重なる月

志生帆 海

文字の大きさ
上 下
1,541 / 1,657
16章

天つ風 6

しおりを挟む
「じゃあ、着てみるよ」
「うん、見せておくれ」

 父さんが6年間着た黒い学ランに袖を通した。

 少しのほつれも汚れもない学ランは、きちんとした印象の父さんそのものだ。

 くんくんと匂いが嗅ぐが、汗臭さとかとは無縁だった。いやそれどことか、そこはかとなく清涼な香りが漂ってくる程だ。

 それにしても流石、私立だな。生地がペラペラでなく厚みがあって上質だ。

 オレ、今の高校の制服をこんなに綺麗に残せないだろうな。

 3年で朽ち果てる気がする。

 だってさ、既に袖が土で汚れているんだ。

 朝、歩いているだけで、いろんな人に呼び止められる。

「あなた『伝説のR』に歩き方が似ているわ」
「へ?」
「懐かしいわ。そうだわ! しっかり貢がないと」

何故か「持ってけ持ってけ」と見知らぬおばあちゃんからいろんな野菜や果物をもらうんだ。土がついたままのじゃがいもとか朝採れトマトとか意味不明だ。この前はいきなり干物を差し出されてギョッとしたよ。あれは流石に受け取れなかったけど、今度は思い切ってもらってみようかな? 海岸で焼いたらいい昼飯になるかも。

 ワクワクしてきた!

 あれこれ考えながら、ボタンを留めていると……

「あれ? 第二ボタンがないな。父さんやっぱりモテたんだな。まぁ当たり前か。でも誰にあげたんだろう?」

 苦しいが一番上のボタンまでしっかり留めると、父さんの過去を背負った訳でもないのに、グッと気が引き締まった。

「いい感じ!」

 まるでオレに誂えたかのように、サイズはぴったりだった。

 当たり前だが大人にも子供時代があったんだなと、感慨深く思った。

「どうかな? ジャストサイズだったよ」

 くるりと振り向くと、父さんと流さんが肩を組んで笑っていた。

「おぉ、もう今でぴったりか。薙はもっと大きくなりそうだな」
「うーん、悔しいけど、そのようだね」
「翠が息子を見上げる日が来るのは、確実だな」
「だねぇ」

 洋さんも壁にもたれて。ゆったりと寛いだ笑顔を浮かべていた。

「薙くん、よく似合っているよ」

 過去と今が交差しているような不思議な空気が、衣装部屋には漂っていた。

 オレが来る前、きっと皆この学ランを通して、過去に想いを馳せたのだろう。その過去はけっして夢と希望の溢れた輝かしいものではなかったかもしれないが、その過去があって今がある。

 父さんと流さん、そして洋さんがこんなにも魅力的な大人になれたのは、きっと忍耐と勇気を持ち続けたからだ。

「薙、どうした? 顔色が……」
「いや、その……父さんの歴史を背負ったみたいで」
「……そうか。僕が薙に贈る言葉はただ一つ。どんなことがあっても希望を持って生きて欲しい」
「翠さんの言う通りだ。薙くん、何があっても必ず未来に続く道はある」

 父さんと洋さんからの言葉が、胸にドンと響く。

 薙ぎ払おう、過去を。

 解き放とう、今、自由に――


****

 衣装部屋で俺は二人の兄と肩を揺らし、心から笑い合った。

 こんな風に男同士でじゃれ合う時間は、一人っ子の俺には縁遠いものだったので嬉しかった。

 誘われるがままに、母屋で夕食も一緒に取った。

 俺の居場所がある。

 ひとりじゃないことが、嬉しい夜だった。

「洋、丈は当直なんだろ?」
「えぇ、明日の夜まで戻りません」
「じゃあ、こっちで一緒に眠ればいいじゃないか」
「いや、それは流石に」
「あ、そうか、丈とのラブコールがあるもんな」
「それは……」
「洋くん、では、これを持ってお行き」

 まるでお土産のように丈の制服を翠さんに手渡されて、照れ臭くなった。

「丈ね、絶対に喜ぶと思うよ。洋くんに制服に沢山触れてもらいたいと強請りそうだ」
「す、翠さん」

 なんて翠さんが言うから、俺は離れに戻ってからずっとそわそわして落ち着かない。

 丈の制服を寝室のクローゼットにかけて、何回も眺めてしまった。

 そっと触れてみる。

 高校時代の丈……

 俺と出会う前の丈がここにいる。

 なぁ、お前はどんな男だった?

 俺に巡り逢うまで、一人で何を考え、何をして過ごしていた?

 過去は過去に過ぎないのに、愛しい人の高校の制服は厄介だ。

 明日の夜まで待てそうもない。

 羽織ってみれば、何か感じるだろうか。

 俺は誘惑に負けてパジャマを脱ぎ、丈の制服を着てみた。
 
 悔しいが、ダボダボだ。

 悔しいが、俺には似合わない。

 だが丈にまた一歩近づけたような、丈の中に一歩踏み込めたかのような不思議な心地になっていた。

「これは、まずいな」

 気持ちを持って行かれそうになり、慌てて脱ごうとした所で、まさかの丈からのコール!



 

 

しおりを挟む
感想 54

あなたにおすすめの小説

『これで最後だから』と、抱きしめた腕の中で泣いていた

和泉奏
BL
「…俺も、愛しています」と返した従者の表情は、泣きそうなのに綺麗で。 皇太子×従者

悩める文官のひとりごと

きりか
BL
幼い頃から憧れていた騎士団に入りたくても、小柄でひ弱なリュカ・アルマンは、学校を卒業と同時に、文官として騎士団に入団する。方向音痴なリュカは、マルーン副団長の部屋と間違え、イザーク団長の部屋に入り込む。 そこでは、惚れ薬を口にした団長がいて…。 エチシーンが書けなくて、朝チュンとなりました。 ムーンライト様にも掲載しております。 

孕めないオメガでもいいですか?

月夜野レオン
BL
病院で子供を孕めない体といきなり診断された俺は、どうして良いのか判らず大好きな幼馴染の前から消える選択をした。不完全なオメガはお前に相応しくないから…… オメガバース作品です。

キサラギムツキ
BL
長い間アプローチし続け恋人同士になれたのはよかったが…………… 攻め視点から最後受け視点。 残酷な描写があります。気になる方はお気をつけください。

僕の幸せは

春夏
BL
【完結しました】 恋人に捨てられた悠の心情。 話は別れから始まります。全編が悠の視点です。 1日2話ずつ投稿します。

別れの夜に

大島Q太
BL
不義理な恋人を待つことに疲れた青年が、その恋人との別れを決意する。しかし、その別れは思わぬ方向へ。

【完結】義兄に十年片想いしているけれど、もう諦めます

夏ノ宮萄玄
BL
 オレには、親の再婚によってできた義兄がいる。彼に対しオレが長年抱き続けてきた想いとは。  ――どうしてオレは、この不毛な恋心を捨て去ることができないのだろう。  懊悩する義弟の桧理(かいり)に訪れた終わり。  義兄×義弟。美形で穏やかな社会人義兄と、つい先日まで高校生だった少しマイナス思考の義弟の話。短編小説です。

帰宅

pAp1Ko
BL
遊んでばかりいた養子の長男と実子の双子の次男たち。 双子を庇い、拐われた長男のその後のおはなし。 書きたいところだけ書いた。作者が読みたいだけです。

処理中です...