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14章
身も心も 22
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月影寺の山門を見上げるが、洋の姿はなかった。
「今宵は……やはり、あそこか」
私は離れには戻らず、母屋に足を向けた。
翠兄さんが入院しているので、当面、前住職である父が寺の仕事を司り、病院に付き添う流兄さんの代わりに母が家事をしてくれることになっていた。
だから洋はきっと母の手伝いをしているに違いない。意気投合して楽しく過ごしているのだろう。
「ただいま」
声を張り上げて帰宅を告げると、庫裡から楽しそうな話声が聞こえた。
「あら、丈が帰ってきたわよ。洋くん、ここはいいから」
「えぇ」
暫くすると洋がパタパタと走って来た。
「洋、その格好……」
白いフリルのついたエプロン姿に、思わず見惚れてしまった。
洋は白が似合うと、改めて思った。
「お母さんに借りたんだ。へ……変だよな?」
「いや、似合っているよ。何か作っているのか」
「ハンバーグだよ」
つい……身体が条件反射のようにビクッと震えてしまった。
「おい、酷いな。以前俺が作った物体は記憶から消せよ!」
「あれは……よく無事だった」(生焼けっぽいハンバーグに、いよいよ食中毒を起こすのではと心配だった)
「ははっ、そうだよな。今日は大丈夫だよ。お母さんの手解きをしっかり受けているから」
「そうか」
確かにこんがりとした香ばしい匂いが、廊下の向こうから漂ってくる。
「洋もハンバーグも、両方美味しそうだ」
「おい、ここでは手を出すなよ。それより丈、手術お疲れさま」
手を出すなと言いつつも、洋の方からふわりと抱きついてくれたので、その腰をギュッと抱き上げたところで、慌てて離した。
「ん? どうした?」
暗い廊下からふらりと現れたのは、父親だった。
「おやおや、お邪魔だったかい?」
「いえ……お……父さん」
まだぎこちなくだが、洋が父を呼べば、父も気恥ずかしそうに洋を呼ぶ。
「洋くんが家内の手伝いを?」
「はい」
「それは助かるよ。丈……ちょっといいか」
「はい。あ……洋は食事の手伝いに戻っていろ」
「あぁ、分かった」
久しぶりに、父の書斎に入った。私が父とこんな風に改まって向き合うのは、洋をこの寺に初めて連れてきた時以来かもしれない。
「丈と二人きりで話す機会は久しぶりだね」
「はい、そうですね」
「丈……」
ずっと父に素直に甘えられなかった私は、いささか緊張していた。すると父が私の肩を労うように揉んでくれた。
「あの……何を?」
「今日はお疲れさん。翠の手術をありがとう。小学生のお前が将来、絶対に医師になりたいと宣言した時は驚いたが、今は無事になってくれて良かったと思っている」
「父さん……」
「丈はね……翠が甘えられる貴重な存在なんだよ。あの翠が手術を決心したのは、身も心も委ねられる弟たちのお陰だろう。丈が医師でなかったら、あの子はこの先もずっと我慢してしまったかもしれない」
白髪も皺も増えた父の顔を、じっと見つめた。
温厚で人当たりのよい父には似ず、人付き合いが下手で、いつもむっつり顔だった私にとって、父との距離もまた難しかったのだ。
なのに、今日は不思議と素直になれる。
洋があんなに母と溶け込んでいるのだから、私も心を開いて、父の懐に入ってみよう。
「私にとっても、翠兄さんは心から甘えられる存在です。ソウルから帰国する時、兄さんの『もう帰っておいで』という深い言葉に導かれました」
「あの時の翠は随分張り切っていたよ」
「そうなんですね」
「あぁお前たちが身一つで帰国すると聞いて、自ら布団やリネン類を買い揃えて、そわそわと待ち遠しそうだった」
「待ち遠しい……?」
私は、いてもいなくてもいい弟ではなかったのだ。
勝手に線引きして出て行ったのが、この私だ。
「父さん……私は……母さんや兄達とずっと疎遠だったことへの後悔が、最近つきまといます」
「丈、やはりお前は素直になったな。後悔が付きまとうのは後悔のまま放置しているからだよ。後悔を後悔で終わらすのでなく、その経験から気付いたことを精一杯やってみなさい。例えば人を傷付けたことを後悔しているのなら、今度は自分から周りの人々に優しく接すればいい。もっともっと相手に心を寄り添わせて、愛を届ければいい」
父の言葉の一つ一つが、私を元気づけてくれる。
「丈は大切な息子だ。私にとって頼もしい息子だよ。だからもっと今の自分に自信を持ちなさい」
