重なる月

志生帆 海

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16章

翠雨の後 14

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「ん……」

 目覚めると、見慣れない場所にいた。

 いや、僕は……ここを知っている。

 深海のような青いシーツ、月光のようなスポットライト、落ち着いた色で揃えられた空間は、洋兄さんと丈さんの離れだ。

 寝返りを打つと、馴染みの良い温もりをすぐ傍に感じた。

 僕にくっつくいてスヤスヤと眠っているのは、洋兄さんだった。
 
 離れにはカーテンがないので、月が兄さんの美しい横顔を照らしている。月光を浴びた兄さんは、神々しいまでに美しい。

 相変わらず綺麗な人だ。

 僕とよく似た顔だけど、僕よりもっと深い情緒がある。

 そこに長身の人影が伸びてきた。

「起きたのか」

 今度は丈さんの登場だ。
 
「すみません、僕……どうしてここに? お邪魔してすみません」
「邪魔ではない。洋が嬉しそうに添い寝している」

 兄さんの寝顔は穏やかで、今、兄さんがどんなにこの人に愛され、幸せに暮らしているのかを物語っていた。

「あの、もう起きます」

 すると盛大にお腹が鳴ってしまい、恥ずかしくなった。

「若い証拠だな。よく眠ってスッキリしたか」
「すみません。寝不足でふらついて」
「山門で倒れたと聞いて焦ったが、どうやら寝不足が原因のようだ。さぁ何か作ろう。洋も起してくれ」
「あ、はい!」

 丈さんがキッチンに向かったので、洋兄さんの肩を優しく揺すった。

「洋兄さん、起きて」
「ん……まだ眠い」

 洋兄さんは、眠そうに僕に抱きついてきた。

 僕はぐっすり眠れたのは、洋兄さんが抱きしめてくれていたからだ。

 ありがとう、兄さん。

「くすっ、僕はもう起きたよ」
「え!」
 
 洋兄さんが長い睫毛を震わせて、目を開いた。

 まるで月夜の湖のような深い瞳の色をしている。

「参ったな。俺まで眠ってしまうなんて、しかも涼に起されるなんて」
「ふふ、可愛い寝顔だったよ」
「え? 涼がそんな台詞言うなんて」
「あの……兄さん……突然来ちゃってごめん」

 真顔で言うと、兄さんもスッと真顔になった。

「いや、来てくれて嬉しかった。疲れは取れたか」
「あのさ……もう目にしちゃったよね? あのゴシップ……」
「……あぁ」
「まさか今になってあの日の写真が流出するなんて……」

 兄さんがそっと肩に手を当ててくれる。

 その温もりが心地良い。

 洋兄さんに、このまま一気に吐き出してしまいたい。

 でも……

 北鎌倉まで来ておきながら迷ったように、また躊躇いが生じてしまう。

「涼、ここは翠さんが張ってくれた結界の中だ。だから何でも吐き出していい。かつての俺がそうしたように……」

 あぁ、僕は兄さんのこういう所が好きだ。

「さぁ……」

 そのまま背中を撫でられると、我慢していた言葉と想いが溢れてきた。

「僕……あの写真の外人、ビリーと何もなかったわけじゃないんだ。兄さんは覚えている? 正月にお茶席を手伝っていたら事務所に呼ばれて出掛けた日を……あの晩ビリーが僕の家に泊まったんだ」
「あの日か……うん、それで?」
「部屋の中で……ビリーが突然僕を好きだと……む、無理矢理……キスしてきて」
「えっ」

 兄さんが苦しげな表情を浮かべる。

「涼、そんなことがあったのか」
「ごめん……今頃……」
「いや、話してくれてありがとう。確か高校の同級生で親身になってくれた人だったよな」
「うん……だから信頼していたのに……急に豹変した……全力で抵抗したのに身動き取れなくて、でもそこまでだ。アイツも分かってくれて、円満に別れたんだ。スクープされたのは別れ際の挨拶だよ」

 洋兄さんがふわりと抱きしめてくれる。

「涼、それでも怖かったな」
「うん……でも一番怖いのは……世間の目を怖がる自分自身なんだ」
「どういう意味?」
「ビリーとの同性愛疑惑をマスコミに大々的に報道をされて、事務所はもちろん全否定したよ。もちろん僕もビリーに関しては全否定だ。だけど本当の僕は……安志さんと付き合っている。だから心が苦しくて!」

 ここまで一気に話すと、身体の力が抜けてしまった。

「涼、それで悩んでいたのか。安志も心配していたぞ。涼がこの件で思い詰めていないか」
「僕……世間を欺いているようで申し訳なくて居たたまれない」

 洋兄さんが切なげな表情で、首を横に振る。

「涼、涼……そんなに自分を責めるな。涼の心を大切にして欲しい。何もかも正直に世間に明かすのが……全てじゃない。誰にだって秘密はある。俺にだって到底言えないことが……」
「でも、自分を偽っているようで」
「涼、涼の気持ちも分かる。でも……俺は涼の心を守ってやりたい」

 洋兄さんの真剣な眼差しに、胸を打たれた。

 洋兄さんは辛い過去を浄化して生きている人だ。

「兄さん、弱音を吐いてごめん」
「弱音は悪いことじゃないよ。現に涼に頼ってもらえるのは嬉しいし」
「僕、自分のことばかり考えていたね。本当のことは、今は僕達だけが知っていればいいのに……焦って」

 そこに丈さんがやってくる。

「二人とも、まずは腹ごしらえをしろ。腹を満たせば心もある程度落ち着くものだ」
「丈、ありがとう」
「今日は涼が来てくれたから、本場のソールズベリー・ステーキにしてみたぞ」
「え! 本当? 好物! こっちじゃなかなか食べられないんだよなぁ」
「涼、やっと笑ったな。おいで、一緒に食べよう」
「うん!」

 悩んでも悩んでも解決しない時は、そっと静かに時が過ぎるのを待つ時なのかもしれない。

 下手に動いて事態を悪化させたくない。

 それは僕と安志さんの、共通の願いだ。

 洋兄さんと丈さんと食事をしながら、ふと思った。

 肩の力を抜こう。
 
 この寺の中で、僕は守られているのだから。

「ここに来て、よかった」
「来てくれて良かったよ」

 優しい返事が返ってくる。



 
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