためだ。ヨウの悲しみも苦しみも全部、この龍神が食べてくれるから安心しろ、全部取り去ってくれる」
「ジョウ……」
……
「洋、どうした? 清めていかないのか」
「あ……あの、流さん……」
一瞬、脳内に過去の映像が流れていた。
ジョウが造った手水にいた龍神と、流さんの顔が重なって見えた。
「どうした? 何か言いたそうだな」
「あ、あの……ここに龍の置物を設置しませんか」
「ん?」
「あっ……出過ぎたことを言って……すみません」
「いや、いいアイデアだ。身を清める場所に相応しいじゃないか。早速造ってみるよ。いいアドバイスありがとうな。洋はすっかり月影寺の男だな」
「そうでしょうか」
「あぁ、れっきとしたこの寺の息子だ。もっと自分に自信を持てよ」
流さんの言葉に元気をもらった。
「俺、祖母に電話をかけてきます」
「ん? あぁ、やっぱり迷っていたのか」
「吹っ切れました」
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