父との蟠りも、自然に溶けていく。
洋と私は、これからは……こうやって二人で前を向いて歩いて行く。
「今宵は……やはり、あそこか」
私は離れには戻らず、母屋に足を向けた。
翠兄さんが入院しているので、当面、前住職である父が寺の仕事を司り、病院に付き添う流兄さんの代わりに母が家事をしてくれることになっていた。
だから洋はきっと母の手伝いをしているに違いない。意気投合して楽しく過ごしているのだろう。
「ただいま」
声を張り上げて帰宅を告げると、庫裡から楽しそうな話声が聞こえた。
「あら、丈が帰ってきたわよ。洋くん、ここはいいから」
「えぇ」
暫くすると洋がパタパタと走って来た。
「洋、その格好……」
白いフリルのついたエプロン姿に、思わず見惚れてしまった。
洋は白が似合うと、改めて思った。
「お母さんに借りたんだ。へ……変だよな?」
「いや、似合っているよ。何か作っているのか」
「ハンバーグだよ」
つい……身体が条件反射のようにビクッと震えてしまった。
「おい、酷いな。以前俺が作った物体は記憶から消せよ!」
「あれは……よく無事だった」(生焼けっぽいハンバーグに、いよいよ食中毒を起こすのではと心配だった)
「ははっ、そうだよな。今日は大丈夫だよ。お母さんの手解きをしっかり受けているから」
「そうか」
確かにこんがりとした香ばしい匂いが、廊下の向こうから漂ってくる。
「洋もハンバーグも、両方美味しそうだ」
「おい、ここでは手を出すなよ。それより丈、手術お疲れさま」
手を出すなと言いつつも、洋の方からふわりと抱きついてくれたので、その腰をギュッと抱き上げたところで、慌てて離した。
「ん? どうした?」
暗い廊下からふらりと現れたのは、父親だった。
「おやおや、お邪魔だったかい?」
「いえ……お……父さん」
まだぎこちなくだが、洋が父を呼べば、父も気恥ずかしそうに洋を呼ぶ。
「洋くんが家内の手伝いを?」
「はい」
「それは助かるよ。丈……ちょっといいか」
「はい。あ……洋は食事の手伝いに戻っていろ」
「あぁ、分かった」
久しぶりに、父の書斎に入った。私が父とこんな風に改まって向き合うのは、洋をこの寺に初めて連れてきた時以来かもしれない。
「丈と二人きりで話す機会は久しぶりだね」
「はい、そうですね」
「丈……」
ずっと父に素直に甘えられなかった私は、いささか緊張していた。すると父が私の肩を労うように揉んでくれた。
「あの……何を?」
「今日はお疲れさん。翠の手術をありがとう。小学生のお前が将来、絶対に医師になりたいと宣言した時は驚いたが、今は無事になってくれて良かったと思っている」
「父さん……」
「丈はね……翠が甘えられる貴重な存在なんだよ。あの翠が手術を決心したのは、身も心も委ねられる弟たちのお陰だろう。丈が医師でなかったら、あの子はこの先もずっと我慢してしまったかもしれない」
白髪も皺も増えた父の顔を、じっと見つめた。
温厚で人当たりのよい父には似ず、人付き合いが下手で、いつもむっつり顔だった私にとって、父との距離もまた難しかったのだ。
なのに、今日は不思議と素直になれる。
洋があんなに母と溶け込んでいるのだから、私も心を開いて、父の懐に入ってみよう。
「私にとっても、翠兄さんは心から甘えられる存在です。ソウルから帰国する時、兄さんの『もう帰っておいで』という深い言葉に導かれました」
「あの時の翠は随分張り切っていたよ」
「そうなんですね」
「あぁお前たちが身一つで帰国すると聞いて、自ら布団やリネン類を買い揃えて、そわそわと待ち遠しそうだった」
「待ち遠しい……?」
私は、いてもいなくてもいい弟ではなかったのだ。
勝手に線引きして出て行ったのが、この私だ。
「父さん……私は……母さんや兄達とずっと疎遠だったことへの後悔が、最近つきまといます」
「丈、やはりお前は素直になったな。後悔が付きまとうのは後悔のまま放置しているからだよ。後悔を後悔で終わらすのでなく、その経験から気付いたことを精一杯やってみなさい。例えば人を傷付けたことを後悔しているのなら、今度は自分から周りの人々に優しく接すればいい。もっともっと相手に心を寄り添わせて、愛を届ければいい」
父の言葉の一つ一つが、私を元気づけてくれる。
「丈は大切な息子だ。私にとって頼もしい息子だよ。だからもっと今の自分に自信を持ちなさい」
父との蟠りも、自然に溶けていく。
洋と私は、これからは……こうやって二人で前を向いて歩いて行く。
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