1,567 / 1,657
16章
天つ風 31
しおりを挟む
リレーの順番を待っていると、心が研ぎ澄まされてきた。
走るのは、昔から好きだった。
小さい頃、父さんによくグラウンドのある公園に連れて行ってもらったよな。
……
「わぁ、ひろい!」
「薙、走っておいで」
「うん!」
「薙は自由だ。自由自在にこの世界を走っていいんだよ!」
「……うん、みていてね」
「さぁ、いっておいで! そして、またここに戻っておいで」
「わーい!」
……
父さんに背中を優しく押されると、ゆっくりと世界が動き出した。
走り出すと、世界が瞬く間に飛んでいった。
あの頃は父さんの言葉の真意は分からなかったが、今考えると寺の跡取り、長男として己を律し過ぎて雁字搦めになっていた父さんにとって、オレは自由の翼だったのかもしれない。
オレは父さんの前で走るのが好きだった。
1周走って元の場所に戻ってくると、父さんが両手を広げて抱きしめてくれたから。
だが父さんと母さんが離婚して、オレは走るのをぴたりとやめた。
走っても、もう父さんはいない。
オレを見てくれない。
そのくせ、夢の中ではいつも走っていた。
走って走って、父さんを探していた。
「とうさん、どこ? どこなの? どうしていなくなっちゃったの?」
答えは返ってこなかった。
高校に入学し体育祭があると聞いて、父さんに無性に今のオレの走りを見て欲しくなった。
中学生の時は微塵も思わなかったのに、どういう心境の変化だろう。
月影寺に来た当初は父さんと上手くいってなかった。だから中学生活に気合いも入らず体育祭も適当に流した。
だがあの事件を経て、父さんが身を呈して守ってくれたオレ自身を大事にしたいと思った。それは父さんを大事にすることにも繋がるから。
父さんが見たかった光景を見せてあげたい。
今のオレが自由なのは、父さんのおかげだ。
「わぁぁ―― 赤が先頭です。黄色も追い上げています!」
歓声によって、はっと現実に引き戻された。
「薙、そろそろ準備しろ」
「OK」
2位でバトンがまわってきた。
絶妙のタイミングでバトンを受け取り一気に加速していく。
光のように世界を走り抜けて、カーブも巧に曲がりついに先頭を捉えた。
抜ける!
抜いてみせる!
その瞬間、勢い余って相手の足にぶつかりそうになった。
このままだと巻き込んでしまう。
一瞬怯んだら、俺の視界は一気にひっくり返った。
「痛っ」
転んだと気付いたのは、白線が見えなくなったから。
どうして青空が見える?
「くそっ」
とにかくバトンを繋がないと、チームメンバーに迷惑をかけてしまう。
急いで立とうとしたが、足首にとんでもない激痛が走った。
「あぁっ!」
思わず悲鳴を上げてその場に疼くまった。
なんだ……この痛み?
金槌で足首を勢いよく叩かれてるようだ。
よりよってリレーの最中に転ぶなんて格好悪い。
悔しい。
感情がごちゃまぜになって、頭の中が灰色に濁っていく。
今すぐ立って、この場から去りたいのに、足が痛すぎて無理だ。
「あ……誰か……、先生」
こんな時は保健の先生が担架と共に駆けつけるはずなのに、振り向くと、他の生徒の介護をしていた。
「まじかよ?」
一刻も早く消えてしまいたい。
俯いて視界を閉ざすと、力強い声がした。
「薙、大丈夫か!」
「え、流さんがどうして?」
「先生は他の生徒にかかりきりだから、俺が医務室まで連れて行ってやる」
「そんなの、いいよ!」
オレは素直になれず、流さんを突き飛ばした。
実際には流さんは微動だもせず、オレの背中をさすってくれていた。
気恥ずかしさから悪態をつき、悔しさから拳を地面に打ち付けた。
「くそっ! 転ぶなんて最悪だ!」
「薙、お前は全力を出していた。格好悪くなんかないぞ。さぁ行くぞ」
ぐらりと視界がまた反転した。
「えっ?」
「よし、まだ抱っこできるな」
「抱っこ? ええっ、流さん下ろしてよ! こんなの恥ずかしいよ!」
ドンドンと背中を叩くがビクともしない。
「本当にここで下ろしていいのか」
「あ……」
「素直になれ、どこへ行きたかった?」
「……ゴールまで走りたかった」
「御意! しっかり掴まってろ」
流さんにしがみつくと、景色がぶっ飛んだ。
「は、速い!」
「俺もまだまだ現役のようだ」
「流さん、ありがとう」
「足、ずいぶん腫れてきたな。すぐに病院で診てもらおう」
「うん」
素直になろう。
助けてくれる人がいるのなら、甘えてみよう。
保健室で流さんが応急処置をしてくれ、先生にも話をつけてくれた。
そこに父さんと洋さんもやってくる。
「薙くん、丈の病院が受け入れてくれるから、すぐに行こう。手筈は整えた」
「よし、薙、おんぶしてやるから行くぞ」
「薙、頑張ったね。格好よかったよ」
オレって、こんなに大事にされてんだな。
父さん、流さん、洋さん、ありがとう。
タクシーに乗ると、足がまたズキズキと痛くなってきた。
この位……耐えて見せろ!
