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17章
月光の岬、光の矢 9
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翠が紫陽花の花手水を褒めてくれたので、俺は毎日のように花を取り替えて、参拝者の心を癒やす空間を作ることに励んでいた。
今日も紫陽花を担いで石段を一段抜かして駆け上がると、門の前に小森が頬杖をついて座っていた。
「おい、どうした? 腹でも痛いのか。あんこの食い過ぎか」
「あ、流さん、違いますよー あんこは不足気味です。実は今日も大荷物で困っているんですよ」
小森の横には、ダンボールが山積みだ。
「一体何が届いたんだ? まさか、あんこか」
「違いますよー! これは全部、丈さん宛なので、離れに運ぼうとしたのですが、空腹で力尽きて今に至るのです。つまり、小森風太はあんこちゃん不足ですよぅ」
「ははっ、そうかそうか、気の毒に。それにしても丈が爆買いを? 珍しいこともあるもんだな。アイツにも人並みに物欲があるんだな」
「あるようですよ。この前はとても重たいものを大量に頼んでいましたし。今日は軽いですが嵩張って……やっぱり、これはあんこではないのでしょうね。おせんべいかなぁ……あーん、あんこじゃないと力が湧きませんよぅ」
「どれ?」
確かに箱の中身は軽かった。
「お前は相変わらずあんこ一筋だな」
「違いますよぅ、菅野くん一筋です」
「一人前に惚気やがって、ほら、手伝ってやるよ」
「わぁい」
二人でダンボールを何個も抱えて、丈と洋の住む離れに向かった。
ところがインターホンを押しても、誰も出てこない。
「あれあれ? いらっしゃらないのでしょうか」
「洋が掛けるとは聞いてないが」
もう一度押すと、洋がやっと出てきた。
「あ……流さんと小森くん、どうしたんです?」
転た寝をしていたようで、ぼんやりとした表情だった。
ついでに妙な色気を醸し出していた。
全く、ここが月影寺で良かった。
丈でなくても、そう思うほど、洋の美貌は今も桁外れだ。
ゆったりとした紫陽花色のリネンシャツからは、首筋のみならず胸元まで見えそうだ。そういえば以前ひょいと覗いてみたっけ。
「どうにもこうにも、山のような荷物が届いたから、持って来てやったんだ」
「あっ、すみません。また丈の奴、こんなに頼んだのか」
洋は苦笑しつつも、どことなく嬉しそうに微笑んだ。
へぇ、柔らかい表情だな。
いい傾向だ。
ここにやってきた当初は、硝子のように脆そうで、寂しげな男だったのに、今は弓のようにしなやかだ。
「あのあのあの、洋さんは甘い物よりおせんべいが好きですか」
「え? なんのことだ?」
「その中見はズバリ、おせんべいでしょう!」
「ははっ、残念! 外れだよ」
小森がまるで探偵のように、洋にあれこれ話しかけている。
相変わらず、面白い奴だ。
この誰もが気後れするような美青年相手に、おせんべいだと?
「じゃあ、中見はなんですか。ううう、気になりますよ。教えて下さいよ」
あーあ、子供みたいに駄々を捏ねて。
「これは、小森くんがいつも着ている衣装のような物さ」
「なるほど! 洋さんのお仕事着ですか」
「まぁ、そうだ。丈と働く時に着用するものだ」
おお? かなり甘い笑顔だ。
いつもどちらかというとクールな洋が、こんな表情を浮かべるのか。
どうやら、今日は、もっと踏み込んでも良さそうだ。
「洋、せっかくだから開けて見せてくれよ」
「……じゃあ一箱だけ。どれにしよう?」
「これがいいです。これが一番重いから、もしかしたら、あんこせんべいかも」
「あんこせんべい? 聞いたことないぞ」
「あるんですよー おせんべいであこんで挟んだものが」
「へぇ、そんなのあるのか」
どうも小森がいるとムードが下がるな。
洋はこの変な勢いでぐいぐいと踏み込んでくる小森を、案外気に入っているようだが。
「ほら、これだよ。これが俺の制服だ」
洋が取り出した白い衣装は……
おぉ? 二度見しちまった!
「えっと、あの……それって、それって」
「ははっ、洋、それ、よく見てみろ」
「え?」
それは、どこをどう見ても女性物のナース服だった。
スカートかよ! ごちそうさん!
