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16章
雲外蒼天 14
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「鷹野、いい結果だったぞ」
「そっすか」
専属トレーナー(鬼軍曹)に背中をバシッと叩かれた。
イテテ……
「ん? まだ発散し足りないのか、筋骨隆々として、まだまだ元気そうだな。もっとやるか」
「え? いやいやもう充分です」(ってか、残りは涼のために温存してるんですけど~)
「お前のスケジュールは……明日はボディガードの仕事はないので内勤だ。準備もないし、今日はもう帰っていいぞ」
「え?」
時計を見ると、まだ4時だぞ。
「えええ?」
「この前、急な残業させたから、それと引き換えだ」
「うぉー 恩に着ます」
「ほら、もう帰れ、帰れ」
「帰らせていただきます。では!」
シュパッと着替え、ドドッと駆けだした。
最高じゃないか。
こんな時間に職場を出られるなんて。
今日がどんな日か上司は知りもしないだろうが、俺は昼前に涼からのメールを見て、既に駆けだしたい気分だったんだ。
月影寺に行こう!
涼に会いに行こう!
今から行けば5時過ぎには着けるだろう。
ワンピースを着てふんわりと薄化粧した妖精のような俺の恋人を、この腕で抱きしめに行くぞ!
****
「張矢先生、お疲れ様です。今日のスケジュールはすべて終わりました」
「ん? もう終わったのか。妙に今日はスムーズだったな」
「そうなんですよ。待合室がガラガラで驚きましたよ。1年にそう何度もない空いている日でしたね」
「そうか、そういう日もあるよな。君ももう帰るのか」
「えぇ、帰れる時は帰ります」
帰れる時は帰るか。
実に素直な決断だ。
私もそれに従おう。
「私も帰る」
そう告げると、看護師がふふっと笑みを漏らした。
「今の、何か面白かったか」
「いえ、いえ、よかったですね。愛しの奥さまの元に早くお戻り下さい」
「……いや、その」
「愛妻家の張矢先生って医局で有名ですよ」
「……帰るよ」
愛妻家か。
少しニュアンスは違うが、認めよう。
今日のような日は、愛しい洋が待つ家に1分1秒でも早く戻りたい。
いつも仕事優先になってしまい、寂しい思いをさせているから。
洋も医療ライターとして外の世界に飛び立とうとしたこともあったが、結局、私が海里先生の診療所を継ぐ話が現実となり、診療所の手伝いをしたいと申し出てくれた。だから医療ライターの仕事は、キリがいい所でやめてしまった。
私が諦めさせてしまったのか……
いや、そうではない。
諦めたのではなく、私と足並みを揃えてくれたのだ。
私と洋の結びつきは、この世の人生だけではない。
過去の自分たちに引っ張られることはもうないが、今の私たちは強く引き寄せ合っている。
白衣を脱ぎ、静かな廊下を靴音を立てながら歩く。
駐車場への扉を開けると、一気に下界に降りた気分になる。
「さぁ、戻るぞ。洋もそろそろ帰ってくるだろう」
アクセルを踏んでハンドルを切れば、すぐに大船市外に出る。
北鎌倉の駅前を通過すれば上り坂だ。
徒歩だと息が上がるほど延々と続く坂道でも、愛車なら一気だ。
「ん……?」
前方に人影発見!
黒いスーツ姿で、坂道を駆け上がる男にはよく見覚えがあった。
横に停車させ、声をかける。
「なんだ、安志くんか」
「お! 丈さんも早いお戻りですね。俺と同類だ!」
ニカッと笑う屈託のない笑顔の下に、下心が満載のような気がして苦笑してしまった。
「乗るか」
「いや、もう少し発散していきます!」
「すごい体力だな」
「有り余ってます」
「ふむ」
涼くんに会いに来たのだろう。
妖精のような涼くんを一目、生で見たい気持ちは分かる。
私だって同じだ。
つんけんしていても根は優しい洋だから、夜まで天女のような姿で待ってくれると申し出てくれたが、幸せな時間を過ごした恋人をこの腕で受け止めてやりたかった。
車を駐車場に停めて山門に向かうと、安志くんが息を切らせて石段に腰掛けていた。額には大粒の汗が浮かんでいる。
「ここで待つのか」
「いつも待たせてばかりなので、待ちたいんです」
「……それは私もだ」
だから二人肩を並べて、愛しい人の帰りを待つことにした。
すると何かを求めるような鳥の鳴き声が山から聞こえ、風に乗ってどこからか和歌が届いた。
これは……遠い昔、私が丈の中将と名乗っていた頃に触れた和歌……
『ホトトギス人まつ山に鳴くなれば我うちつけに恋まさりけり』(紀貫之)
ホトトギスが松の山で鳴くと、愛しい人を待つ私の恋心も無性に掻き立てられる。
洋……待っている。
私はここで待っている。
「そっすか」
専属トレーナー(鬼軍曹)に背中をバシッと叩かれた。
イテテ……
「ん? まだ発散し足りないのか、筋骨隆々として、まだまだ元気そうだな。もっとやるか」
「え? いやいやもう充分です」(ってか、残りは涼のために温存してるんですけど~)
「お前のスケジュールは……明日はボディガードの仕事はないので内勤だ。準備もないし、今日はもう帰っていいぞ」
「え?」
時計を見ると、まだ4時だぞ。
「えええ?」
「この前、急な残業させたから、それと引き換えだ」
「うぉー 恩に着ます」
「ほら、もう帰れ、帰れ」
「帰らせていただきます。では!」
シュパッと着替え、ドドッと駆けだした。
最高じゃないか。
こんな時間に職場を出られるなんて。
今日がどんな日か上司は知りもしないだろうが、俺は昼前に涼からのメールを見て、既に駆けだしたい気分だったんだ。
月影寺に行こう!
