重なる月

志生帆 海

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16章

翠雨の後 4

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「翠、そろそろ着替えよう」

 朝から翠に欲情しそうになったので、慌てて袈裟を着せた。

「流? 今日はまた随分慌ただしく着せるね」
「……知っているくせに」
「目まで瞑って……僕って、そんなに見てはいけないものなのかな?」
「おい、翠は狡いぞ。俺の下半身事情を知ってて言うのか」
「ごめん、ごめん。それよりこれをもう一度見ておくれ」

 袈裟を着た翠は、青竹のように真っ直ぐ背筋を伸ばしている。

 相変わらず美しい佇まいだ。

 昨日持ち帰ったばかりの『戸籍謄本』を、もう一度俺に見せてくれた。

「『張矢薙』って、言葉で発するのも目で見るのも、新鮮で収まりがいいね」
「あぁ、しっくりくる。薙はこっちの方が絶対にいい!」
「ありがとう。嬉しくて何度も見てしまうよ」

 翠が愛おしそうな表情を浮かべ、男にしては細い指先で文字を辿っていく。

 はりや……なぎ。

「流……張矢流と張矢薙って同系統だと思わないか。勢いがあって好きだよ」

 凜とした眼差しで見つめられ、この兄のこの気高さが好きだと叫びたくなった。

  

 そして今、目の前で不器用に袈裟を広げ、薙を抱きしめる翠の背中が愛おしい。
 
 親子の時間。

 それは尊くも近寄り難いものだ。

 俺は一歩下がって見守るつもりだったのに、ほぼ同時に翠と薙が俺を呼んだ。

「流も来てくれ」
「流さんも一緒だ」

 翠と薙が真っ直ぐ手を伸ばしてくれる。

 俺を親子の輪の中に、呼んでくれる。

「流も一緒に、僕と薙と暮らしていこう」
「流さん、オレ、流さんのこと大好きだ! そうして欲しいよ」
「あぁ、俺はここにいるよ。お前たちの傍にずっといる」

****

 朝食を終え部屋に戻ってきたけど、まだ少し興奮している。

 オレの苗字が「張矢」となったと教えてもらい、まだ胸がバクバクしているよ!

 ふと鏡に映る自分の顔に、父さんの面影を感じた。

「なぁ、最近またオレ、父さんに似てきた?」

 そっと鏡に手をあて、鏡の中のオレにそっと話しかけた。

「父さん……ありがとう」

 父さんとお揃いの苗字になる。

 それはひそかな憧れ、幼い頃からの誰にも言えない密かな夢だった。

 父さんが大好きだったのに、突然の離婚で母方に引き取られたせいで、父さんに捨てられ、置いていかれたと腹を立て反抗し……どんどん荒んでいった。

 そんなオレの揺れる気持ちを、父さんの弟の流さんが根気よく見守ってくれたんだ。父さんに素直になりたいのになれないジレンマを全身で受け止めてくれていた。

……
「薙、今は焦らなくてもいい。お前の父さんへのこんがらがった気持ちはいつかちゃんと解ける日が来るよ。だからどうか縁だけは切るな。相手をバッサリ切り捨てるな。細い縁でいいから繋いでおけよ。1本の頼りない糸になってしまっても、父さんの糸と縒っていけば、強い紐になり、強い絆になるんだ」
……
 
 本当に流さんの言う通りだ。
 
 あの時一時の怒りに任せて父さんを切り捨てなくてよかった。

 冷静になれば、大好きだった父さんとの思い出ばかり浮かんで来たよ。また一緒に暮らせる日がくればいいと心の底で願っていた。

 それなのに、この寺に来た当初は素直になれなくて憎たらしい息子だったよな。それでも父さんは縁を繋げてくれた。呆れられてもしょうがない不貞不貞しい態度ばかり取っていたのに、オレを愛し慈しんでくれた。

 そして今日は願いを叶えてくれた。

 父さん……父さん! 

 無性に感謝の言葉をもう一度伝えたくなり、階段を駆け下りた。

「父さん!」
「薙、どうした?」

 本堂に向かう父さんと渡り廊下ですれ違った。
 
 オレは父さんの手をしっかり握って、真心を伝えた。

「父さん、本当にありがとう。オレの気持ちに気付いてくれて、寄り添ってくれて……ありがとう!」
「それを言うなら、僕の方こそありがとう。縁を切られても仕方がないことをしたのに、また歩み寄ってくれてありがとう」

 渡り廊下に、桜の花びらがはらはらと舞い降りてくる。

「こんな所にも……」

 父さんがすっと手を差し出し、花びらを受け止めた。

「桜はもう見納めだね。もう終わっちゃうのか」

 少し寂しく呟くと、父さんが教えてくれた。

「薙、桜は咲いてから散るまでが一つの流れだが、これは決して終わりではなく毎年繰り返していくことだよ。僕はね、薙との関係も1年という単位ではなく、ずっと先まで続いていくと思っているよ。違うかな?」

 その通りだ。

 今なら、父さんの言うことが理解できる。

 受け入れられるよ。


 
 季節は春。
 
 今年の桜は入学式を待たず例年より早く散ってしまうが、そんなの関係ない!

 今は別れの時ではなく、始まりの時なんだ。

 オレが選んだ道は、明るい方向だ。


「オレ……ずっと父さんの息子でいたい」
「うん、いておくれ」

 父さんの息子になれて良かった。

 心から、そう思えるようになった。

「あのさ、今日、高校の制服が届くらしいんだ。後で着てみてもいい?」
「もちろんだよ。見せておくれ」




 

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