重なる月

志生帆 海

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16章

天つ風 9 

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「急で悪いな、張矢」
「いえ大丈夫です。来週でも問題はありません」

 今日は当直の予定だったが、先輩の都合で交代した。

 つまりこのまま帰宅出来ることになった。

 ならば、もう帰ろう。

 早く戻ろう。

 最近の洋は月影寺で一人で過ごす時間が長く、口には出さないが、いつも私の帰宅を待ち侘びているようだ。

 思えば、私は洋をいつも待たせている。

 診療所の件もそうだ。

 暫く待たせることになってしまった。

 由比ヶ浜の洋館は大正時代に建てられた建築物だ。耐震性が心配で診断してもらった結果、やはりかなり大規模な耐震改修工事が必要だった。そこで診療所として患者さんに安心して通っていただけるように、全面的に工事をすることになった。夏前には開業したかったが、かなり先になってしまった。

 おそらくこの調子だと1年先にずれ込みそうだ。

 期待させた分、洋は長く感じているだろう。私の診療所を手伝うと決めて、翻訳や医療ライターの仕事を悉く断ってしまったので、手持ちぶさたなのではないか。

……

「洋、やはり耐震工事はかなり大事になるそうだ。暫く延期になるので、それまで、もう一度翻訳の仕事を受けたらどうだ?」

 促してみたが、洋はフッと男らしい笑みを浮かべるだけだった。

「いや、もう道は決めた。じゃあ待つ間に通信教育で医療事務の資格を取るよ」
「いいのか」
「もちろんだ。丈と俺はいつも一緒だろう」

……

 洋の気持ちが有り難かった。

 ずっと一人だった私は、一人ではなくなった。

 ずっと洋と生きていける。

 それが嬉しかった。

 目を閉じて恋人の美しい顔を思い浮かべた。

 月影寺の山門に立ち月光を浴びる洋の横顔は格別だ。だが同時に憂いを帯びた瞳に、胸が切なく締め付けられる。

 洋は男らしい部分と儚い部分を持ち合わせている。

 ヨウであった過去と洋月であった過去、そして夕凪。

 月が次々と姿を変えるように、洋も変わっていく。

 だが何も恐れることはない。

 どんな洋でも洋なのだから。

 私が帰宅することを知ったら、洋はさぞかし喜んでくれるだろう。

 だから車を走らせる前に、車中から電話をかけた。

 洋は通常通り仮眠室からのラブコールだと思い込んでいる様子だった。

「じょ、丈、どうしたんだ?」

 ところが様子が、明らかに変だった。そわそわと落ち着かず、まるで洋の近くに誰かいるようだ。これは男の勘だが……

 洋が兄さんたち以外の誰かを離れに入れることはまずないのに、とても気を許した誰かがそこにいるのでは?  いや……覚束ない口調なのは、発熱しているのでは?

 二つの可能性に、私の心は揺さぶられた。

 確かめずにはいられない。この目で今すぐ!

「様子が変だぞ。心配だ」
「だ、か、ら、何でもない」
「もしかして熱があるのか。とにかく顔を見せろ」
「え!」
「洋、今すぐカメラに切り替えろ」
「うっ」
 
 半ば強引に画像に変えさせた。

 すると何故かアップで美しい顔が映し出される。

 ずっとアップのままだ。

 おい、不自然だぞ? ますます怪しい。

 傍に誰かがいるのを見えないようにしているのか。

 心配になって全身を見せろと強く言うと……

 強い洋が顔を見せる。

 俺を見据えるような流し目で、強い意志を放った。

 男らしい面が全開になる。

 洋の魅力に痺れる。

 洋が見せてくれたのは、私の高校の制服を着ている姿だった。

 参ったな――

 私は私に嫉妬していたのか。

 誰か私と同じ位洋を好きな奴がまとわりついている気配は、私の分身だったとは。

 それにしても、洋の学生服姿は初めてだ。

 ゴクリと喉が鳴る。

 あんなに淡々と過ごした学生時代が、突然モノクロがカラーになったように輝きだした。

 思春期に発作的に湧上がる情動、あれと似ている。

 私の制服に身を包んだ洋に、激しく欲情した。 

 股間に熱が籠もるのを感じた。

「参ったな……洋、それは……反則だ」

 動揺からスマホをポロッと落としてしまった。

 そこで通話が切れる。

 バクバクと動悸が激しくなる。

 駄目だ、これでは運転に支障が出る。
 
 もう一度電話をかけ直すことよりも、今すぐ洋の元に舞い戻る!

 深呼吸してから、アクセルを踏み込んだ。





 なんとか冷静に運転し、愛の住み処に戻ってきた。

 車の停止位置がかなり曲がってしまったが、今日はこのままで。

 山門に向かって駆け上がると、夜警をしていた流兄さんと出くわした。

「なんだ? 今日は当直じゃなかったのか」
「……急な変更で戻って来られたんです!」

 フンと鼻息荒く告げると笑われた。

「良かったな。そうだ、これ持って行けよ」
「なんです?」
「俺が食べようと思っていた夜食のおにぎりさ。きっと後で腹が空くぞ」
「……有り難くいただきます」
「おぅ! 幸運だな。今日帰ってこられるなんて」
「えぇ」

 どうやら流兄さんには、洋が私の学ラン姿でいるのがお見通しのようだ。

 敵わないな、この兄には――

 兄が今生で積み重ねた愛は、年季が入っている。

 離れに戻れば、幸せな光景を目の当たりにした。

 洋が私の学ランを着て……私に欲情していた。

 理性は吹っ飛ぶ。

 この先はいつものように洋を裸にして、執拗に全身を愛撫し、胸の粒に吸い付いて、蕾の周りを指で辿って、ありったけの愛で貫いた。

 吹き上がる愛情。

 大きな大きな愛で洋を包み、一つになった。

 大海原を漂うように、二人は身体を絡めて船を漕ぐ。

 行き先は一つ。

 明日だ――

 

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