涼に会いに行こう!
今から行けば5時過ぎには着けるだろう。
ワンピースを着てふんわりと薄化粧した妖精のような俺の恋人を、この腕で抱きしめに行くぞ!
****
「張矢先生、お疲れ様です。今日のスケジュールはすべて終わりました」
「ん? もう終わったのか。妙に今日はスムーズだったな」
「そうなんですよ。待合室がガラガラで驚きましたよ。1年にそう何度もない空いている日でしたね」
「そうか、そういう日もあるよな。君ももう帰るのか」
「えぇ、帰れる時は帰ります」
帰れる時は帰るか。
実に素直な決断だ。
私もそれに従おう。
「私も帰る」
そう告げると、看護師がふふっと笑みを漏らした。
「今の、何か面白かったか」
「いえ、いえ、よかったですね。愛しの奥さまの元に早くお戻り下さい」
「……いや、その」
「愛妻家の張矢先生って医局で有名ですよ」
「……帰るよ」
愛妻家か。
少しニュアンスは違うが、認めよう。
今日のような日は、愛しい洋が待つ家に1分1秒でも早く戻りたい。
いつも仕事優先になってしまい、寂しい思いをさせているから。
洋も医療ライターとして外の世界に飛び立とうとしたこともあったが、結局、私が海里先生の診療所を継ぐ話が現実となり、診療所の手伝いをしたいと申し出てくれた。だから医療ライターの仕事は、キリがいい所でやめてしまった。
私が諦めさせてしまったのか……
いや、そうではない。
諦めたのではなく、私と足並みを揃えてくれたのだ。
私と洋の結びつきは、この世の人生だけではない。
過去の自分たちに引っ張られることはもうないが、今の私たちは強く引き寄せ合っている。
白衣を脱ぎ、静かな廊下を靴音を立てながら歩く。
駐車場への扉を開けると、一気に下界に降りた気分になる。
「さぁ、戻るぞ。洋もそろそろ帰ってくるだろう」
アクセルを踏んでハンドルを切れば、すぐに大船市外に出る。
北鎌倉の駅前を通過すれば上り坂だ。
徒歩だと息が上がるほど延々と続く坂道でも、愛車なら一気だ。
「ん……?」
前方に人影発見!
黒いスーツ姿で、坂道を駆け上がる男にはよく見覚えがあった。
横に停車させ、声をかける。
「なんだ、安志くんか」
「お! 丈さんも早いお戻りですね。俺と同類だ!」
ニカッと笑う屈託のない笑顔の下に、下心が満載のような気がして苦笑してしまった。
「乗るか」
「いや、もう少し発散していきます!」
「すごい体力だな」
「有り余ってます」
「ふむ」
涼くんに会いに来たのだろう。
妖精のような涼くんを一目、生で見たい気持ちは分かる。
私だって同じだ。
つんけんしていても根は優しい洋だから、夜まで天女のような姿で待ってくれると申し出てくれたが、幸せな時間を過ごした恋人をこの腕で受け止めてやりたかった。
車を駐車場に停めて山門に向かうと、安志くんが息を切らせて石段に腰掛けていた。額には大粒の汗が浮かんでいる。
「ここで待つのか」
「いつも待たせてばかりなので、待ちたいんです」
「……それは私もだ」
だから二人肩を並べて、愛しい人の帰りを待つことにした。
すると何かを求めるような鳥の鳴き声が山から聞こえ、風に乗ってどこからか和歌が届いた。
これは……遠い昔、私が丈の中将と名乗っていた頃に触れた和歌……
『ホトトギス人まつ山に鳴くなれば我うちつけに恋まさりけり』(紀貫之)
ホトトギスが松の山で鳴くと、愛しい人を待つ私の恋心も無性に掻き立てられる。
洋……待っている。
私はここで待っている。
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