重なる月

志生帆 海

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第3部 15章

花を咲かせる風 8

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「あれ? 洋さん、まだ帰っていないの?」
「……丈もまだのようだ」

 翠と薙が、心配そうに顔を見合わせている。

「いや、さっき駐車場で車の灯りを見かけたから、どれ、俺が呼んでくるよ」
 
 ところが、玄関先で翠に呼び止められた。

「流!」
「何だ?」
「いいかい? 二人の邪魔をしては駄目だよ。絶対に窓から覗かないこと」
「ははっ、そんな野暮じゃないよ」
「本当に?」

 翠が胡散臭そうにじっと見るので、そそくさと外に出た。

 まったく、最近の翠は俺の行動パターンを把握し過ぎだろ!

 こっそり覗いてやろうと思ったのに、計画中止だ!

 だが……翠……さっきは本堂で可愛かったな。

 蜘蛛に怯えて、俺にしがみついて。

 袈裟姿でも、時折あんな表情を見せてくれるようになった。

 それが嬉しくて溜らない。

 さてと、こちらのお二人は……

 おっと、やっぱり帰っていたな。

 離れの窓から、橙色の灯りが漏れている。

 ドアをノックしようと思ったが、思いとどまった。

 今、帰ったばかりなら、少しは二人の時間が必要だろ。

「……んっ……ん……」

 案の定、微かに漏れるのは、擦れた甘い声。

 んんっ?

 おいおい、エスカレートしているのじゃないか。

 ヤバいな。このままだと最後まで?

 そんなことになったら、当分出てこないぞ。

 悪いが、ここは中断してくれい! こちらが先約だぜ。

 力を込めてドアをドンドン叩くと、暫くしてから、丈がポーカーフェイスで出てきた。

 ははん、そんなに取り澄ましても無駄だ。

 丈の背後に立つ洋くんは、悪戯っ子のように微笑んでいる。

「流さん、すみません! 今、行きます」
「洋くん、楽しかったか。お帰り」
「あ……はい! とても……あの、ただいま」
 
 洋くんの上気した頬は、丈との触れ合いのせいだけでないだろう。

 おばあさまとの外出が、相当楽しかったようだな。

 気分転換した後に、恋人の帰宅。
  
  そりゃ~ あっちもこっちも元気になるよな。

 じっと洋くんの股間を見つめると、彼も気付いたらしく真っ赤になっていた。

「りゅ、流さん、どこを見て……」
「ん? 流兄さん、一体何を?」
「はは、怖い怖い、先に行くぜ~」


****

「乾杯!」
「薙くん、卒業おめでとう」
「ありがとう! オレ、ついに4月から高校生になるよ」

 その晩は、月影寺の母屋で薙くんの卒業祝いをした。

 おばあさまと出掛けたお陰で、俺の心にかかっていた靄《もや》は晴れ、心から薙くんの卒業を祝えた。

 同時に俺の暗い過去とも、また一つ卒業出来たのを、人知れず祝った。

「洋もおめでとう」
「え?」

 丈は俺の気持ちに敏感だ。

 そっと囁かれる恋人からの思いやりの言葉に、ほろりと来てしまう。

「ん、ありがとう」

 グラスを二人で傾ける。

「洋くん、楽しかったみたいだね」

 今度は翠さんにも言われた。

「あの……どうして楽しかったと、分かるのですか」
「それは顔に出ているからだよ」
「え?」

 今まで、そんな風に言われたことがないので照れ臭くなってしまった。長い間、喜怒哀楽の感情を押し殺して無表情で生きて来たから、まだ感情をストレートに出すのが苦手だ。

 ぎこちないかもしれないが、今日の俺は嬉しさを身体で表現したくなっていた。

「いい笑顔だね。兄さんには教えてくれないの?」
「えっ」
「ん?」
 
 翠さんが甘い顔で、ニコッと微笑んでくる。
 
 もう……本当に仏様のような人だな。

 父さんのボタンは胸ポケットの中だ。

 皆にも見て欲しくなった。

 俺がこんな行動に出るのは、初めてかもしれない。

「あの……実は今日、祖母と東京の家でこれを見つけたんです。これは……俺の……亡くなった父さんの制服の第二ボタンかもしれないと思うと嬉しくて」
「洋くん……そんな素敵なご縁があったんだね。それは本当に良かったね」

 翠さんがうっとりとボタンを見つめてくれた。

「あの……コホン、実は兄さんたちに話があります。このボタンを見つけたのも何かの縁ですし、春休みに有休を取り、洋と京都に行こうと思います」
「丈……それって」
「洋の父親の出が京都らしいので、軌跡を辿ってみます」
「そうか……いよいよ動くんだね。あ……もしかしたら、このボタンが手がかりになりそうだよ」
「え?」

 翠さんがボタンの表面に目を凝らした。
 
 「これって少し珍しい校章のようだね。学校の特注品かも。そうだ……京都に行くのなら、また道昭を頼るといい。このボタンから、洋くんのお父さんの出身校が分かるかもしれないし」
「なるほど……!」

 あぁ、また一つ道が開けた。

 今の俺は、確かな追い風に乗っている。

「洋、少しずつ外堀から埋めていこう」
「丈、頼もしいよ」

  耐えて偲んで堪えて佇んでいただけの俺は、もういない。

 花を咲かせる風のように、俺たち、京都へ行こう!
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