バカ、泣くなっ
そう思うのに、父さんがあまりに優しく抱きしめてくれたので少し泣いてしまった。
「薙、あぁ……痛かったね」
「父さん……父さん、痛いよ……すげぇ痛いっ」
こんな風に甘えて弱音を吐くのはいつぶりだ?
父さんだから、父さんにだから……見せてもいいと思ったんだ。
走るのは、昔から好きだった。
小さい頃、父さんによくグラウンドのある公園に連れて行ってもらったよな。
……
「わぁ、ひろい!」
「薙、走っておいで」
「うん!」
「薙は自由だ。自由自在にこの世界を走っていいんだよ!」
「……うん、みていてね」
「さぁ、いっておいで! そして、またここに戻っておいで」
「わーい!」
……
父さんに背中を優しく押されると、ゆっくりと世界が動き出した。
走り出すと、世界が瞬く間に飛んでいった。
あの頃は父さんの言葉の真意は分からなかったが、今考えると寺の跡取り、長男として己を律し過ぎて雁字搦めになっていた父さんにとって、オレは自由の翼だったのかもしれない。
オレは父さんの前で走るのが好きだった。
1周走って元の場所に戻ってくると、父さんが両手を広げて抱きしめてくれたから。
だが父さんと母さんが離婚して、オレは走るのをぴたりとやめた。
走っても、もう父さんはいない。
オレを見てくれない。
そのくせ、夢の中ではいつも走っていた。
走って走って、父さんを探していた。
「とうさん、どこ? どこなの? どうしていなくなっちゃったの?」
答えは返ってこなかった。
高校に入学し体育祭があると聞いて、父さんに無性に今のオレの走りを見て欲しくなった。
中学生の時は微塵も思わなかったのに、どういう心境の変化だろう。
月影寺に来た当初は父さんと上手くいってなかった。だから中学生活に気合いも入らず体育祭も適当に流した。
だがあの事件を経て、父さんが身を呈して守ってくれたオレ自身を大事にしたいと思った。それは父さんを大事にすることにも繋がるから。
父さんが見たかった光景を見せてあげたい。
今のオレが自由なのは、父さんのおかげだ。
「わぁぁ―― 赤が先頭です。黄色も追い上げています!」
歓声によって、はっと現実に引き戻された。
「薙、そろそろ準備しろ」
「OK」
2位でバトンがまわってきた。
絶妙のタイミングでバトンを受け取り一気に加速していく。
光のように世界を走り抜けて、カーブも巧に曲がりついに先頭を捉えた。
抜ける!
抜いてみせる!
その瞬間、勢い余って相手の足にぶつかりそうになった。
このままだと巻き込んでしまう。
一瞬怯んだら、俺の視界は一気にひっくり返った。
「痛っ」
転んだと気付いたのは、白線が見えなくなったから。
どうして青空が見える?
「くそっ」
とにかくバトンを繋がないと、チームメンバーに迷惑をかけてしまう。
急いで立とうとしたが、足首にとんでもない激痛が走った。
「あぁっ!」
思わず悲鳴を上げてその場に疼くまった。
なんだ……この痛み?
金槌で足首を勢いよく叩かれてるようだ。
よりよってリレーの最中に転ぶなんて格好悪い。
悔しい。
感情がごちゃまぜになって、頭の中が灰色に濁っていく。
今すぐ立って、この場から去りたいのに、足が痛すぎて無理だ。
「あ……誰か……、先生」
こんな時は保健の先生が担架と共に駆けつけるはずなのに、振り向くと、他の生徒の介護をしていた。
「まじかよ?」
一刻も早く消えてしまいたい。
俯いて視界を閉ざすと、力強い声がした。
「薙、大丈夫か!」
「え、流さんがどうして?」
「先生は他の生徒にかかりきりだから、俺が医務室まで連れて行ってやる」
「そんなの、いいよ!」
オレは素直になれず、流さんを突き飛ばした。
実際には流さんは微動だもせず、オレの背中をさすってくれていた。
気恥ずかしさから悪態をつき、悔しさから拳を地面に打ち付けた。
「くそっ! 転ぶなんて最悪だ!」
「薙、お前は全力を出していた。格好悪くなんかないぞ。さぁ行くぞ」
ぐらりと視界がまた反転した。
「えっ?」
「よし、まだ抱っこできるな」
「抱っこ? ええっ、流さん下ろしてよ! こんなの恥ずかしいよ!」
ドンドンと背中を叩くがビクともしない。
「本当にここで下ろしていいのか」
「あ……」
「素直になれ、どこへ行きたかった?」
「……ゴールまで走りたかった」
「御意! しっかり掴まってろ」
流さんにしがみつくと、景色がぶっ飛んだ。
「は、速い!」
「俺もまだまだ現役のようだ」
「流さん、ありがとう」
「足、ずいぶん腫れてきたな。すぐに病院で診てもらおう」
「うん」
素直になろう。
助けてくれる人がいるのなら、甘えてみよう。
保健室で流さんが応急処置をしてくれ、先生にも話をつけてくれた。
そこに父さんと洋さんもやってくる。
「薙くん、丈の病院が受け入れてくれるから、すぐに行こう。手筈は整えた」
「よし、薙、おんぶしてやるから行くぞ」
「薙、頑張ったね。格好よかったよ」
オレって、こんなに大事にされてんだな。
父さん、流さん、洋さん、ありがとう。
タクシーに乗ると、足がまたズキズキと痛くなってきた。
この位……耐えて見せろ!
