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第3部 15章
蛍雪の窓 9
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庭の手入れをしていると、学ラン姿の薙が珍しく本堂に入って行くのが見えた。
薙は寺の息子だが仏教に何の関心も持っていないので、読経中の翠に用事があるのだろう。
すると、すぐに翠の読経が止んだ。
一体、何を話しているのだろう?
俺は翠の父親の部分も大切にしている。だが……どうやら父としての役目を果たす翠に、嫉妬してしまっているようだ。
心が狭い男だな。
俺は我慢出来ずに、本堂に向かった。
薙の話は、卒業式の件だった。
それならば俺も中に入っていいだろうと扉に手をかけると、中から薙が飛び出てきた。
薙は俺には目もくれず奥庭に走り去ってしまった。
あぁ、そうか……何か小っ恥ずかしいことがあったのだな。
俺もよくそうやって走ったものだ。
俺の心がパンクしそうになった時、いつも寺の奥庭へ向かって、まっしぐらに走った。
俺にとってこの庭は、昔も今も……翠そのものだ。
この庭の深く透き通った碧。
包み込まれるようなしっとりと苔生した大地。
覆い被さるように生息する竹林。
全部、俺の翠の色、翠の香りだ!
急にムラムラと沸き上がってきたのは、独占欲だった。
月影寺から翠を連れ出し、俺だけの翠にしたい。
そんな自分勝手な理由で、翠を銀座に誘った。
翠は何も言わずについて来てくれる。
翠は全てを俺に委ねてくれている。
大学の桐生大河《きりゅう たいが》先輩は、服飾関係の仕事に就き、最近銀座に店《テーラー》を構えて、独立したばかりだ。
大学時代、兄への募る想いに苦しんでいた俺の悩みに気付き、支えになってくれた恩人だ。
桐生先輩もまた、苦しい恋をしていた。
先輩にだったら、翠を紹介出来る、俺の恋人だと堂々と宣言出来る!
秘密の恋でも有り難いと思っていたのに、翠が父親の顔をすればするほど、芽生えるのは小さな嫉妬だった。
俺って、こんなに心の狭い人間だったのか。
テーラーはとても落ち着いた雰囲気で、英国風の内装だった。
先輩は俺の恋の成就を喜んでくれた。
一方翠は急に俺の恋人だと紹介され驚いていたが、静かに受け入れてくれた。
翠の人としての器の大きさを思い知る。
焦って足掻いて衝動的にこんな場所につれてきたのも、許してくれるのか。
スーツは既存のものではなく、翠の躰にフィットするものを仕立ててもらうことにした。
「採寸は流の前でするから安心しろよ」
「流石、先輩は気が利きますね」
「ははっ、お前の脳内はダダ漏れだからな」
そうだ。
俺は……翠に他の男が近づくのが許せない。
先輩だからここまで譲歩出来るのだ。
「流、そんなに見つめないでおくれ」
じっと熱い視線を送っていると、翠が目元を染めて流石に文句を言う。
イギリス伝統と風格を受け継ぐ最高級の生地で、スーツとワイシャツを仕立ててもらうことにした。
品の良い翠が、しなやかで上質なスーツを着たらどんなに魅力的か。
自慢気に思う一方で心配だ。
やはり俺も式典に付き添うべきか。
「ネクタイは流が見立ておくれ」
優しくて美しくて気高い翠。
「いいのか」
「そうして欲しい」
「じゃあ、この紺瑠璃色のにしろ。これは瑠璃色がかった高貴な色として江戸時代に流行した色で、セレモニーにぴったりだ」
「いいね、そうするよ」
たおやかに微笑む翠。
「流、お前の恋人はえらく上品だな」
「ずっと憧れていた人です。ようやく夢が叶いました」
「良かったな。俺と蓮のことでは、お前に散々相談にのってもらったから……精一杯恩返しの気持ちを込めて仕立てるよ」
「感謝しています」
大河さんの相手も男で、しかも弟だ。
このビルの地下には、弟の蓮《れん》くんの店がある。
彼の職業は、バーテンダー。
先輩の方も、色々あって成就した恋だ。
テーラーと同調の英国風の店内。
アクセントはミモザ色。
店の名前の『ミモザ』の花言葉は、『秘密の恋』だ。
彼の作った一杯の酒で翠を酔わし、月影寺に連れ帰る。
車中で翠はほろ酔い気分なのか始終上機嫌で、俺を離れに誘った。
「何だ? 母さんからのいいものって?」
「……それがね、僕の高校の制服なんだよ」
「それって、ジャージに続くお宝じゃないか!」
「ふっ、流は絶対にそう言うと思った」
翠にとっては良い思い出ではないだろうに……だが今の翠は懐かしそうな顔で、微笑んでいる。だから甘えたくなってしまった。
「翠……本当は、それ着てみたかった。翠と同じ制服を着てみたかった……兄さんと同じ高校に通いたかったんだ」
思わず漏れ出したのは、当時どうしても言えなかった泣き言だった。
薙は寺の息子だが仏教に何の関心も持っていないので、読経中の翠に用事があるのだろう。
すると、すぐに翠の読経が止んだ。
一体、何を話しているのだろう?