「あっ! 何でこんな物が? こんなの注文するって聞いてないぞ」
洋は知らなかったようで、顔を赤くして恥ずかしがり、青くして怒っていた。
「丈の奴……」
「まぁまぁ、男の浪漫だから大目にみてやれよ」
「……はぁ、俺も男ですが浪漫は感じませんよ。あぁ、しかし俺もよりによってこれを開けるとは……くくっ」
ふむふむ、洋は本気では怒っていないようだ。
堅物の丈が大真面目な顔で、ナース服を頼んだことを、むしろ楽しんでいるように感じた。
「悪いな、ヘンタイな弟で……」
こんな美人な恋人がいたら、妄想が爆走するのも無理はない。
俺だって……翠に着せてみたくなるじゃねーか。
「なぁ、俺にもカタログを見せてくれよ」
「……カタログなら、あそこに山ほどありますよ」
「じゃあ1冊くれないか」
「もう必要ないので、いくらでもどうぞ」
ホクホクと分厚いカタログを抱えて、俺は離れを後にした。
「流さん、流さん、あのあのナース服って萌えるんですか。じゃあ、僕の小坊主姿も萌えますかぁ?」
「あー まぁ、丈が短ければいいんじゃねーか」
「ふむふむ」
****
季節は巡り、紫陽花の季節になっていた。
私は洋館の窓辺から、しとしと雨に濡れる庭を静かに見下ろしていた。
柊一さん、あなたの愛したお庭は今も美しいままよ。
今年の白薔薇も綺麗だったわよ。
気品のある白薔薇を見ていると、どうしても艶やかな美丈夫、海里先生と慎ましく清楚な幼馴染みの柊一さんを思い出してしまうわ。
早すぎる別れは、残されたものにとっては寂しい。
私も随分歳を取ってしまったわ。
あと何回、美しい薔薇を見ることが出来るかしら?
でも、まだまだ長生きしたいわ。
まだまだ見守りたい、孫達がいるから。
そこにトントンと、洗練されたノック音がする。
「白江さん、入ってもよろしいでしょうか」
まぁ、驚いた。
この控えめで慎ましい声の持ち主は……
今日も紫陽花を担いで石段を一段抜かして駆け上がると、門の前に小森が頬杖をついて座っていた。
「おい、どうした? 腹でも痛いのか。あんこの食い過ぎか」
「あ、流さん、違いますよー あんこは不足気味です。実は今日も大荷物で困っているんですよ」
小森の横には、ダンボールが山積みだ。
「一体何が届いたんだ? まさか、あんこか」
「違いますよー! これは全部、丈さん宛なので、離れに運ぼうとしたのですが、空腹で力尽きて今に至るのです。つまり、小森風太はあんこちゃん不足ですよぅ」
「ははっ、そうかそうか、気の毒に。それにしても丈が爆買いを? 珍しいこともあるもんだな。アイツにも人並みに物欲があるんだな」
「あるようですよ。この前はとても重たいものを大量に頼んでいましたし。今日は軽いですが嵩張って……やっぱり、これはあんこではないのでしょうね。おせんべいかなぁ……あーん、あんこじゃないと力が湧きませんよぅ」
「どれ?」
確かに箱の中身は軽かった。
「お前は相変わらずあんこ一筋だな」
「違いますよぅ、菅野くん一筋です」
「一人前に惚気やがって、ほら、手伝ってやるよ」
「わぁい」
二人でダンボールを何個も抱えて、丈と洋の住む離れに向かった。
ところがインターホンを押しても、誰も出てこない。
「あれあれ? いらっしゃらないのでしょうか」
「洋が掛けるとは聞いてないが」
もう一度押すと、洋がやっと出てきた。
「あ……流さんと小森くん、どうしたんです?」
転た寝をしていたようで、ぼんやりとした表情だった。
ついでに妙な色気を醸し出していた。
全く、ここが月影寺で良かった。
丈でなくても、そう思うほど、洋の美貌は今も桁外れだ。
ゆったりとした紫陽花色のリネンシャツからは、首筋のみならず胸元まで見えそうだ。そういえば以前ひょいと覗いてみたっけ。
「どうにもこうにも、山のような荷物が届いたから、持って来てやったんだ」
「あっ、すみません。また丈の奴、こんなに頼んだのか」
洋は苦笑しつつも、どことなく嬉しそうに微笑んだ。
へぇ、柔らかい表情だな。
いい傾向だ。
ここにやってきた当初は、硝子のように脆そうで、寂しげな男だったのに、今は弓のようにしなやかだ。
「あのあのあの、洋さんは甘い物よりおせんべいが好きですか」
「え? なんのことだ?」
「その中見はズバリ、おせんべいでしょう!」
「ははっ、残念! 外れだよ」
小森がまるで探偵のように、洋にあれこれ話しかけている。
相変わらず、面白い奴だ。
この誰もが気後れするような美青年相手に、おせんべいだと?
