重なる月

志生帆 海

文字の大きさ
上 下
1,536 / 1,657
16章

天つ風 1

しおりを挟む
 季節は進み6月上旬、月影寺の庭の新緑が眩しい季節となっていた。

 1日の勤めをつつがなく終え、僕はゆったりと縁側に腰掛ける。

 ここで庭を眺めるのが昔から好きだ。

「あ……そうか、もうすぐ梅雨入りか」

 少しだけ風が湿っていた。

「父さん、ちょっといい?」
「薙、今帰ったの? お帰り」

 振り返ると制服姿の薙が立っていた。
 
「ただいま! 腹減った~ あ、そうだ! これ『体育祭の案内』だって。親に渡せって言うからさ」
「そうか、ありがとう」

 もう体育祭の季節なのか、懐かしいな。

 僕が大学生の時、両親に頼まれて流の体育祭を観に行ったのを思い出した。出来れば会いたくない人がいたから迷ったが、流の姿を一目見たくて、目立たないように人山の背後からそっと見守った。

 流は高校2年生になっていた。

 日焼けした流は学内でかなり目立つ存在のようで、流が通るだけで女の子がキャーキャーと黄色い歓声をあげていた。

 リレーで緑のバトンを受け取った流の躍動感溢れる走り、組体操では倒立で体操着のシャツが大きく捲れ、筋肉隆々の逞しい身体を惜しげもなく晒し、また黄色い歓声を浴びていた。

 僕はそれを複雑な気持ちで見守った。

 思えばもうあの頃から、いやもっと前から、僕は流を弟としてではなく、熱の籠もった視線を向けていたのかもしれない。

 必死にその波打つ感情を平らにして、平常心を心がけていた日々が懐かしいよ。

 長く苦しい年月も過ぎ去れば思い出となり、このような余韻を生むのか。

「父さん~ 聞いてる?」
「え? あぁごめん」
「いいよ。どうせ思い出に耽っていたんだろ?」
「図星だよ。懐かしいなって。父さんは男子校で体育祭は閉鎖的だったけど、由比ヶ浜高校の体育祭は開放的で楽しかったよ」

 そこまで話すと、薙がペンを持ってくる。

「ん?」
「ここに丸して」
「ここ?」
「そっ『観覧希望します』でいい?」
「えっ、僕が行ってもいいの?」
「当たり前だろ、父さんなんだから。でも都合つくの?」
「雨が降らなければ金曜日か。平日なら出やすいよ」
「じゃっ、来てもいいよ。あ、あとさ……俺、応援団やることにした」

 薙が応援団か。
 
 薙は流に似て凜々しく逞しい子だから似合うだろうな。

 今度は未来を想像してニヤついてしまう。

「でさ、応援団といえば、学ランだって団長が言うんだ」
「でも薙の学校はブレザーだよね」
「だから知り合いから借りて来いってお達しが」
「へぇ、イマドキだね、他校から借りるなんて」
「あのさ。父さんのある?」
「えぇ? 僕の?」

 これには驚いた。

「うーん、どこにあるかな? 母さんに電話して聞かないと」
「あったら借りていい?」
「もちろんいいけど、劣化してないかな?」
「父さんの綺麗そう。父さんは品行方正で優等生だったんだろうなぁ」
「さぁ、どうだか?」

 そこに流がすっ飛んでくる。

 くすっ、どこから話を聞いていたのか、鼻息が荒いね。

「今、いい話を聞いたぞ! 翠の学ランを発掘するのか。ジャージだって着られたんだ。学ランも無事に決まっている」
「流……ちょっと落ち着いて」
「ははっ、悪い。どこにあるのか見当がつかん。母さんに電話してくるよ」

 浮き足立つ流の後ろ姿に、苦笑してしまった。

「流は相変わらずだね」
「俺が着ても殺されないかな」
「薙は僕達の子だから大丈夫だよ」
「そっか、役得だな」

 薙が朗らかに笑ってくれるのが嬉しかった。

 僕たちのことを、薙は受け入れてくれている。

 愛しい我が子だ。

 回り道をしたのは薙と出会うためだったのかもしれないね。

「高校はどう? 友達は出来た?」
「父さん、小学生に聞くみたいだ」
「ごめん、ごめん」
「いや、嬉しいよ。こういう関係も悪くないな」

 薙が小学生にあがる前に離婚してしまい、ろくに会わせてもらえなかったから、薙がどんな小学生だったのか分からない。だから、つい聞いてしまった。

「あのさ、今のオレを大切にしてくれてありがとう」

 この言葉を与えてもらえるだけでも、信じられない奇跡。

 一度は壊れてしまった親子関係を修復出来たのは、薙の心が僕を受け入れてくれたからだよ。

「照れるな、おやつ食ってくる! まだ小森くんいるかな?」

 薙が顔を赤くして走り去る様子に、笑みが零れた。

 幸せとは、小さな喜びの積み重ねなんだね。

 僕も宗吾さんや瑞樹くんたちのように、日常の中に蒔かれた『幸せの種』を育てていこう。

 月影寺に降り注ぐのは、きっと慈雨――



しおりを挟む
感想 54

あなたにおすすめの小説

忘れ物

うりぼう
BL
記憶喪失もの 事故で記憶を失った真樹。 恋人である律は一番傍にいながらも自分が恋人だと言い出せない。 そんな中、真樹が昔から好きだった女性と付き合い始め…… というお話です。

『これで最後だから』と、抱きしめた腕の中で泣いていた

和泉奏
BL
「…俺も、愛しています」と返した従者の表情は、泣きそうなのに綺麗で。 皇太子×従者

【完結】義兄に十年片想いしているけれど、もう諦めます

夏ノ宮萄玄
BL
 オレには、親の再婚によってできた義兄がいる。彼に対しオレが長年抱き続けてきた想いとは。  ――どうしてオレは、この不毛な恋心を捨て去ることができないのだろう。  懊悩する義弟の桧理(かいり)に訪れた終わり。  義兄×義弟。美形で穏やかな社会人義兄と、つい先日まで高校生だった少しマイナス思考の義弟の話。短編小説です。

別れの夜に

大島Q太
BL
不義理な恋人を待つことに疲れた青年が、その恋人との別れを決意する。しかし、その別れは思わぬ方向へ。

帰宅

pAp1Ko
BL
遊んでばかりいた養子の長男と実子の双子の次男たち。 双子を庇い、拐われた長男のその後のおはなし。 書きたいところだけ書いた。作者が読みたいだけです。

BL団地妻-恥じらい新妻、絶頂淫具の罠-

おととななな
BL
タイトル通りです。 楽しんでいただけたら幸いです。

合鍵

茉莉花 香乃
BL
高校から好きだった太一に告白されて恋人になった。鍵も渡されたけれど、僕は見てしまった。太一の部屋から出て行く女の人を…… 他サイトにも公開しています

悩める文官のひとりごと

きりか
BL
幼い頃から憧れていた騎士団に入りたくても、小柄でひ弱なリュカ・アルマンは、学校を卒業と同時に、文官として騎士団に入団する。方向音痴なリュカは、マルーン副団長の部屋と間違え、イザーク団長の部屋に入り込む。 そこでは、惚れ薬を口にした団長がいて…。 エチシーンが書けなくて、朝チュンとなりました。 ムーンライト様にも掲載しております。 

処理中です...