重なる月

志生帆 海

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16章

雲外蒼天 8

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「じゃあ目を閉じてリラックスしていてね」
「うん……」

 俺は今、涼にメイクを施されている。

 涼はモデルをしているだけあって、メイク道具の扱いに慣れた手付きだ。

「洋兄さん、そんなに怖がらなくても大丈夫だよ。塗りたくって隠すんじゃなくて、兄さんの顔立ちの良さを引き立てるメイクだよ。」
「……そうか」

 俺はずっと自分の容姿が好きになれなかった。

 母によく似た顔立ちは、年頃になると数々の災難を引き寄せた。

 数々の辱め、屈辱に塗れ、自分を真っ黒なペンで塗って気配を消したい気持ちが強まっていった。

 生きる意味を見いだせず、影になってしまいたいと何度も願った。

 あの暗黒へ突き落とされた日も――

 もっと早く消えてしまっていれば、こんな苦痛を味わうこともなかったのにと深く深く後悔した。

 過去に引きずられそうになっていると、涼の明るい声で呼び戻された。

「よし! 兄さん、出来たよ。目を開けてみて」
「……」
 
 おそるおそる鏡を見ると、そこには愛くるしい少女が映っていた。

 月夜の湖のような涼やかな目元。

 月光を浴びたような白い肌。

 唇は水面に舞い降りた桜の花びらのようにしっとりと潤っていた。

「あ……」
 
 涼が施してくれたメイクは、とても自然だった。

 そのナチュラルさが、俺の涙を誘った。

 今、鏡に映っているのは……

 亡くなった父さんと過ごしていた頃の、幸せな母の顔だった。

 健康的で多幸感溢れる顔だった。

 こんな母さんの顔を見たのは久しぶりだ。

 今生ではもう二度と見ることはないと、とっくに封印していたものだ。

 父が亡くなり女手一つで俺を育ててくれた時は、化粧っ気はなかった。それが再婚すると、まるで武装するようなキツいメイクになった。
そして……病気になってからの青白い顔。

 そんな苦しい記憶をすべてを薙ぎ倒していく、涼のメイクだった。

「兄さん、どう?」
「……母さん」

 そういえば俺は幼い頃『母はお姫様だ』と真剣に思っていた。

 あのなんともいえない甘酸っぱい微笑ましい気持ちがじわじわと蘇って来た。

 おばあさまが俺を感極まった表情で見つめている。

「洋ちゃんのお顔、もっとよく見せて」
「はい」

 おばあさまだって俺と同じ気持ちで、母に会いたくて会いたくて仕方がないのだ。

「夕《ゆう》……私の夕……私の手元にいた時の夕の顔だわ」

 俺はその言葉にあえて付け足した。

 母が幸せだったことを知って欲しくて。

「そして……俺の記憶の中の幸せな母の顔です」
「そうなのね、夕、浅岡さんに幸せにしてもらったのね。こんなにいい子を私に遺してくれてありがとう。洋ちゃんは私の孫……大事な孫よ。そして涼ちゃん、あなたもよ。二人にはずっとずっと仲良しでいて欲しいわ。どうか辛い時は助けあって……きっと、そうしてね」

 おばあさまが俺と涼をふんわりと抱きしめてくれた。

 俺は頬を濡らした。

「あっ、あのね、泣いても落ちないメイクだから大丈夫。洋兄さんの嬉し涙、とても綺麗だよ」
「……涼もメイクして欲しい。一緒がいい」
「うん、今するよ。僕、モデルになって良かったとしみじみと思っているよ。兄さんにメイク出来たし、おばあさまに喜んでもらえた」
「涼はメイクが上手だね」
「洋兄さんに褒められて嬉しい」
 
 人懐っこく明るい涼。

 涼が加わった事で、俺とおばあさまの関係もまた一段と明るくなっていくだろう。
 
 俺たちが揃えば夜明けが来る。

 鏡を前に器用にセルフメイクする涼を見守りながら、愛おしさを噛みしめていた。

 丈と巡り逢うまで、俺はこの世にひとりだ、早く次の世に行きたいと投げやりになっていた。

 だが、そうではなかった。

 祖母も従兄弟もいたのだ。

 あの時、諦めなくてよかった。

 俺があの凄惨な事件から立ち直れたのは、丈のお陰だ。

 見て欲しい。

 この姿も俺の一部だ。

 ポケットからスマホを出して、ワンピースにナチュラルメイクをした自分を撮って、丈に送信した。

 本当は生で見て欲しいが叶わないので、せめて――

 丈、いつも、どんな時でも、お前を愛してる。






 
 




 

 
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