重なる月

志生帆 海

文字の大きさ
上 下
1,403 / 1,657
第3部 15章

蛍雪の窓 9

しおりを挟む
 庭の手入れをしていると、学ラン姿の薙が珍しく本堂に入って行くのが見えた。

 薙は寺の息子だが仏教に何の関心も持っていないので、読経中の翠に用事があるのだろう。

 すると、すぐに翠の読経が止んだ。

 一体、何を話しているのだろう?

 俺は翠の父親の部分も大切にしている。だが……どうやら父としての役目を果たす翠に、嫉妬してしまっているようだ。

 心が狭い男だな。

 俺は我慢出来ずに、本堂に向かった。

 薙の話は、卒業式の件だった。

 それならば俺も中に入っていいだろうと扉に手をかけると、中から薙が飛び出てきた。

 薙は俺には目もくれず奥庭に走り去ってしまった。

 あぁ、そうか……何か小っ恥ずかしいことがあったのだな。

 俺もよくそうやって走ったものだ。

 俺の心がパンクしそうになった時、いつも寺の奥庭へ向かって、まっしぐらに走った。

 俺にとってこの庭は、昔も今も……翠そのものだ。

 この庭の深く透き通った碧。
 包み込まれるようなしっとりと苔生した大地。
 覆い被さるように生息する竹林。

 全部、俺の翠の色、翠の香りだ!

 急にムラムラと沸き上がってきたのは、独占欲だった。

 月影寺から翠を連れ出し、俺だけの翠にしたい。

 そんな自分勝手な理由で、翠を銀座に誘った。

 翠は何も言わずについて来てくれる。

 翠は全てを俺に委ねてくれている。

 大学の桐生大河《きりゅう たいが》先輩は、服飾関係の仕事に就き、最近銀座に店《テーラー》を構えて、独立したばかりだ。

  大学時代、兄への募る想いに苦しんでいた俺の悩みに気付き、支えになってくれた恩人だ。

 桐生先輩もまた、苦しい恋をしていた。

  先輩にだったら、翠を紹介出来る、俺の恋人だと堂々と宣言出来る!

 秘密の恋でも有り難いと思っていたのに、翠が父親の顔をすればするほど、芽生えるのは小さな嫉妬だった。

 俺って、こんなに心の狭い人間だったのか。


 

 テーラーはとても落ち着いた雰囲気で、英国風の内装だった。

 
先輩は俺の恋の成就を喜んでくれた。

 一方翠は急に俺の恋人だと紹介され驚いていたが、静かに受け入れてくれた。

 翠の人としての器の大きさを思い知る。

 焦って足掻いて衝動的にこんな場所につれてきたのも、許してくれるのか。

 スーツは既存のものではなく、翠の躰にフィットするものを仕立ててもらうことにした。

「採寸は流の前でするから安心しろよ」
「流石、先輩は気が利きますね」
「ははっ、お前の脳内はダダ漏れだからな」

 そうだ。
 俺は……翠に他の男が近づくのが許せない。
 先輩だからここまで譲歩出来るのだ。

「流、そんなに見つめないでおくれ」

 じっと熱い視線を送っていると、翠が目元を染めて流石に文句を言う。
 
 イギリス伝統と風格を受け継ぐ最高級の生地で、スーツとワイシャツを仕立ててもらうことにした。

 品の良い翠が、しなやかで上質なスーツを着たらどんなに魅力的か。

 自慢気に思う一方で心配だ。

 やはり俺も式典に付き添うべきか。
 
「ネクタイは流が見立ておくれ」

 優しくて美しくて気高い翠。

「いいのか」
「そうして欲しい」
「じゃあ、この紺瑠璃色のにしろ。これは瑠璃色がかった高貴な色として江戸時代に流行した色で、セレモニーにぴったりだ」
「いいね、そうするよ」

 たおやかに微笑む翠。

「流、お前の恋人はえらく上品だな」
「ずっと憧れていた人です。ようやく夢が叶いました」
「良かったな。俺と蓮のことでは、お前に散々相談にのってもらったから……精一杯恩返しの気持ちを込めて仕立てるよ」
「感謝しています」

 大河さんの相手も男で、しかも弟だ。

 このビルの地下には、弟の蓮《れん》くんの店がある。

 彼の職業は、バーテンダー。
 先輩の方も、色々あって成就した恋だ。

 テーラーと同調の英国風の店内。

 アクセントはミモザ色。

 店の名前の『ミモザ』の花言葉は、『秘密の恋』だ。

 彼の作った一杯の酒で翠を酔わし、月影寺に連れ帰る。

 車中で翠はほろ酔い気分なのか始終上機嫌で、俺を離れに誘った。

「何だ? 母さんからのいいものって?」
「……それがね、僕の高校の制服なんだよ」
「それって、ジャージに続くお宝じゃないか!」
「ふっ、流は絶対にそう言うと思った」

 翠にとっては良い思い出ではないだろうに……だが今の翠は懐かしそうな顔で、微笑んでいる。だから甘えたくなってしまった。

「翠……本当は、それ着てみたかった。翠と同じ制服を着てみたかった……兄さんと同じ高校に通いたかったんだ」

 思わず漏れ出したのは、当時どうしても言えなかった泣き言だった。

 


 


しおりを挟む
感想 54

あなたにおすすめの小説

忘れ物

うりぼう
BL
記憶喪失もの 事故で記憶を失った真樹。 恋人である律は一番傍にいながらも自分が恋人だと言い出せない。 そんな中、真樹が昔から好きだった女性と付き合い始め…… というお話です。

『これで最後だから』と、抱きしめた腕の中で泣いていた

和泉奏
BL
「…俺も、愛しています」と返した従者の表情は、泣きそうなのに綺麗で。 皇太子×従者

【完結】義兄に十年片想いしているけれど、もう諦めます

夏ノ宮萄玄
BL
 オレには、親の再婚によってできた義兄がいる。彼に対しオレが長年抱き続けてきた想いとは。  ――どうしてオレは、この不毛な恋心を捨て去ることができないのだろう。  懊悩する義弟の桧理(かいり)に訪れた終わり。  義兄×義弟。美形で穏やかな社会人義兄と、つい先日まで高校生だった少しマイナス思考の義弟の話。短編小説です。

別れの夜に

大島Q太
BL
不義理な恋人を待つことに疲れた青年が、その恋人との別れを決意する。しかし、その別れは思わぬ方向へ。

帰宅

pAp1Ko
BL
遊んでばかりいた養子の長男と実子の双子の次男たち。 双子を庇い、拐われた長男のその後のおはなし。 書きたいところだけ書いた。作者が読みたいだけです。

別れようと彼氏に言ったら泣いて懇願された挙げ句めっちゃ尽くされた

翡翠飾
BL
「い、いやだ、いや……。捨てないでっ、お願いぃ……。な、何でも!何でもするっ!金なら出すしっ、えっと、あ、ぱ、パシリになるから!」 そう言って涙を流しながら足元にすがり付くαである彼氏、霜月慧弥。ノリで告白されノリで了承したこの付き合いに、βである榊原伊織は頃合いかと別れを切り出したが、慧弥は何故か未練があるらしい。 チャライケメンα(尽くし体質)×物静かβ(尽くされ体質)の話。

BL団地妻-恥じらい新妻、絶頂淫具の罠-

おととななな
BL
タイトル通りです。 楽しんでいただけたら幸いです。

合鍵

茉莉花 香乃
BL
高校から好きだった太一に告白されて恋人になった。鍵も渡されたけれど、僕は見てしまった。太一の部屋から出て行く女の人を…… 他サイトにも公開しています

処理中です...