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16章
翠雨の後 9
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明日は4月7日。
いよいよ薙の高校入学式だ。
『張矢薙として入学出来るように、手筈は整えた。
何か一つでも前の姓のままになっていたら台無しだ。
抜かりはないか、気になって仕方がない。
夕刻、住職としての仕事を終え自室に戻ると、流がヒョイと顔を覗かせた。
「翠、明日は何を着ていくつもりだ?」
「卒業式用に作ってもらったスーツのつもりだよ」
「あ、しまった! クリーニングに出したままだった。今から取ってくる」
「じゃあ僕も一緒に行くよ」
「翠も? 珍しいな」
「うん、少し外を歩きたい気分なんだ」
「よし、じゃあ行こう。だが、その格好でいいのか」
「……着替えたいな」
「了解、今日はどんな格好にしようかな」
こんな時の僕は、まるで流の着せ替え人形のようだ。あっという間に、ジーンズにトレーナーという年甲斐もなく若い姿にされていた。
「流っ、これは流石に若作りだ。怪しい変装みたいだよ」
「ははっ、翠は何でも似合うよ」
「……恥ずかしいよ」
「たまにはいいだろ、なぁ、兄さん!」
「もう、しょうがないなぁ」
そういう流もご丁寧に作務衣をポイポイ脱ぎ捨て、ジーンズとトレーナーになっていた。
流はまるで大学生みたいだ。
あの頃は心がすれ違って何一つ良い思い出を作れなかった。
だからなのか――
「せっかくのデートだから、ペアルックだ」
流が嬉しそうに目を細めている。
「流、よく似合っている。その……僕はともかく」
僕には無縁だったカジュアルな格好に、ぎこちなくなってしまう。
「翠はいつもスーツか袈裟しか身につけないが、そういう姿も見たかった」
「……そうかな?」
「本当は少し息抜きさせたかった。どうせ明日の入学式に向けて妙な緊張をしていたんだろう」
「どうして分かる……図星だ」
「翠は素直になったな。それより何年翠の傍にいると思って? 俺はずっと見てきたんだから当然だろ」
「ずっと見守ってくれていたんだね」
「あぁ、そうさ! 翠だけを一途に」
弟の気持ちが嬉しかった。
一時はお互い大きく隔たり離れたこともあったが、今は違う。
作れなかった思い出を後悔する暇があるのなら、今から作ればいい。
「流、少し走ろう!」
「へっ? 兄さん大丈夫か」
「酷いな。僕だって身体は鍛えているよ」
「そうだな、じゃあバスケしないか。実はこの先にバスケットゴールがあるんだ」
「こんな住宅地に?」
流に誘われるまま、僕は歩き出した。
「本当にこんな場所にバスケットゴールが?」
「豪邸の一角にあるのさ。持ち主は高齢のじいさんだが、若い頃はバスケットの有名な選手で、地元の人達に自由に使わせてくれているんだとさ」
「知らなかったよ。流は流石、情報通だね」
「俺は山伏のように、北鎌倉の山という山を渡り歩いているからな」
「流は山伏じゃない。月影寺所属だ」
つい子供みたいなことを言ってしまった。
これでは独占欲、丸出しじゃないか。
まるで僕専属だと……
頬が火照るのを感じた。
「翠、サンキュ! 最近の翠は我が儘で嬉しいよ。ほら、この角を曲がった所だ」
「楽しみだな。バスケなんて高校の授業以来だ」
「翠のフォームは綺麗だろうな」
「どうかな?」
二人で角を曲がると、あっと息を呑んだ。
そこには先客がいた。
若い男の子が一人で黙々とバスケをしていた。
目深にキャップを被っているので顔はよく見えないが、スタイルが抜群にいい。
そして、バスケが最高に上手い。
ボールを持って綺麗なフォームでシュートすると、吸い込まれるようにゴールが決まっていく。レイアップもダンクもフックも軽々とこなしている。
「上手いな。プロか」
その時一陣の風が吹いて、彼の被っていた帽子を飛ばした。
