重なる月

志生帆 海

文字の大きさ
上 下
1,529 / 1,657
16章

雲外蒼天 14

しおりを挟む
「鷹野、いい結果だったぞ」
「そっすか」

 専属トレーナー(鬼軍曹)に背中をバシッと叩かれた。

 イテテ……

「ん? まだ発散し足りないのか、筋骨隆々として、まだまだ元気そうだな。もっとやるか」
「え? いやいやもう充分です」(ってか、残りは涼のために温存してるんですけど~)
「お前のスケジュールは……明日はボディガードの仕事はないので内勤だ。準備もないし、今日はもう帰っていいぞ」
「え?」

 時計を見ると、まだ4時だぞ。

「えええ?」
「この前、急な残業させたから、それと引き換えだ」
「うぉー 恩に着ます」
「ほら、もう帰れ、帰れ」
「帰らせていただきます。では!」

 シュパッと着替え、ドドッと駆けだした。

 最高じゃないか。

 こんな時間に職場を出られるなんて。

 今日がどんな日か上司は知りもしないだろうが、俺は昼前に涼からのメールを見て、既に駆けだしたい気分だったんだ。

 月影寺に行こう!

 涼に会いに行こう!

 今から行けば5時過ぎには着けるだろう。

 ワンピースを着てふんわりと薄化粧した妖精のような俺の恋人を、この腕で抱きしめに行くぞ!


****

「張矢先生、お疲れ様です。今日のスケジュールはすべて終わりました」
「ん? もう終わったのか。妙に今日はスムーズだったな」
「そうなんですよ。待合室がガラガラで驚きましたよ。1年にそう何度もない空いている日でしたね」
「そうか、そういう日もあるよな。君ももう帰るのか」
「えぇ、帰れる時は帰ります」

 帰れる時は帰るか。

 実に素直な決断だ。

 私もそれに従おう。

「私も帰る」

 そう告げると、看護師がふふっと笑みを漏らした。

「今の、何か面白かったか」
「いえ、いえ、よかったですね。愛しの奥さまの元に早くお戻り下さい」
「……いや、その」
「愛妻家の張矢先生って医局で有名ですよ」
「……帰るよ」

 愛妻家か。
 
 少しニュアンスは違うが、認めよう。

 今日のような日は、愛しい洋が待つ家に1分1秒でも早く戻りたい。

 いつも仕事優先になってしまい、寂しい思いをさせているから。

 洋も医療ライターとして外の世界に飛び立とうとしたこともあったが、結局、私が海里先生の診療所を継ぐ話が現実となり、診療所の手伝いをしたいと申し出てくれた。だから医療ライターの仕事は、キリがいい所でやめてしまった。

 私が諦めさせてしまったのか……

 いや、そうではない。

 諦めたのではなく、私と足並みを揃えてくれたのだ。

 私と洋の結びつきは、この世の人生だけではない。

 過去の自分たちに引っ張られることはもうないが、今の私たちは強く引き寄せ合っている。



 白衣を脱ぎ、静かな廊下を靴音を立てながら歩く。

 駐車場への扉を開けると、一気に下界に降りた気分になる。

「さぁ、戻るぞ。洋もそろそろ帰ってくるだろう」

 アクセルを踏んでハンドルを切れば、すぐに大船市外に出る。

 北鎌倉の駅前を通過すれば上り坂だ。

 徒歩だと息が上がるほど延々と続く坂道でも、愛車なら一気だ。

「ん……?」

 前方に人影発見! 

 黒いスーツ姿で、坂道を駆け上がる男にはよく見覚えがあった。

 横に停車させ、声をかける。

「なんだ、安志くんか」
「お! 丈さんも早いお戻りですね。俺と同類だ!」

 ニカッと笑う屈託のない笑顔の下に、下心が満載のような気がして苦笑してしまった。

「乗るか」
「いや、もう少し発散していきます!」
「すごい体力だな」
「有り余ってます」
「ふむ」

 涼くんに会いに来たのだろう。

 妖精のような涼くんを一目、生で見たい気持ちは分かる。

 私だって同じだ。
 
 つんけんしていても根は優しい洋だから、夜まで天女のような姿で待ってくれると申し出てくれたが、幸せな時間を過ごした恋人をこの腕で受け止めてやりたかった。

 車を駐車場に停めて山門に向かうと、安志くんが息を切らせて石段に腰掛けていた。額には大粒の汗が浮かんでいる。

「ここで待つのか」
「いつも待たせてばかりなので、待ちたいんです」
「……それは私もだ」

 だから二人肩を並べて、愛しい人の帰りを待つことにした。
 
 
 すると何かを求めるような鳥の鳴き声が山から聞こえ、風に乗ってどこからか和歌が届いた。


 これは……遠い昔、私が丈の中将と名乗っていた頃に触れた和歌……


『ホトトギス人まつ山に鳴くなれば我うちつけに恋まさりけり』(紀貫之)


