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16章
翠雨の後 29
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早朝の勤行を終え本堂と母屋を繋ぐ渡り廊下を歩いていると、ブラックスーツの男性を視界の端に捉えた。
「あ……彼は……」
山門に向かって真っ直ぐ走り抜ける逞しい背中の持ち主は、洋くんの親友の安志くんだ。
同時に……彼は涼くんの恋人だ。
そうか、君はちゃんと駆けつけてくれたんだね。
良かった。
会いたい人に会いたい時に会えるのが、一番の幸せだ。
僕はそのまま視線を、次第に色づく東の空へと向けた。
月影寺の竹林の先に広がる大空が、希望の色へと染め上げられていく様子を見たくて。
遠い昔の僕も、こんな風に勤行の後、早朝の空を見上げていた。
今思えば……
不吉な予感を抱き、決して逃してはならぬ夜明けだと感じたあの日、流水さんが身罷ったのだ。
暁から東雲、そしてやがて曙。
僕はあの日のように次々と美しく色づく世界に向かって、手をスッと伸ばした。
過去と声が重なる
「流……」
「流水!」
あの日の湖翠さんの絶望が、僕を一気に貫いていく。
気が付くと、はらはらと双眸から涙が溢れていた。
気を緩めると持って行かれてしまう。
過去の悔恨の思いに。
しっかりしろ、翠。
唇を噛みしめながら俯くと、ふいに流の声が背後から聞こえた。
あの日、天から降ってきた声は、今はすぐ後ろから聞こえる。
声だけでなく、温もりも吐息も与えてもらえる。
「翠、どうした? 朝から泣くなんて」
「流……いつの間に?」
「あぁ、泣くな。俺はいつも翠の一番近い所にいるのだから」
「ごめん、泣いたりして。今は呼べばすぐ来てくれると分かっているのに……何故だろうね、今朝は感傷的になってしまったよ」
「今は……唇にも触れられる」
流に顎を掴まれ、最初に涙を吸われ、その後くちづけを受けた。
目を閉じると、明るい光を感じた。
竹林の間から朝日が差し込んできたのだ。
「夜明けだね」
「明けない夜はない」
「うん……」
「さぁ翠、今日は入学式だろう。早めに支度をしよう」
「ん……」
「薙も起こさないとな」
「僕が起こしてくるよ」
「薙は俺に似て寝坊助だ」
流が笑うのでつられて笑った。
流も寝坊助だったよ。
いつも僕が起こしてあげた。
小さい頃の流はとにかく僕にべったりで、起こしに行くと必ず「にいに、いっしょにねんねして」と強請るものだから、僕も一緒に寝てしまい、母さんに怒られたよね。
「俺、物心ついたときから兄さんが大好きで大好きで、匂いや体温にほっとしていた。だからいつもベタベタしてたよな」
「可愛かったよ。でも……ベタベタなのは今もだよね?」
「ははっ、言ったな!」
「くすっ、流はそれでいい。僕はそれが嬉しい」
ありのままの気持ちを素直に伝えられるようになった。
遠回りした僕たちだが、今、こうして微笑み合えているのだから、遠い過去も近い過去も、けっして無駄ではなかったのだ。
そう思えるようになった。
「翠……眩しいな」
「え?」
小首を傾げると、流が赤くなった。
「翠が愛おしすぎて、朝からどうにかなりそうだ」
それだけ言うと、流は箒を片手に母屋に向かって歩き出した。
本当はいつものように駆け出したい気分だろうに……
僕の歩調に合わせてゆっくりと歩いてくれるのは、流の優しさだ。
僕は上機嫌でその後を追った。
そして少し歩調を早めて、流の横に並んだ。
「翠?」
「これからは流の隣がいい。もう追いかけるのはなし、待つのもなしだ」
「あぁ、そうだな」
「あ……彼は……」
山門に向かって真っ直ぐ走り抜ける逞しい背中の持ち主は、洋くんの親友の安志くんだ。
同時に……彼は涼くんの恋人だ。
そうか、君はちゃんと駆けつけてくれたんだね。
良かった。
会いたい人に会いたい時に会えるのが、一番の幸せだ。
僕はそのまま視線を、次第に色づく東の空へと向けた。
月影寺の竹林の先に広がる大空が、希望の色へと染め上げられていく様子を見たくて。
遠い昔の僕も、こんな風に勤行の後、早朝の空を見上げていた。
今思えば……
不吉な予感を抱き、決して逃してはならぬ夜明けだと感じたあの日、流水さんが身罷ったのだ。
暁から東雲、そしてやがて曙。
僕はあの日のように次々と美しく色づく世界に向かって、手をスッと伸ばした。
過去と声が重なる
「流……」
「流水!」
あの日の湖翠さんの絶望が、僕を一気に貫いていく。
気が付くと、はらはらと双眸から涙が溢れていた。
気を緩めると持って行かれてしまう。
過去の悔恨の思いに。
しっかりしろ、翠。
唇を噛みしめながら俯くと、ふいに流の声が背後から聞こえた。
あの日、天から降ってきた声は、今はすぐ後ろから聞こえる。
声だけでなく、温もりも吐息も与えてもらえる。
「翠、どうした? 朝から泣くなんて」
「流……いつの間に?」
「あぁ、泣くな。俺はいつも翠の一番近い所にいるのだから」
「ごめん、泣いたりして。今は呼べばすぐ来てくれると分かっているのに……何故だろうね、今朝は感傷的になってしまったよ」
「今は……唇にも触れられる」
流に顎を掴まれ、最初に涙を吸われ、その後くちづけを受けた。
目を閉じると、明るい光を感じた。
竹林の間から朝日が差し込んできたのだ。
「夜明けだね」
「明けない夜はない」
「うん……」
「さぁ翠、今日は入学式だろう。早めに支度をしよう」
「ん……」
「薙も起こさないとな」
「僕が起こしてくるよ」
「薙は俺に似て寝坊助だ」
流が笑うのでつられて笑った。
流も寝坊助だったよ。
いつも僕が起こしてあげた。
小さい頃の流はとにかく僕にべったりで、起こしに行くと必ず「にいに、いっしょにねんねして」と強請るものだから、僕も一緒に寝てしまい、母さんに怒られたよね。
「俺、物心ついたときから兄さんが大好きで大好きで、匂いや体温にほっとしていた。だからいつもベタベタしてたよな」
「可愛かったよ。でも……ベタベタなのは今もだよね?」
「ははっ、言ったな!」
「くすっ、流はそれでいい。僕はそれが嬉しい」
ありのままの気持ちを素直に伝えられるようになった。
遠回りした僕たちだが、今、こうして微笑み合えているのだから、遠い過去も近い過去も、けっして無駄ではなかったのだ。
そう思えるようになった。
「翠……眩しいな」
「え?」
小首を傾げると、流が赤くなった。
「翠が愛おしすぎて、朝からどうにかなりそうだ」
それだけ言うと、流は箒を片手に母屋に向かって歩き出した。
本当はいつものように駆け出したい気分だろうに……
僕の歩調に合わせてゆっくりと歩いてくれるのは、流の優しさだ。
僕は上機嫌でその後を追った。
そして少し歩調を早めて、流の横に並んだ。
「翠?」
「これからは流の隣がいい。もう追いかけるのはなし、待つのもなしだ」
「あぁ、そうだな」
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