重なる月

志生帆 海

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16章

天つ風 39

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 ん……?

 うとうとしていると、懐かしい温もりを近くに感じた。

 部屋中に優しい空気が漂っている。

 まるで小さい頃に戻ったみたいだ。

 気持ちいいな。でもまだ眠い……もう少しだけこうしていたい。

 俺はその温もりに、身体を寄せてみた。

 赤ん坊の記憶なんてないのに、感覚が覚えているようだ。

 とても大切な人たちの想いを受け留めて、この世に生まれたことを。

 母の腕の中より、父さんの方が落ち着いたことも覚えている。

……

「パパ、パパ、パパぁ」
「どうした? なーぎ」
「おちっこ」
「うんうん、一緒にいこうね」
「うん!」

……

 俺を「なーぎ」と呼ぶ父さんは、いつも優しかった。

 けっして甘やかされたわけではない。

 沢山の愛を注いでもらったんだ。

 それが今なら分かるよ。

 父さんは子供の相手に慣れていて、オレの気持ちに寄り添ってくれたから、居心地が良かった。

 だが……そんなオレと父さんの信頼関係が面白くなかったのか、母さんはオレから父さんを取り上げてしまった。

 オレに休む暇がないほどの習い事をさせて、父さんとの大切な触れ合いの時間を奪った。

 父さんは寂しそうに見送るのみで、送迎も全部母さんで息が詰まりそうだった。

 今思えば……あの頃から父さんの精神状態は不安定になってしまったのかも。

 笑顔が消え、優しい空気も枯れ、オレが習い事から戻ってくると、ソファで転た寝をしていることが多くなった。

 母さんはそんな父さんを見て、溜め息をついた。

「翠さんの心は……もうここにはいないのかも」

 当時は言っている意味が分からなかったが、これも今なら分かる。

 ここ……月影寺に帰りたくなっていたのだろう。

 冷たい仕打ち、無機質な高層マンション。

 オレとの触れ合いも奪われ、しんどかったのだろうな。

 それでも、母さんに怒られると、父さんの懐に逃げ込んだ。

……

「ナギ! 今日のピアノのレッスンの出来は何? 全然上達してないじゃない」
「彩乃さん、そんなに責めてはいけないよ。薙だって頑張っているのだから」
「翠さんは口出ししないで。あっちに行っていて」
「彩乃さん……」

……

 父さんはどうしてあんなに母さんに遠慮していたのか、今なら分かるよ。

 父さんの心が帰りたがっているのを、ひた隠しにしていたが、母さんには分かっていたのだろう。

 父さんの心が離れていくにつれ、母さんのオレへのあたりはますます強くなっていった。

……

「ナギ! この点数はなんなの? どうしたらこんな低い点が取れるのよ」
「……ごめんなさい!」

 謝るまで許してもらえないので、渋々謝った。

 そんなことの繰り返し。

 母さんの気が収まった所で、オレはそっとリビングを抜け出して、父さんの部屋に行った。

「パパぁ……ぐすっ」
「薙、おいで」
「パパ、もうイヤ……パパともっといたい」
「薙、僕は薙がいるから生きていけるんだよ」
「ほんと? ぼく、パパのやくにたってるの?」
「当たり前だよ。薙は大切な僕の子だ」
「パパ~ ぎゅっして」
「なーぎ」
「パーパ」

……

 ギュッと抱きついて、ほっとした。

 ここにいれば大丈夫。
 
 そう思って、信じていたからこそのショック。

 もう自分を守って、助けてくれる人はいない絶望。

 でも、今は……再び戻ってこれた。



 
 もちろん母さんが悪いわけじゃない。
 
 すれ違いが寂しさを引き寄せ、酷い別れを招いてしまった。

 今のオレは、そう理解している。

 母さん……

 オレを産んでくれ、 父さんの元に返してくれてありがとう。

 今は純粋に……母さんの新しい幸せを願っている。





 夢の中からそっと呼びかけてみる。

 あの頃のように……

「パ……パ」

 すると、すぐに返事があった。

 優しくオレを呼ぶ声……

 あの頃のように……

「なーぎ」



 

 

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