重なる月

志生帆 海

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16章

天つ風 2

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 流も薙も去り、また僕は一人になった。

 ぽつんと縁側に腰掛けていると、夕焼けが空を茜色に染め出した。

 東京のマンションで彩乃さんが出掛けて一人になると、僕はいつも高層マンションの窓辺に佇んでいたのを思い出す。

 遠く、遙か遠くに見える山並みに手を伸ばしては、首を横に振りドンっと窓硝子を叩いた。

 遠く、遠く心が離れてしまった流との日々を追憶して、一人涙を浮かべていたのだ。

 あの頃の僕は……

 月影寺を飛び出し勢いで結婚したもの、僕は明らかに居場所を失っていた。

 婿養子のような立場で渋谷区にある秋風寺で働きだしたが、都会の空気に馴染めず、妻である彩乃さんのかなり奔放な性格にも戸惑っていた。

 月影寺の跡を継ぐ目標も、長男としての意気込みも、もう……全部不要になってしまった。そう思うと……まるで糸の切れた凧のように、これまで一直線に向かっていた目標を失い進むべき方向性が定まらず、不安定な日々だった。



 そんな中、ひとつの希望が生まれた。

 それは長男、薙の誕生だ。

 僕はたった24歳で父となった。

 とても若い父だったが、父になったことで意識が変化した。

 この子のためにもこの地に根付かねば……

 可愛らしい坊やは、僕によく似た顔立ちだった。

 でも性格は違った。

 嫌なものは嫌、好きなものは好きだと、赤ん坊の頃から意思表示がハッキリしていた。

 薙と名付けて正解だね。

 君は道を切り開いていくんだよ。

 僕のようになってはいけない。
 
 自分で自分の道を埋めてはいけないよ。

 薙がまるで幼い流のように、僕を慕ってくれるのが救いだった。

「パパ、パパ、こっちきてぇ」
「え?」

 まるで小さな頃の流のように僕を力強く引っ張る薙に、ついほろりと泣いてしまった。

「パパ、どうちたの?」
「ごめん、なんでもないよ」

 しっかりしないと、この子のためにも。

 そう思うのに一度ひびがはいった心は厄介だった。

 薙を連れて社交的に遊びに出掛ける彩乃さん。

 薙は幼いのに、毎日お稽古事で僕の傍からいなくなって、また一人になってしまった。
 
 その頃には、心と身体の乖離が顕著になり、ついにストレスから視力を失ってしまった。
 
 一番恐れたことがやってきてしまったと、僕は錯乱した。

 ずっと怖かった。

 いつか流が消えてしまうのではと、幼い頃から心の奥に小さな石のように存在した恐れが現実になってしまったと嘆いた。

 流はいるのに、姿が見えないのは……拷問だったな。

 僕らの前世が影響していたとは、あの頃は何も知らなかった。

 あぁ……どんどん過去に引きずられていってしまう。

 この先はダメだ。

 とても、とても嫌なことを思い出してしまう。

 痛くて熱くて、屈辱的なことを……
 
 流……薙……誰か……助けて!

 脂汗をかいていると、静かな声がした。

 まるで月明かりに照らされるように、荒波にもまれていた心が浄化されていく。

「翠さん、どこへ行くのですか」
「洋くんか」
「はい、今、過去に引きずられそうになっていたのでは?」
「ふっ……君には何でもお見通しだね」
「いや、見通したのではなく、一緒なんです。俺も翠兄さんと同じで、この時間に一人でいるのは辛くて」

 子猫を抱いた洋くんが、隣に腰掛けてくれる。

 肩が触れる距離に詰めて、僕に温もりを届けてくれる。

「少しは落ち着きましたか」
「うん……来てくれてありがとう」
「よかった。俺も一人でいるとあれこれ考えてしまうんです。嫌なことを思い出しそうになって……そんな時は自力ではなかなか浮上できないが、ルナが助けてくれます。子猫の温もりに癒やされています」
「そうか、あ……僕のシャドーはどこだろう?」
「ちゃんといますよ。翠さんの足下に」
「あっ」
「だから、翠兄さんも、これからシャドーを傍に」
「うん、そうするよ」

 洋くんと過ごす時間は、心地良い。

 洋くんには、なんでも話せる。

 縁側で洋くんと肩を寄せ合い、日没を見守った。

 白い猫と黒い猫は仲良しだ。

「月が出て来ますよ。もう大丈夫です」
「うん、落ち着いたよ。皆の所に戻ろう。洋くんもおいで、丈は当直だろう」
「いいのですか」
「当たり前だ。きっと楽しいことが待っているよ」


 僕たちはまた歩き出す。

 打ちのめされ絶望を味わった過去は消えないが、こうやって肩を寄せ合って生きていく。

 月影寺とは、そんな寺だ。



 


 

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