 ホトトギスが松の山で鳴くと、愛しい人を待つ私の恋心も無性に掻き立てられる。


 洋……待っている。

 私はここで待っている。
しおりを挟む
感想 54

あなたにおすすめの小説

物語のその後

キサラギムツキ
BL
勇者パーティーの賢者が、たった1つ望んだものは……… 1話受け視点。2話攻め視点。 2日に分けて投稿予約済み ほぼバッドエンドよりのメリバ

【完結】双子の伯爵令嬢とその許婚たちの物語

ひかり芽衣
恋愛
伯爵令嬢のリリカとキャサリンは二卵性双生児。生まれつき病弱でどんどん母似の美女へ成長するキャサリンを母は溺愛し、そんな母に父は何も言えない……。そんな家庭で育った父似のリリカは、とにかく自分に自信がない。幼い頃からの許婚である伯爵家長男ウィリアムが心の支えだ。しかしある日、ウィリアムに許婚の話をなかったことにして欲しいと言われ…… リリカとキャサリン、ウィリアム、キャサリンの許婚である公爵家次男のスターリン……彼らの物語を一緒に見守って下さると嬉しいです。 ⭐︎2023.4.24完結⭐︎ ※2024.2.8~追加・修正作業のため、2話以降を一旦非公開にしていました。  →2024.3.4再投稿。大幅に追加&修正をしたので、もしよければ読んでみて下さい(^^)

偽物の僕は本物にはなれない。

15
BL
「僕は君を好きだけど、君は僕じゃない人が好きなんだね」 ネガティブ主人公。最後は分岐ルート有りのハピエン。

そんなの真実じゃない

イヌノカニ
BL
引きこもって四年、生きていてもしょうがないと感じた主人公は身の周りの整理し始める。自分の部屋に溢れる幼馴染との思い出を見て、どんなパソコンやスマホよりも自分の事を知っているのは幼馴染だと気付く。どうにかして彼から自分に関する記憶を消したいと思った主人公は偶然見た広告の人を意のままに操れるというお香を手に幼馴染に会いに行くが———? 彼は本当に俺の知っている彼なのだろうか。 ============== 人の証言と記憶の曖昧さをテーマに書いたので、ハッキリとせずに終わります。

代わりでいいから

氷魚彰人
BL
親に裏切られ、一人で生きていこうと決めた青年『護』の隣に引っ越してきたのは強面のおっさん『岩間』だった。 不定期に岩間に晩御飯を誘われるようになり、何時からかそれが護の楽しみとなっていくが……。 ハピエンですがちょっと暗い内容ですので、苦手な方、コメディ系の明るいお話しをお求めの方はお気を付け下さいませ。 他サイトに投稿した「隣のお節介」をタイトルを変え、手直ししたものになります。

六日の菖蒲

あこ
BL
突然一方的に別れを告げられた紫はその後、理由を目の当たりにする。 落ち込んで行く紫を見ていた萌葱は、図らずも自分と向き合う事になった。 ▷ 王道?全寮制学園ものっぽい学園が舞台です。 ▷ 同室の紫と萌葱を中心にその脇でアンチ王道な展開ですが、アンチの影は薄め(のはず) ▷ 身代わりにされてた受けが幸せになるまで、が目標。 ▷ 見た目不良な萌葱は不良ではありません。見た目だけ。そして世話焼き(紫限定)です。 ▷ 紫はのほほん健気な普通顔です。でも雰囲気補正でちょっと可愛く見えます。 ▷ 章や作品タイトルの頭に『★』があるものは、個人サイトでリクエストしていただいたものです。こちらではいただいたリクエスト内容やお礼などの後書きを省略させていただいています。

消えない思い

樹木緑
BL
オメガバース:僕には忘れられない夏がある。彼が好きだった。ただ、ただ、彼が好きだった。 高校3年生 矢野浩二 α 高校3年生 佐々木裕也 α 高校1年生 赤城要 Ω 赤城要は運命の番である両親に憧れ、両親が出会った高校に入学します。 自分も両親の様に運命の番が欲しいと思っています。 そして高校の入学式で出会った矢野浩二に、淡い感情を抱き始めるようになります。 でもあるきっかけを基に、佐々木裕也と出会います。 彼こそが要の探し続けた運命の番だったのです。 そして3人の運命が絡み合って、それぞれが、それぞれの選択をしていくと言うお話です。

愛する貴方の心から消えた私は…

矢野りと
恋愛
愛する夫が事故に巻き込まれ隣国で行方不明となったのは一年以上前のこと。 周りが諦めの言葉を口にしても、私は決して諦めなかった。  …彼は絶対に生きている。 そう信じて待ち続けていると、願いが天に通じたのか奇跡的に彼は戻って来た。 だが彼は妻である私のことを忘れてしまっていた。 「すまない、君を愛せない」 そう言った彼の目からは私に対する愛情はなくなっていて…。 *設定はゆるいです。

処理中です...