「じゃあ、中見はなんですか。ううう、気になりますよ。教えて下さいよ」
あーあ、子供みたいに駄々を捏ねて。
「これは、小森くんがいつも着ている衣装のような物さ」
「なるほど! 洋さんのお仕事着ですか」
「まぁ、そうだ。丈と働く時に着用するものだ」
おお? かなり甘い笑顔だ。
いつもどちらかというとクールな洋が、こんな表情を浮かべるのか。
どうやら、今日は、もっと踏み込んでも良さそうだ。
「洋、せっかくだから開けて見せてくれよ」
「……じゃあ一箱だけ。どれにしよう?」
「これがいいです。これが一番重いから、もしかしたら、あんこせんべいかも」
「あんこせんべい? 聞いたことないぞ」
「あるんですよー おせんべいであこんで挟んだものが」
「へぇ、そんなのあるのか」
どうも小森がいるとムードが下がるな。
洋はこの変な勢いでぐいぐいと踏み込んでくる小森を、案外気に入っているようだが。
「ほら、これだよ。これが俺の制服だ」
洋が取り出した白い衣装は……
おぉ? 二度見しちまった!
「えっと、あの……それって、それって」
「ははっ、洋、それ、よく見てみろ」
「え?」
それは、どこをどう見ても女性物のナース服だった。
スカートかよ! ごちそうさん!
「あっ! 何でこんな物が? こんなの注文するって聞いてないぞ」
洋は知らなかったようで、顔を赤くして恥ずかしがり、青くして怒っていた。
「丈の奴……」
「まぁまぁ、男の浪漫だから大目にみてやれよ」
「……はぁ、俺も男ですが浪漫は感じませんよ。あぁ、しかし俺もよりによってこれを開けるとは……くくっ」
ふむふむ、洋は本気では怒っていないようだ。
堅物の丈が大真面目な顔で、ナース服を頼んだことを、むしろ楽しんでいるように感じた。
「悪いな、ヘンタイな弟で……」
こんな美人な恋人がいたら、妄想が爆走するのも無理はない。
俺だって……翠に着せてみたくなるじゃねーか。
「なぁ、俺にもカタログを見せてくれよ」
「……カタログなら、あそこに山ほどありますよ」
「じゃあ1冊くれないか」
「もう必要ないので、いくらでもどうぞ」
ホクホクと分厚いカタログを抱えて、俺は離れを後にした。
「流さん、流さん、あのあのナース服って萌えるんですか。じゃあ、僕の小坊主姿も萌えますかぁ?」
「あー まぁ、丈が短ければいいんじゃねーか」
「ふむふむ」
****
季節は巡り、紫陽花の季節になっていた。
私は洋館の窓辺から、しとしと雨に濡れる庭を静かに見下ろしていた。
柊一さん、あなたの愛したお庭は今も美しいままよ。
今年の白薔薇も綺麗だったわよ。
気品のある白薔薇を見ていると、どうしても艶やかな美丈夫、海里先生と慎ましく清楚な幼馴染みの柊一さんを思い出してしまうわ。
早すぎる別れは、残されたものにとっては寂しい。
私も随分歳を取ってしまったわ。
あと何回、美しい薔薇を見ることが出来るかしら?
でも、まだまだ長生きしたいわ。
まだまだ見守りたい、孫達がいるから。
そこにトントンと、洗練されたノック音がする。
「白江さん、入ってもよろしいでしょうか」
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この控えめで慎ましい声の持ち主は……
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