バカ、泣くなっ
そう思うのに、父さんがあまりに優しく抱きしめてくれたので少し泣いてしまった。
「薙、あぁ……痛かったね」
「父さん……父さん、痛いよ……すげぇ痛いっ」
こんな風に甘えて弱音を吐くのはいつぶりだ?
父さんだから、父さんにだから……見せてもいいと思ったんだ。
10
お気に入りに追加
445
あなたにおすすめの小説
【完結】Amnesia(アムネシア)~カフェ「時遊館」に現れた美しい青年は記憶を失っていた~
紫紺
ミステリー
郊外の人気カフェ、『時游館』のマスター航留は、ある日美しい青年と出会う。彼は自分が誰かも全て忘れてしまう記憶喪失を患っていた。
行きがかり上、面倒を見ることになったのが……。
※「Amnesia」は医学用語で、一般的には「記憶喪失」のことを指します。

そんなの真実じゃない
イヌノカニ
BL
引きこもって四年、生きていてもしょうがないと感じた主人公は身の周りの整理し始める。自分の部屋に溢れる幼馴染との思い出を見て、どんなパソコンやスマホよりも自分の事を知っているのは幼馴染だと気付く。どうにかして彼から自分に関する記憶を消したいと思った主人公は偶然見た広告の人を意のままに操れるというお香を手に幼馴染に会いに行くが———?
彼は本当に俺の知っている彼なのだろうか。
==============
人の証言と記憶の曖昧さをテーマに書いたので、ハッキリとせずに終わります。
わたしは夫のことを、愛していないのかもしれない
鈴宮(すずみや)
恋愛
孤児院出身のアルマは、一年前、幼馴染のヴェルナーと夫婦になった。明るくて優しいヴェルナーは、日々アルマに愛を囁き、彼女のことをとても大事にしている。
しかしアルマは、ある日を境に、ヴェルナーから甘ったるい香りが漂うことに気づく。
その香りは、彼女が勤める診療所の、とある患者と同じもので――――?

好きなあいつの嫉妬がすごい
カムカム
BL
新しいクラスで新しい友達ができることを楽しみにしていたが、特に気になる存在がいた。それは幼馴染のランだった。
ランはいつもクールで落ち着いていて、どこか遠くを見ているような眼差しが印象的だった。レンとは対照的に、内向的で多くの人と打ち解けることが少なかった。しかし、レンだけは違った。ランはレンに対してだけ心を開き、笑顔を見せることが多かった。
教室に入ると、運命的にレンとランは隣同士の席になった。レンは心の中でガッツポーズをしながら、ランに話しかけた。
「ラン、おはよう!今年も一緒のクラスだね。」
ランは少し驚いた表情を見せたが、すぐに微笑み返した。「おはよう、レン。そうだね、今年もよろしく。」
懐いてた年下の女の子が三年空けると口が悪くなってた話
六剣
恋愛
社会人の鳳健吾(おおとりけんご)と高校生の鮫島凛香(さめじまりんか)はアパートのお隣同士だった。
兄貴気質であるケンゴはシングルマザーで常に働きに出ているリンカの母親に代わってよく彼女の面倒を見ていた。
リンカが中学生になった頃、ケンゴは海外に転勤してしまい、三年の月日が流れる。
三年ぶりに日本のアパートに戻って来たケンゴに対してリンカは、
「なんだ。帰ってきたんだ」
と、嫌悪な様子で接するのだった。

【完結】義兄に十年片想いしているけれど、もう諦めます
夏ノ宮萄玄
BL
オレには、親の再婚によってできた義兄がいる。彼に対しオレが長年抱き続けてきた想いとは。
――どうしてオレは、この不毛な恋心を捨て去ることができないのだろう。
懊悩する義弟の桧理(かいり)に訪れた終わり。
義兄×義弟。美形で穏やかな社会人義兄と、つい先日まで高校生だった少しマイナス思考の義弟の話。短編小説です。
出戻り聖女はもう泣かない
たかせまこと
BL
西の森のとば口に住むジュタは、元聖女。
男だけど元聖女。
一人で静かに暮らしているジュタに、王宮からの使いが告げた。
「王が正室を迎えるので、言祝ぎをお願いしたい」
出戻りアンソロジー参加作品に加筆修正したものです。
ムーンライト・エブリスタにも掲載しています。
表紙絵:CK2さま
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる