重なる月

志生帆 海

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17章

月光の岬、光の矢 3

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「薙くん?」

 薙くんの部屋はもともとは2階だったが、骨折して階段の上り下りが大変なため、昨夜1階に移した。

 ところが、その部屋を覗くが、姿が見えなかった。
 
 骨折したばかりで松葉杖もまだ慣れていないのに、一体どこへ?

 慌てて母屋中を探したが、見つからない。

 翠さんに頼まれたのに、どうしたらいいのか。

 姿が見えないのが不安だ。

 もしかしたら……

 庭かもしれない――

 月影寺の庭は広く、奥庭はほとんど手を入れていないので、自然界のままだ。

 こんな野性味のある庭を、遠い昔の俺は愛していた。

 秋の落ち葉が積もるベッドで、お前に押し倒され抱かれたこともある。

 月影寺は心を浄化する場所だ。

 今……

 心が穏やかになった今だからなのか。

 前世の記憶が、記憶の壁を軽々と乗り越えてやってくる。

 過去の俺には、苦しみの中に、良いこともあったのだ。

 今の俺の心をもって、深い湖の底に静かに沈めてやりたい。

 「くそっ……」

 庭の奥まで進むと、舌打ちするうな、悔しそうな声が微かに聞こえた。

 薙くんの声だ。

 俺の耳はどこまでも澄んでいた。

 見渡す視界に薙くんの姿はないが、気配はする。

 辺りを見渡すと、竹藪の手前で松葉杖を発見した。

「薙くん、そこか」
「えっ、洋さん?」
「どうした?」
「あ、来るな!」

 竹藪をかき分け覗くと、薙くんが泥だらけで苔むした大地の上にひっくり返っていた。

 おそらく松葉杖が木の根っこに引っかかって、転倒してしまったようだ。

 悔しそうな表情で俯いている。

 でも放ってなんておけないよ。

「今、そっちに行く!」
「来るなよ」
「いや、行く! 君の傍にいたいんだ」

 そう思って竹藪をガサガサとかき分けて勢いよく進むと、途中で服が枝にひっかかってビリッと音を立て……

「あっ、わぁ!」

 その先はドテンっと転んでしまった。

「痛っ」
「え? ちょっと洋さん大丈夫?」
「あぁ、なんとか……参ったな。俺まで転ぶとは」
「くくっ、はははっ」

 さっきまでの悔しそうな表情を跳ね飛ばすように、薙くんが明るく笑った。

「あのさぁ……洋さんまで転んでどうすんの?」
「ううっ」
「でもサンキュ! なんか俺……松葉杖のせいで転んだりして情けねーとか、はずいとか思って鬱々としてたんだけどさ、洋さん見ていたら、小さな悩みになったよ。松葉杖がなくても、人は転ぶんだなって」
「ははは……」

 苦笑するしかなかった。

 だが、薙くんの心の風向きを変えられたのなら良かった。

「洋さん、怪我してない?」
「少しすりむいた程度でなんとか……って、それ俺の台詞だ。薙くんこそ大丈夫か、怪我は?」
「良かった。俺は無事さ。洋さんより綺麗な受け身取れたしな~」
「……薙くんって、ちょっと流さん似だな」
「やっぱり?」
「あぁ」
「さぁ、帰ろう。洋さん手伝ってくれる?」
「もちろん」

 松葉杖を拾ってやり、肩を貸してあげた。

 二人とも泥だらけなので怖いものはない。

 そうか……

 人はこうやって支え合って生きていくのか。

 一人で起き上がることも大切だが、時にはこうやって手を貸して……

 こういうのっていいな。

 新鮮だ。

 母屋に戻ると、流さんに笑われ叱られた。

「お前達、泥遊びしたのか。おいおい子供じゃあるまいし、早く脱げ脱げ! 泥は落ちにくいんだー!」
 

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