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第3部 15章
蛍雪の窓 16
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「翠、着替えたのか」
袈裟を脱ぎ身支度を調えていると、まだ作務衣姿の流がヒョイと顔を覗かせた。 僕はちょうどスラックスとワイシャツを着た所だった。
「どうかな?」
「いいな、上質な生地にしたから身体にフィットしている。俺がネクタイをしてやるよ」
「自分で出来るよ」
「やらせてくれ」
「あ、うん」
先ほど僕が薙にしてあげたのと同じ事を、流がしたいのだ。
薙は自分で出来るのに、僕にやらせてくれた。
そんな薙の優しさに触れると、ふいに泣きそうになった。
「薙は優しい子だよ。昔も今も」
「あぁ、その通りだ。翠と薙の関係が良好なのが嬉しいよ」
シュッと手際良く、流がネクタイを締めてくれる。
スーツにネクタイというスタイルは滅多にしないので、照れ臭い。
「変ではないか」
「最高だよ。紺瑠璃……紺色の中に滲む華やかさが翠の明るい髪色と白い肌に合っている」
「そんなに褒めないでくれ。恥ずかしい」
「事実さ」
上着に袖を通すと、一気に気が引き締まった。
鏡に映る僕は、すっかり父の顔になっていた。
「次は……流のを見立ててあげるよ」
「頼む」
流の箪笥から、スーツを選ぶ。
したことがないので、ドキドキと鼓動が早くなる。
早速、父の顔が崩れそうだよ。
「翠、まだか」
「迷ってしまうんだ。どれも流に似合いそうで」
「俺は一番目立たないのでいいぞ」
「でも……中身が目立つからなぁ」
「今日は借りてきた猫のように、大人しくしているよ」
「ふっ、流は流のままでいい」
僕が選んであげたスーツを着こなした姿は、精悍とした魅力で溢れていた。
「流はスーツも似合うんだね」
「兄さん、ネクタイもしてくれよ」
「ふふ、いいよ」
思い返せば……幼稚園の制服のボタンを留めてくれだの、上着のボタンを留めてくれだの、流は高学年になるまで、何かにつけて僕を頼ってきた。僕にくっついて離れなかった。
「流、もしかして……小さい時から、わざと?」
「ははは、兄さんの優しさに触れるのが好きだったのさ」
やはり流は狡い。
そんな風に言われたら、言い返せない。
「今日は、翠の愛情に触れたいからだ」
「あからさまだね」
「もう黙っている必要はないだろう。よしっ、お互い支度が出来たな」
「うん!」
居間に入ると、紅茶を片手にテレビを観ていた薙が僕を見て、目を見開いた。
「わぉ! 父さんのスーツ姿って滅茶苦茶カッコイイな」
「そ、そうかな?」
「友達に自慢しちゃいそうだよ。オレの父さんは若くてカッコイイって、なーんてね」
カッコイイだなんて。
薙がそんな風に、僕を褒めてくれるなんて。
小学校高学年になると反抗期に入り、僕と二人きりになるのが苦痛そうだった。だから会っても、あからさまに嫌な顔をされたし、すぐに帰りたいと言われてショックだったな。
よほど頼りない父親に映っていたのだろう。あの頃の僕は彩乃さんの言いなりだったし、自分の意見を持てない情けない父親だったから。
「もう8時か。薙、そろそろ出ないと遅刻するぞ」
「分かった! 今日は流さんもスーツなんだね」
「どうだ? カッコイイだろ?」
「うん! 父さんも流さんもカッコイイ! オレは、オレはどうかな?」
薙が笑顔で聞いてくる。
僕によく似た容姿の薙、しかし性格は僕より大胆で潔い。
「薙~ 俺たちの薙は、いいところ取りで最高にかっこいいぜ!」
流が破顔すれば、僕も釣られて笑う。
「うん、最高にかっこいい」
「二人とも親バカだな~」
流が言ってくれた通り、この子は僕たちの子だよ。
「あのさ……父さん、流さん、今日はありがとう」
「どうした? そんなに改まって」
薙は照れ臭そうに、視線を逸らして口を尖らせた。
「う……嬉しいんだ。想像していたよりもずっと……その……二人が卒業式に来てくれるの」
「薙……」
「とにかく行ってきます! あとで……来てね」
「必ず行くよ。二人で行くよ!」
いよいよ薙の中学校卒業。
門出の朝だ。
蛍の光、窓の雪。
