重なる月

志生帆 海

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16章

天つ風 19

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「流、見ておくれ。小さかった薙が、あんなに堂々とエールを切っているよ」
「あぁ、勇ましい戦士のようにカッコいいな」

 ふと、あどけなく幼い薙の姿が脳裏によぎった。

 君は僕に似ず、大きな声で力強く泣く赤ちゃんで、人見知りもせず、のびのびと成長していったね。

 でも、少しだけあがり症だったのを覚えているかな?

 年少のお遊戯会では、舞台の上で泣いてしまったんだ。後から聞いたら僕の姿が見えなかったからだと可愛い事を言ってくれて、不謹慎だが父親として嬉しくなったよ。だから次の年は誰よりも早く会場に入り、一番見やすい場所に立って君を見守った。

 薙は僕を見つけて、あの日も元気いっぱいエールを送ってくれた。

 だが……その翌年には……僕はいなかった。

 ごめん――本当に申し訳ないことをした。

 あの日積み重なった心労から、視力を失いそうになっていた。そして離婚のショックに一人で慣れない新宿の怪しいバーになんて行って事故に遭ってしまった。そのことがまた彩乃さんの不審と怒りを買い、結局入院中にそのまま正式に離婚になってしまった。

 だがそれは僕の事情で、幼い薙には何が何だか分からなかったはずだ。ただ父親に捨てられたと、僕を恨んだろう。

 それも無理もない。

 あの頃の僕の精神状態は今にも崩れ落ちるほど危うく、正直、薙のことを考える余裕もなかった。

 離婚してからは彩乃さんが主導権を握っていて、なかなか会わせてもらえなかったんだ。僕の態度に非があったから仕方がないが、会いたいのに会えないジレンマに苦しんだ。ようやく視力と体調が回復し、数ヶ月に一度の面会日をいつも心待ちにしていたが、薙の心はどんどん離れて、僕と触れ合うことはなかった。
 
 だからこそ今……僕に向けて再びエールを切ってくれる息子の勇姿に、心が震えるよ。

 僕の身体は、一気に熱を帯びた。

 あの子は僕の力の源だ。この先も流と生きていくために、僕は月影寺に結界を張り続ける。それを支えてくれるのが薙なんだね。

 僕の生き方を息子に受け入れてもらえた。

 それが嬉しくて、感無量だ。

「……翠」
「あっ」

 気がついたら双眸に、涙が溜っていた。

 次に瞬きをしたら、きっと零れてしまうだろうというタイミングで、流がハンカチを差し出してくれた。

「翠の嬉し涙は綺麗だろうが……視界が霞んでいたら、せっかくの薙の晴れ舞台がクリアに見えないぞ」
「そうだね、ありがとう」

 応援団による開会のエールの後は、選手宣誓、校長先生の挨拶、準備運動。

 そしていよいよ競技が始まる。

 そこで僕たちも一息ついた。

 薙から渡された体育祭のパンフレットを開くと、赤い丸がつけてあった。

「丸印が薙が出るのものかな?」
「何に出場するんだ?」
「えっと、最初は障害物競走みたい」
「薙らしいな。障害物を薙ぎ払うんだな」
「そうだね、流……あの子は本当に逞しく成長したね」
「それを見て欲しくて、今日俺たちを招いたのだろう。しっかり見ようぜ」
「そうだね」

 いくつかの競技の後、体操服に着替えた薙が登場した。

「あのジャージ、懐かしいな」
「デザイン、全然変わってないんだね」
「だな」

 入院中借りた流のジャージを思い出して、ふっと笑みが零れる。

「そう言えば、流は高校時代によく家でもジャージを着ていたよね」
「まあな」
「なんで?」
「いろいろ都合が良かったんだよ」
「ん?」
「へへっ、ウエストがゴムでさぁ」
「ええ?」

 流がこっそり耳元で囁く。

「手を突っ込みやすかった。んで一人で……」
「も、もう――何を言っているんだか」


 全く――

 でも流の悪戯な笑顔は、僕をいつも和ましてくれる。

 そう言えば昔も、沈みがちな僕を、いつも自分がおどけることで場を明るくしてくれたよね。

 あの時も、あの時も……

 僕は流に励まされて、あの日受けた恥辱を忘れていくことが出来たんだ。
 
「本当は翠に見て欲しかったのさ、俺の成長を」
「見ていたよ。ちゃんと……体操着がどんどん小さくなっていくのを見て、流の男らしい成長にドキドキしたよ」
「お、それで、それで?」

 流がワクワク顔になっている。
 これは正直に答えないとね。

「実は……僕も真似して家で体操着を着てみたんだ」
「ん? 翠は家でもいつもきちんとした格好で隙がなかったぞ?」
「ダブダブでかっこ悪かったからやめたんだ」
「ははっ、母さんは昔から、なんでも大きめを買うのが好きだったよな」
「たぶん……それは僕の服を2歳下の流にお下がりで着せるためだったんじゃないかな? 成長具合から、流の方が大きくなりそうだったのを見込んで」
「母さんのやりそうなことだ。俺は翠のお下がりが大好きだったよ。翠の匂いに包まれて幸せだった。こんなの今更暴露するの嫌か」
「いや、僕も大好きな流が僕の服を着てくれるのが嬉しかったよ」
「なんだよ。俺たち昔から相思相愛じゃねーか!」
「そういうことに……なるのかな?」
「なる!!」

 ゆったりとした心地で昔話をしていると、アナウンスが入った。

「次は高1の障害物競走です」
「薙の出番だ!」
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