重なる月

志生帆 海

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16章

翠雨の後 46

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 夜遅く降り出した雨は、明け方には上がっていた。

 俺たちの逢瀬を見守るように降り注いでいた雨音は、今はもうしない。

 静寂に耳を澄ませば、翠の安定した寝息だけが聞こえている。

 この世に翠と俺だけが存在するような、至福の時間だ。

 俺は目を細め、翠の腰に手を回し、今一度深く抱きしめた。

 同じ男の硬質な身体だ。

 だが珠玉の肉体だ。

 床の中で、俺を受け入れ悶える様子を思い出し、心に栄養を蓄える。

「よし、小森の衣装を仕上げるか」

 俺は翠を起こさぬよう布団からそっとけ出しアトリエに向かった。

 渡り廊下を歩くと、新緑の葉が大事そうに水滴を乗せていた。

 『翠雨』という言葉が、ふと脳裏に浮かんだ。

 翠雨とは青葉を濡らして降る雨。

 日ごとに緑が濃くなる若葉を濡らし、清々しい輝きを与える雨のことだ。

 月影寺の長兄『翠』の名は、そこから来ていると聞いたことがある。

 ――人々を癒やし、輝きを与える人となれ――

 祖父母がつけてくれた名は尊い。

 そして俺の名『流』の意味は、

 ――周りの人の心が澱むことないよう、流れる水となれ――

 更には『丈』という名の由来も知っている。

 ――全てを底から支える要、逞しく丈夫であれ――

 『大丈夫』の丈、『丈夫』の丈

 洋にとって、丈は本当に大切な役割を担っている。

 そして俺と翠を結びつけてくれた立役者だ。

 やっぱり名前通りだな。

 おっと、早くしないと皆が起きてしまう。

 朝一番にやってくる小森風太を驚かせてやろうと、アトリエで桜餅色の衣装と向き合った。

 翠からパワーを分けてもらったお陰で、やる気に満ちている。

 可愛い月影寺の小坊主、小森風太。

 お前もまたこの寺に欠かせない大事な一員だ。

 小一時間作業に集中し、無事に完成させた。

 早く着せたやりたいな。

 時計を見ると、まだ小森が来るには早い時間だった。

「よし!」

 ざっとシャワーを浴び、作務衣を纏って庭に飛び出した。

 丈夫すぎる身体を持って生まれたので、朝から山を駆け巡っても疲れ知らず。

 っと、山門に人影発見! こんな朝早く誰だ?

 近づけば小森が山門の階段に腰掛け、朝から黄昏れていた。

 珍しいな、お前がそんな顔をするなんて。

 家や学校では風変わりな子と思われている小森だが、俺にとっては可愛い可愛い弟子だ。

「よっ! どうした? 浮かない顔だな」
「流さん!」
「いい物があるぞ」

 アトリエで出来立ての桜餅色の衣装を着せてやると、小森風太は嬉しそうに頬を染め上げ、くるんと回転して、俺に抱きついてきた。


「りゅうさーん、流さん、ありがとうございます。本当に嬉しいです。毎年春になったらこれを着ますね! 来年も再来年も! 流さんにも御利益がありますよ。流さんは今生で……逢いたかった人と巡り逢えてよかったですね。もう離れません。何も起きませんよ」

 それは、いつも俺が翠を安心させたくて伝える言葉だった。

 もう絶対に離れない。
 もう俺たちを脅かすものは何もない。
 だから安心しろ。

 嬉しかった。
 小森風太に断言してもらえて、心底嬉しかった。

「ありがとう。小森風太は立派な月影寺の一員だ」

 勢いで作った桜の髪飾りもちょこんとつけてやると、桜餅の精のようで愛らしかった。

「ありがとうございます。わぁ、髪飾りとセットでなんと美味しそうな衣装なんでしょう~ 僕は~ 世界一のしあわせものです!」
「そうかそうか、そんなに喜んでくれるのか」
「はい!」

 アトリエでくるくると舞い落ちる花びらのように回転する風太を、いつの間に起きたのか、浴衣姿の翠が目を細めて見つめていた。

 朝日を浴びた翠は、そこはかとない色香を纏っていた。

(翠、もう起きていいのか)
(流、昨夜はありがとう)

 心で言葉を交わせば、幸せが滲み出てくる。

 今日も最高の1日にしよう。

 翠といられるのだから、最高の1日だ。

 日日是好日――


 

  

 

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