僕と薙のすれ違いは確かに苦い想い出ばかりだが、それを乗り越えたからこそ、この笑顔の朝がある。
袈裟を脱ぎ身支度を調えていると、まだ作務衣姿の流がヒョイと顔を覗かせた。 僕はちょうどスラックスとワイシャツを着た所だった。
「どうかな?」
「いいな、上質な生地にしたから身体にフィットしている。俺がネクタイをしてやるよ」
「自分で出来るよ」
「やらせてくれ」
「あ、うん」
先ほど僕が薙にしてあげたのと同じ事を、流がしたいのだ。
薙は自分で出来るのに、僕にやらせてくれた。
そんな薙の優しさに触れると、ふいに泣きそうになった。
「薙は優しい子だよ。昔も今も」
「あぁ、その通りだ。翠と薙の関係が良好なのが嬉しいよ」
シュッと手際良く、流がネクタイを締めてくれる。
スーツにネクタイというスタイルは滅多にしないので、照れ臭い。
「変ではないか」
「最高だよ。紺瑠璃……紺色の中に滲む華やかさが翠の明るい髪色と白い肌に合っている」
「そんなに褒めないでくれ。恥ずかしい」
「事実さ」
上着に袖を通すと、一気に気が引き締まった。
鏡に映る僕は、すっかり父の顔になっていた。
「次は……流のを見立ててあげるよ」
「頼む」
流の箪笥から、スーツを選ぶ。
したことがないので、ドキドキと鼓動が早くなる。
早速、父の顔が崩れそうだよ。
「翠、まだか」
「迷ってしまうんだ。どれも流に似合いそうで」
「俺は一番目立たないのでいいぞ」
「でも……中身が目立つからなぁ」
「今日は借りてきた猫のように、大人しくしているよ」
「ふっ、流は流のままでいい」
僕が選んであげたスーツを着こなした姿は、精悍とした魅力で溢れていた。
「流はスーツも似合うんだね」
「兄さん、ネクタイもしてくれよ」
「ふふ、いいよ」
思い返せば……幼稚園の制服のボタンを留めてくれだの、上着のボタンを留めてくれだの、流は高学年になるまで、何かにつけて僕を頼ってきた。僕にくっついて離れなかった。
「流、もしかして……小さい時から、わざと?」
「ははは、兄さんの優しさに触れるのが好きだったのさ」
やはり流は狡い。
そんな風に言われたら、言い返せない。
「今日は、翠の愛情に触れたいからだ」
「あからさまだね」
「もう黙っている必要はないだろう。よしっ、お互い支度が出来たな」
「うん!」
居間に入ると、紅茶を片手にテレビを観ていた薙が僕を見て、目を見開いた。
「わぉ! 父さんのスーツ姿って滅茶苦茶カッコイイな」
「そ、そうかな?」
「友達に自慢しちゃいそうだよ。オレの父さんは若くてカッコイイって、なーんてね」
カッコイイだなんて。
薙がそんな風に、僕を褒めてくれるなんて。
小学校高学年になると反抗期に入り、僕と二人きりになるのが苦痛そうだった。だから会っても、あからさまに嫌な顔をされたし、すぐに帰りたいと言われてショックだったな。
よほど頼りない父親に映っていたのだろう。あの頃の僕は彩乃さんの言いなりだったし、自分の意見を持てない情けない父親だったから。
「もう8時か。薙、そろそろ出ないと遅刻するぞ」
「分かった! 今日は流さんもスーツなんだね」
「どうだ? カッコイイだろ?」
「うん! 父さんも流さんもカッコイイ! オレは、オレはどうかな?」
薙が笑顔で聞いてくる。
僕によく似た容姿の薙、しかし性格は僕より大胆で潔い。
「薙~ 俺たちの薙は、いいところ取りで最高にかっこいいぜ!」
流が破顔すれば、僕も釣られて笑う。
「うん、最高にかっこいい」
「二人とも親バカだな~」
流が言ってくれた通り、この子は僕たちの子だよ。
「あのさ……父さん、流さん、今日はありがとう」
「どうした? そんなに改まって」
薙は照れ臭そうに、視線を逸らして口を尖らせた。
「う……嬉しいんだ。想像していたよりもずっと……その……二人が卒業式に来てくれるの」
「薙……」
「とにかく行ってきます! あとで……来てね」
「必ず行くよ。二人で行くよ!」
いよいよ薙の中学校卒業。
門出の朝だ。
蛍の光、窓の雪。
僕と薙のすれ違いは確かに苦い想い出ばかりだが、それを乗り越えたからこそ、この笑顔の朝がある。
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