俺は翠の父親の部分も大切にしている。だが……どうやら父としての役目を果たす翠に、嫉妬してしまっているようだ。
心が狭い男だな。
俺は我慢出来ずに、本堂に向かった。
薙の話は、卒業式の件だった。
それならば俺も中に入っていいだろうと扉に手をかけると、中から薙が飛び出てきた。
薙は俺には目もくれず奥庭に走り去ってしまった。
あぁ、そうか……何か小っ恥ずかしいことがあったのだな。
俺もよくそうやって走ったものだ。
俺の心がパンクしそうになった時、いつも寺の奥庭へ向かって、まっしぐらに走った。
俺にとってこの庭は、昔も今も……翠そのものだ。
この庭の深く透き通った碧。
包み込まれるようなしっとりと苔生した大地。
覆い被さるように生息する竹林。
全部、俺の翠の色、翠の香りだ!
急にムラムラと沸き上がってきたのは、独占欲だった。
月影寺から翠を連れ出し、俺だけの翠にしたい。
そんな自分勝手な理由で、翠を銀座に誘った。
翠は何も言わずについて来てくれる。
翠は全てを俺に委ねてくれている。
大学の桐生大河《きりゅう たいが》先輩は、服飾関係の仕事に就き、最近銀座に店《テーラー》を構えて、独立したばかりだ。
大学時代、兄への募る想いに苦しんでいた俺の悩みに気付き、支えになってくれた恩人だ。
桐生先輩もまた、苦しい恋をしていた。
先輩にだったら、翠を紹介出来る、俺の恋人だと堂々と宣言出来る!
秘密の恋でも有り難いと思っていたのに、翠が父親の顔をすればするほど、芽生えるのは小さな嫉妬だった。
俺って、こんなに心の狭い人間だったのか。
テーラーはとても落ち着いた雰囲気で、英国風の内装だった。
先輩は俺の恋の成就を喜んでくれた。
一方翠は急に俺の恋人だと紹介され驚いていたが、静かに受け入れてくれた。
翠の人としての器の大きさを思い知る。
焦って足掻いて衝動的にこんな場所につれてきたのも、許してくれるのか。
スーツは既存のものではなく、翠の躰にフィットするものを仕立ててもらうことにした。
「採寸は流の前でするから安心しろよ」
「流石、先輩は気が利きますね」
「ははっ、お前の脳内はダダ漏れだからな」
そうだ。
俺は……翠に他の男が近づくのが許せない。
先輩だからここまで譲歩出来るのだ。
「流、そんなに見つめないでおくれ」
じっと熱い視線を送っていると、翠が目元を染めて流石に文句を言う。
イギリス伝統と風格を受け継ぐ最高級の生地で、スーツとワイシャツを仕立ててもらうことにした。
品の良い翠が、しなやかで上質なスーツを着たらどんなに魅力的か。
自慢気に思う一方で心配だ。
やはり俺も式典に付き添うべきか。
「ネクタイは流が見立ておくれ」
優しくて美しくて気高い翠。
「いいのか」
「そうして欲しい」
「じゃあ、この紺瑠璃色のにしろ。これは瑠璃色がかった高貴な色として江戸時代に流行した色で、セレモニーにぴったりだ」
「いいね、そうするよ」
たおやかに微笑む翠。
「流、お前の恋人はえらく上品だな」
「ずっと憧れていた人です。ようやく夢が叶いました」
「良かったな。俺と蓮のことでは、お前に散々相談にのってもらったから……精一杯恩返しの気持ちを込めて仕立てるよ」
「感謝しています」
大河さんの相手も男で、しかも弟だ。
このビルの地下には、弟の蓮《れん》くんの店がある。
彼の職業は、バーテンダー。
先輩の方も、色々あって成就した恋だ。
テーラーと同調の英国風の店内。
アクセントはミモザ色。
店の名前の『ミモザ』の花言葉は、『秘密の恋』だ。
彼の作った一杯の酒で翠を酔わし、月影寺に連れ帰る。
車中で翠はほろ酔い気分なのか始終上機嫌で、俺を離れに誘った。
「何だ? 母さんからのいいものって?」
「……それがね、僕の高校の制服なんだよ」
「それって、ジャージに続くお宝じゃないか!」
「ふっ、流は絶対にそう言うと思った」
翠にとっては良い思い出ではないだろうに……だが今の翠は懐かしそうな顔で、微笑んでいる。だから甘えたくなってしまった。
「翠……本当は、それ着てみたかった。翠と同じ制服を着てみたかった……兄さんと同じ高校に通いたかったんだ」
思わず漏れ出したのは、当時どうしても言えなかった泣き言だった。
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