重なる月

志生帆 海

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16章

天つ風 21

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「流、面白かったね」

 俺の隣で、翠が珍しく興奮で顔を紅潮させていた。

 応援にかなり力が入ったようで、リネンシャツを更に腕捲りして、額にはうっすら汗をかいていた。

 袈裟を着ている時は、感情の起伏を見せず、汗すらも隠し通す男のくせに。

「はぁ~ なんだか暑いね。なんだか爽快な気分だよ」

 せっかく留めてやった首元のボタンを外して、胸元の生地を掴んでパタパタと仰ぐ姿に、目眩がした。

 げげ!
 
 そんなことすんなよ。そんな色っぽい表情すんなよ。

 俺が必死に押さえ込んでいる息子が反応すんだろー!

 慌てて明後日の方向を向くと、翠に制された。

「流、見当違いの方を見ているよ。薙はあっちだよ」
「お、おう!」

 競技が終わり退場していった。

 薙は誰よりも輝いて見えた(親の贔屓目かもしれないが、美しい子だ)

 この後は暫く出番がないようだから、俺はトイレに行くことにした。

「ちょっくらトイレ。翠も行くか」
「僕は後で行くよ。この場所、見やすいからキープしておきたくて」

 へぇ珍しいな、自己犠牲の塊だった翠の独占欲。

 いい傾向だ。

 翠は昔から周囲に気を遣い過ぎて、自分自身はいつも後回しにしてしまう。

 あの時も……翠はそうやって一番辛かったのは翠自身だったのに、俺や両親、あげくに達哉さんにまで気を遣って……周囲を庇ってしまった。

 何より一番に俺を庇ってくれた。

 あの頃……俺たちはまだまだ青かった。

 お互いに……自分が決めた道を押し通すことしか、道がないと思い込んでいた。

 だが……もうそんなのは遠い昔だ。

 アイツとは、ハッキリけりをつけた。

 もう――俺たちの世界には近づけない。

 翠の放つ結界は強く気高い。

 翠は本当に心が強くなった。


「そうか、じゃあ大人しく待っていてくれ」
「うん」

 ここは高校のグラウンドだ。

 さっと目を光らすが、怪しい奴はいない。遠巻きに俺たちをチラチラ見ていた母親軍団が、翠の端麗な美しさに目を奪われているようだが、俺が近づくなオーラを出しておいたので大丈夫だろう。

 ダシュッで保護者用トイレに駆け込んだ。

 ふぅ~ 間に合った。

 しかしまぁ、俺もいい年なのに相変わらず衰え知らずだよな。

 思春期かよ!と突っ込みたくなる。

 すっきりした顔でトイレを出ると、人とぶつかりそうになった。

 俺と同じくらいのガタイだ。

「お、お前、流じゃないか」
「先生! 久しぶりです。元気そうですね」
「ほぉ、今日『伝説のR』に会えるとはな。高校に来るなんてどういう風の吹き回しだ?」
「甥っ子が入学したんですよ」
「あー 1年に張矢って名字の子がいたな。偉いイケメンで大人気だぞ」
「ふふふ、俺の甥っ子ですから」

 そう言えば、俺は卒業後『伝説のR』と呼ばれていたらしい。

 干物屋のおばちゃんが先日興奮してやってきて教えてくれたのさ。

「懐かしいな、お前がしでかしたことは、何故か武勇伝として伝説になっているぞ」
「あー まぁ、いろいろしましたよね。そうだ、先生、昼飯食う時、屋上に行ってもいいですか」

 普段は鍵がかかっているのでダメ元で聞いてみると、意外な返事が返ってきた。

「いいぞ、もともと今日は特別に屋上と体育館を保護者用の昼食スペースとして開放する予定だからな」
「体育館は分かるが、屋上は暑いっすよ?」
「だが、海がよく見えて絶景だろ。保護者サービスだ」
「確かに!」
「一昨年、改装工事をしてフェンスで囲ったんだ。今は部活動でも使っているから安全面でも問題ない」
「へぇ、色々変わっちまったんですね」

 俺は先生の目を盗んで、屋上でサボって親の呼び出しを食らっていたのにな。

 卒業して……だいぶ経った。

 知らないうちに馴染みの場所が変化しているのが、少しだけ寂しくなってしまった。

 すると先生が笑いながら背中をバンバン叩いてくれた。

「だが海の青さも空の青さも当時のままだろ」
「確かに」
「流、時は流れるものだ。その中でどう生きるかだぞ」
「はい!」

 そうだ、俺の名前は流。

 流れゆく、この時の中で、ただ一人の人を愛するためにこの世に生まれたのさ。







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