重なる月

志生帆 海

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16章

天つ風 27

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 今日は薙くんが通う高校の体育祭だ。

 翠さんと流さんは朝から観覧に行ってしまった。

 寺が忙しいのなら手伝おうと思ったが、今日は閑古鳥が鳴いているようだ。

 縁側で小森くんが大きな欠伸をして、伸びをしている。

「小森くん、何か手伝うことある?」
「洋さん、今日はとくにないですよー 朝から誰も見えません」
「そうか」
「あの、あの、洋さんは体育祭を見に行かれないのですか」
「えっ」
「行きたそうな顔をしていますよ」

 参ったな、図星だ。

 小森くんは察しが良い所があるからな。
 
 翠さんに誘われた時、お邪魔だと思い速攻断ってしまったが、実は俺も高校の体育祭に興味があった。

「そ、そうかな?」
「そうですよ。心に素直になると、風通しが良くなりますよ。さぁさぁ行ってらっしゃい。まだ午後の部に間に合いますよ」
「小森くんはいいの?」
「エヘン! 僕は今日はお寺を任されていますので、どうぞ! おやつもいっぱいなので問題ないです」
「じゃあ、行ってみるか」
「洋さん『天つ風』ですよ」
「ん?」
「今日はいい風が吹いているので天上の人と繋がりやすい日です! 南無~」

 天つ風とは、大空を吹く風のことだ。

 小森くんの言葉に背中を押され、俺は月影寺を出た。

 こんな風に俺が一度決めた考えを改め、思いつきで行動するのは珍しい。

 昔は一挙一動を、あの人に監視されていたから、勝手に動かないのが癖になってしまったのか。

 結局、高校の体育祭には一度も行かせてもらえなかった。

「そんなむさくるしいものには出なくていい。病欠にしておくから、お父さんとデートしよう」と、無理矢理欠席させられた。

 だからなのか、見てみたいという気持ちに押し動かされるのは。

 虫食いのように穴だらけになってしまったが、あのロッカールームでの事件が起きるまでは、なんとか普通の高校生活を送っていた。

 だから……体育祭に出たかった。



 由比ヶ浜高校の校門に立つと、足が竦んでしまった。

 しっかりしろ、と自分を鼓舞するのに……

 俺なんかが来るべき所ではないのでは?

 俺みたいな、人に言えない過去を持った奴は……

 後ろ向きになっていると、流さんがヌッと現れた。

「洋! やっぱり来てくれたのか」
「あ、あの……」
「待っていたぞ! 行こう」

 あぁ、流さんはすごい。

 俺の悩みを吹き飛ばしてくれる。

 ひとりでは超えられなかった垣根を一緒に越えてくれる。

「翠も喜ぶぞ。可愛い末っ子が応援に来てくれたんだからな」

 流さんが躊躇うことなく、俺と肩を組んでくれる。

「あの……俺、流さんの卒業した高校を見たくて……それから薙くんの活躍も」
「あぁ、どっちも見る価値ありだぞ! さぁ今から騎馬戦だ」
「騎馬戦ですか」

 それは、かつて俺も出るはずだった競技だった。

 あの頃はいつも安志が傍にいてくれたので、安心して騎手になれた。

 予行練習では、俺は逃げ惑う立場ではなかった。安志とその仲間たちの騎馬は力強く、すごい勢いでグラウンドを駆け回っていた。

 あの日の風は、今でも覚えている。

 天つ風のように爽快だった。


……

「洋、あれを狙え」
「分かった!」
「洋、怯むな! 行けー!」
「よし! 取れた、取れた!」
「やったな、本番でも頑張ろうぜ」

……

 なのに、本番は、父によって学校を無理矢理休まされ、父の支配下にいた。

 フルコースのランチ、美術鑑賞、買い物。

 何もかも苦痛だった。

 あ、翠さんだ。

 俺の暗い記憶を消してくれるような真っ白なリネンシャツを、翠さんは着ていた。楚々とした印象は袈裟を着ていなくても変わらない。

「洋くん、よく来たね」
「翠さん……俺……薙くんの活躍を見たくて……やっぱり来てしまいました」
「来てくれて嬉しいよ。今から騎馬戦で、薙は騎手だよ」

 翠さんと流さんに囲まれていると、心が凪いでいく。

 こんなに安心出来る場所が、丈以外にもあったなんて。

 って、こんなことを言ったら丈が妬くかな?

 夜な夜な褒美を積めば、大丈夫か。

 ピストル音と共に騎馬戦が始まる。

 体操着に黄色いハチマキ姿の薙くんの乗った騎馬が駆け出す。

 しなやかな身体は騎馬の上で、自由自在だ。

 向かってくる敵を姿勢を変えて潜り抜け、どんどん相手陣地に攻めていく。

「取った!」
「あ、次も!」
「薙、頑張れ!」

 一瞬、高校時代に戻ってしまった。

 俺はグランウドを騎馬に乗って走り抜けているような感覚だ。

 次に瞬きをすると、白馬に跨がり、鎧をつけたヨウ将軍が見えた。

 目の錯覚か――

 巧みに敵に攻め入る勇士は圧巻だ。

 気合いの入った顔つき、逞しい腕が振りかざす剣は鋭い。

 ヨウ将軍は、俺の前世の中で一番雄々しい姿だ。

 カッコいい。

「皆、前進あるのみ! 道を薙ぎ払えー!」

 ヨウ将軍の腹の底から湧き出る勇ましい掛け声に、痺れた。

 君の姿を見せてくれてありがとう。

 君の勇ましさ、最高だ。

 君は時代を駆け抜けた人だ。

「洋くん? 大丈夫かい?」
「あ……翠さん」
「今、何を見ていた」

 目を擦ると由比ヶ浜高校のグランドに戻っていた。

 もう戦場ではなかった。

「……過去を見ていたようです」
「そうか、どうだった?」
「過去の俺は、怯まず先へ先へと駆け抜けていきました」
「そうか……では彼が作った道がここなんだね」
「はい」

 翠さんの言葉はいい。

 薙ぎ払って出来た道には、凪の時が広がっていく。

 



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