重なる月

志生帆 海

文字の大きさ
上 下
1,459 / 1,657
第3部 15章

花を咲かせる風 45

しおりを挟む
「翠さんのお声は、柔らかく慈悲深いで心地良いですね」
「信一さんこそ、穏やかな大地のようなお声で素晴らしいです」

 僕は洋くんの伯父さんと、読経をあげる声をぴたりと揃えた。

 月光寺の住職の渋く深い声と月影寺の僕の声が重なると、読経がまるで一つの鎮魂歌のように響き渡り、木漏れ日の落ちる庭に溢れていった。

 その様子に鳥肌が立った。

 光と影が重なる場所。

 そこに何があるのか……

 ふと『光陰』という言葉が浮かんだ。

 影は光を遮って出来る黒い物で、陰は光が当たらない隠れて見えない所を指すのでニュアンスは少し違うが、その言葉にハッとした。

 光陰とは『月日』という意味だ。
 
 僕が住職になるために歩んだ月日。

 洋くんが丈と出逢うまでの月日。

 そして僕らが今日ここに集うまでの長い月日。
 
 人はいつの世も……時間と共に生きている。

  どうやら僕の前世、湖翠さんの長い年月に亘り蓄積された願いも、この流れに束ねられているようだと悟った。

 ****

「夕凪、夕凪……どうして、どうして……こんなになるまで連絡をくれなかったんだ」
「……湖……翠さん……」

 夕凪の持病が悪化し病院に入院したという知らせを信二郎さんから受けて、僕は京都まで駆けつけた。

  やつれてほっそりとした身体で、白い病床に横たわる夕凪の手を握ってやると……夕凪はうっすらと目を開けて……静かな微笑みを浮かべた。

「湖翠さん……ずっとお会いしたかったです。もう目は……すっかり治りましたか」
「僕のことなどより、夕凪、どうしてこんなことに?」
「あれから……月日が流れていきました。ただ……幸せな月日は俺にとっては儚いものでした。光陰流水《こういんりゅうすい》のごとく過ぎ去ってしまったのです」

「光陰……流水……」

 流水という言葉に、今更ながら反応してしまった。
 二十年近く行方知れずの、愛しい弟の名だから。

「こ……すいさんは、俺の兄のような人でした。いつか、いつか生まれ変わったら……俺の本当のお兄さんになって……下さいませんか」
「夕凪っ……まだ逝くな。君はまだ40代じゃないか!」
「うっ……光と影が……押し寄せてきます。俺は……その狭間を抜けて……この世を……去ります。こすいさん……ありがとうございます。先に……先にいきます」
「ゆうなぎ……僕の……可愛い弟。いつかまた会える。今度は本当の弟におなり!」
「は……い」

 別れは唐突だ。
 
 僕はまた一人大切な人を失ってしまった。

 いつか……夕凪、君ともまた出逢う!

 心に決めて、僕は僕に残された月日を……歩むしかない。


 ****

「父さん、大丈夫? 読経って大変なんだな。オレにも読経が出来ればいいのに……父さんの片腕になりたいよ」

 今まで仏門に何の関心も持たなかった薙からの言葉が意外過ぎて、目を見開いてしまった。
 
「薙……?」
「あ、オレ……変なこといった?」
「ううん、嬉しい言葉だった」
「父さん、あのさ、読経って不思議だな。父さんの声が天に昇っていくように見えたんだ」
「そうか……薙には見えるんだな」
「……父さんの役に立ちたいって……今なら思えるよ」
「ありがとう。これから頼りにしている」

 僕が洋くんの兄になれたのは……前世での二人の約束だった。



 それを知る旅となった。

 旅は間もなく終わる。

 つつがなく……終わるようだ。









****

※光陰流水『時間が過ぎ去るさまは水の流れと同じ様に速いもの』という意味
しおりを挟む
感想 54

あなたにおすすめの小説

忘れ物

うりぼう
BL
記憶喪失もの 事故で記憶を失った真樹。 恋人である律は一番傍にいながらも自分が恋人だと言い出せない。 そんな中、真樹が昔から好きだった女性と付き合い始め…… というお話です。

『これで最後だから』と、抱きしめた腕の中で泣いていた

和泉奏
BL
「…俺も、愛しています」と返した従者の表情は、泣きそうなのに綺麗で。 皇太子×従者

【完結】義兄に十年片想いしているけれど、もう諦めます

夏ノ宮萄玄
BL
 オレには、親の再婚によってできた義兄がいる。彼に対しオレが長年抱き続けてきた想いとは。  ――どうしてオレは、この不毛な恋心を捨て去ることができないのだろう。  懊悩する義弟の桧理(かいり)に訪れた終わり。  義兄×義弟。美形で穏やかな社会人義兄と、つい先日まで高校生だった少しマイナス思考の義弟の話。短編小説です。

別れの夜に

大島Q太
BL
不義理な恋人を待つことに疲れた青年が、その恋人との別れを決意する。しかし、その別れは思わぬ方向へ。

帰宅

pAp1Ko
BL
遊んでばかりいた養子の長男と実子の双子の次男たち。 双子を庇い、拐われた長男のその後のおはなし。 書きたいところだけ書いた。作者が読みたいだけです。

BL団地妻-恥じらい新妻、絶頂淫具の罠-

おととななな
BL
タイトル通りです。 楽しんでいただけたら幸いです。

合鍵

茉莉花 香乃
BL
高校から好きだった太一に告白されて恋人になった。鍵も渡されたけれど、僕は見てしまった。太一の部屋から出て行く女の人を…… 他サイトにも公開しています

悩める文官のひとりごと

きりか
BL
幼い頃から憧れていた騎士団に入りたくても、小柄でひ弱なリュカ・アルマンは、学校を卒業と同時に、文官として騎士団に入団する。方向音痴なリュカは、マルーン副団長の部屋と間違え、イザーク団長の部屋に入り込む。 そこでは、惚れ薬を口にした団長がいて…。 エチシーンが書けなくて、朝チュンとなりました。 ムーンライト様にも掲載しております。 

処理中です...