重なる月

志生帆 海

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16章

翠雨の後 44

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 その晩、流は僕の部屋に、挨拶にすらやってこなかった。

 その理由は知っている。

 寺の小坊主小森くんの衣装を明日までに仕立てるために、アトリエで必死に作業中なのだ。

 僕が頼んだくせに、寝入りに流の温もりが恋しいとか、僕ってこんなに我が儘な男だったのか。

 部屋の灯りを消して、横になる。

 だが、なかなか寝付けない。

 耳を澄ますと……

 今宵は母屋の自室にいるので、隣の薙の部屋から微かな音楽が聞こえてきた。

 なんという曲だろう?
 
 洋楽のようだ。

 あの子も大人の切ないバラードを聴くようになったんだね。

 目を閉じて、幼い薙に思いを馳せる。

 まだ僕の膝で過ごすことが多かった幼いの薙と、童謡をよく一緒に聴いたね。

 気になる曲があった。

 確か『あめふりくまのこ』という曲だったな。

 小熊が雨で出来た水流を小川だと思って魚がやってくるのを待っているという内容の歌詞だった。

 だが、いつまで経っても魚はやってこない。

 (流はやってこない)

 それで小熊は葉っぱを傘の代わりにした。

 歌詞には救いがあるような、ないような。

 当時の僕は流と上手くいっておらず、それでも流に会いたくて会いたくて、思いをこじらせていた。 だから、聴く度に切なくなったんだ。

 漏れ聞こえる洋楽をBGMに眠ってしまおうと思ったが、なかなか寝付けず寝返りを打つと、突然ガタガタと襖が揺れた。

 だ、誰?

 焦って飛び起きると、薙だった。

「父さん! ヤバイ! 明日の持ち物に雑巾って書いてある!」
「雑巾? それはまずいな」

 すっかり見落としていた。

「だよね。父さんが負傷したら大変だっ」
「なーぎ!」
「でも、本当のことだよね?」
「うん……仕方ない、流に頼んでくるよ」
「いいの?」

 薙がそっと僕にもたれてきた。

 赤いパジャマ姿の薙は、いつもより幼く見える。

「薙? どうした?」
「……ここに来た時は、父さんには悪いんだけど……こんな場所とっとと出て行きたいって思っていたんだ」
「うん……知っているよ」
「でもね、今は父さんや流さんに甘えられるのが心地良くて。こんなの矛盾しているよな。もう高校生なのに夜中に『雑巾、縫って~』とかさ」
「そんなことないよ。僕は薙と過ごせた時間が短かかったので、今からでも沢山甘えて欲しい。とにかく雑巾は父さんにはお手上げなので、流に頼んでくるよ」
「ありがとう! 父さん……あのさ、今日はありがとう。ごゆっくりね」

 パジャマ姿の薙は何故か嬉しそうに笑っていた。
 
 ごゆっくりって……?

 小首を傾げながら、離れのアトリエに向かった。


****

「うぉー 翠の衣装じゃないと捗らん」

 桜餅色の小坊主衣装を手縫いでチクチクしていると、無性に翠が恋しくなった。

 ハッキリ言って小森の衣装じゃ萌えん!

 なんて言ったら、アイツまたビービー泣くか。
 
 いや、俺があいつに萌える必要はなかったな。

 菅野が萌えれば、万事順調に事が運ぶだろ!

 早く食っちまえ~

 そして俺は翠をいただく。

 だめだ。翠、翠、翠に会いたくなってきた!

 今日は入学式の後も入学祝いのパーティーがあり、薙の叔父として品行方正に過ごしたせいか、翠への熱を持て余しているようだ。

 おいおい、参ったな。

 俺は一体何年、いや何十年耐え忍んだと?

 たった一夜を越せないなんて、んな馬鹿なことあるか!

 だが翠が恋しくて、衣装箪笥から翠の襦袢を取りだして、くんと匂いを嗅いだ。

 おっと、こんなことして……変態じみているか。

 夜這いしないだけマシだろう。

 自分の行動に苦笑していると、障子の向こうに人の気配を感じた。

 まさか――

 シュッと障子を開くと、翠が立っていた。

「翠……」
「流……来てしまったよ。その……薙が明日までに雑巾がいるって」
「ん? 新学期の雑巾なら、昨日、準備して薙に渡したぞ?」
「え? どういうことかな」
「ははん……こういう事じゃないか」

 翠をアトリエに招き入れ、キツく抱きしめた。

 腰を摺り合わせるように揺らせば、翠は目元を染め……「あっ」と官能的な声をあげる。

「いい声だ……薙のヤツ、叔父思いだな」
「え……僕……親孝行してもらったってこと? 恥ずかしいよ」
「流石、俺たちの子だ」
「うん……ところで流、手に何を持っているの?」
「な、なんでもないさ」

 慌てて翠の襦袢を闇に葬り、翠を茶室に連れ込んだ。片手で布団を押し入れから引きずり出す。

「翠、眠れなかったんだろう」
「うん……流がいないから」

 敷いた布団に仰向けにさせると、翠は恥ずかしそうに目を閉じて、それから俺を抱き寄せた。

「作業中だったんだよね。もう終わったの?」
「あと少しだ。朝でも間に合う。翠が来てくれたから捗りそうだ」
「よかった。小森くんが桜餅色の衣装を着たら、さぞかし可愛いだろうねぇ」
「翠、小森の話はいいから、俺を見ろ!」

 小森に張り合うわけじゃないが、翠の言葉を唇で塞いで、抱きしめた。

「ん……」
「翠、今日……俺、頑張った」
「叔父として立派だったよ」
「だから……」
「だから?」
「一度だけ……いいか」
「心得ているよ、さぁ……流の好きにしておくれ」

 互いの呼吸、鼓動に耳を澄ます。

「あ……雨が降ってきたようだね。雨の音がBGMだ」
「あぁ」

 月影寺の新緑に降りかかる雨音だけが聞こえる世界に、翠を誘おう!

「よし、行くぞ」
「ついて行くよ、どこまでも」


 
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