現れた綺麗な横顔は……
夕日に照らされた美しい顔は……
いよいよ薙の高校入学式だ。
『張矢薙として入学出来るように、手筈は整えた。
何か一つでも前の姓のままになっていたら台無しだ。
抜かりはないか、気になって仕方がない。
夕刻、住職としての仕事を終え自室に戻ると、流がヒョイと顔を覗かせた。
「翠、明日は何を着ていくつもりだ?」
「卒業式用に作ってもらったスーツのつもりだよ」
「あ、しまった! クリーニングに出したままだった。今から取ってくる」
「じゃあ僕も一緒に行くよ」
「翠も? 珍しいな」
「うん、少し外を歩きたい気分なんだ」
「よし、じゃあ行こう。だが、その格好でいいのか」
「……着替えたいな」
「了解、今日はどんな格好にしようかな」
こんな時の僕は、まるで流の着せ替え人形のようだ。あっという間に、ジーンズにトレーナーという年甲斐もなく若い姿にされていた。
「流っ、これは流石に若作りだ。怪しい変装みたいだよ」
「ははっ、翠は何でも似合うよ」
「……恥ずかしいよ」
「たまにはいいだろ、なぁ、兄さん!」
「もう、しょうがないなぁ」
そういう流もご丁寧に作務衣をポイポイ脱ぎ捨て、ジーンズとトレーナーになっていた。
流はまるで大学生みたいだ。
あの頃は心がすれ違って何一つ良い思い出を作れなかった。
だからなのか――
「せっかくのデートだから、ペアルックだ」
流が嬉しそうに目を細めている。
「流、よく似合っている。その……僕はともかく」
僕には無縁だったカジュアルな格好に、ぎこちなくなってしまう。
「翠はいつもスーツか袈裟しか身につけないが、そういう姿も見たかった」
「……そうかな?」
「本当は少し息抜きさせたかった。どうせ明日の入学式に向けて妙な緊張をしていたんだろう」
「どうして分かる……図星だ」
「翠は素直になったな。それより何年翠の傍にいると思って? 俺はずっと見てきたんだから当然だろ」
「ずっと見守ってくれていたんだね」
「あぁ、そうさ! 翠だけを一途に」
弟の気持ちが嬉しかった。
一時はお互い大きく隔たり離れたこともあったが、今は違う。
作れなかった思い出を後悔する暇があるのなら、今から作ればいい。
「流、少し走ろう!」
「へっ? 兄さん大丈夫か」
「酷いな。僕だって身体は鍛えているよ」
「そうだな、じゃあバスケしないか。実はこの先にバスケットゴールがあるんだ」
「こんな住宅地に?」
流に誘われるまま、僕は歩き出した。
「本当にこんな場所にバスケットゴールが?」
「豪邸の一角にあるのさ。持ち主は高齢のじいさんだが、若い頃はバスケットの有名な選手で、地元の人達に自由に使わせてくれているんだとさ」
「知らなかったよ。流は流石、情報通だね」
「俺は山伏のように、北鎌倉の山という山を渡り歩いているからな」
「流は山伏じゃない。月影寺所属だ」
つい子供みたいなことを言ってしまった。
これでは独占欲、丸出しじゃないか。
まるで僕専属だと……
頬が火照るのを感じた。
「翠、サンキュ! 最近の翠は我が儘で嬉しいよ。ほら、この角を曲がった所だ」
「楽しみだな。バスケなんて高校の授業以来だ」
「翠のフォームは綺麗だろうな」
「どうかな?」
二人で角を曲がると、あっと息を呑んだ。
そこには先客がいた。
若い男の子が一人で黙々とバスケをしていた。
目深にキャップを被っているので顔はよく見えないが、スタイルが抜群にいい。
そして、バスケが最高に上手い。
ボールを持って綺麗なフォームでシュートすると、吸い込まれるようにゴールが決まっていく。レイアップもダンクもフックも軽々とこなしている。
「上手いな。プロか」
その時一陣の風が吹いて、彼の被っていた帽子を飛ばした。
現れた綺麗な横顔は……
夕日に照らされた美しい顔は……
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